強き華
他の死の病を発病している患者の治癒があるからと灯はひとまず帰り、庵菜は自分の兄弟たちに用があるからと出て行った。
オレはというと緩やかな呼吸を繰り返す時人の額に置いてあるタオルを取り替えながら、長い睫に縁取られた瞳が開くのを静かに待っていた。
しぃんと静寂に包まれたその部屋はなぜか悲しみに包み込まれていて、オレが捨ててしまおうと決めたそれに悲しみを感じているのだろうかとぼんやり思う。
すると、黄緑の睫がふるふると震えてゆっくりと同じ色をした瞳が現れた。
そうして時人は状況が読み取れない為か単に寝起きな為か、ぼぅっと天井を眺めていたがふと顔をこちらに向けオレを瞳に映したらしくゆっくりと上半身を起こした。
「ここは?」
質問は死の病の発作に苦しんでいて状況を見ることが出来なかった時人が当たり前にするもので、オレは無理やり口元に笑みを浮かべて答えた。
「壬生の庵家です。当分ここに居ていいそうですよ」
微笑んで答えたというのに、時人は不審そうに首をかしげた。それは状況に似合わない笑みだった所為か、それとも浮かべた笑みがあまりにも不自然すぎたのか。
時人の表情から読み取るしかないオレには何故時人がそのような表情をしたのか、決定的には分からなかった。
「――僕は死ぬのか?」
不自然な笑みから思い当たるところはやはりそこだったようで、時人は真っ直ぐオレを見て言い放った。まるで、嘘は許さないと言いたげに。けれども、声音は硬質で感情を含ませぬように。
けれど、時人の質問には答えることが出来た。時人は死の病では死なない。――オレがそうさせない。
そう、灯と話した時点で決めたのだ。
「いいえ、貴方は――死にませんよ」
だから安心なさってください、と言葉を続けたがしかし時人はオレの言葉に含みを感じたらしく眉を顰めてそれの原因を探していたようだったが、思い当たったのかふっとそのしなやかな手を腹部に当てた。
それは彼女に似合わないぐらいの酷く酷く優しげな仕草で。
「全てを話しておくれよ、アキラ。死の病を発病した僕に対して、なんて言われたんだ?」
そうしながら真っ直ぐにオレを見た時人の声は酷く透き通っていた。
まるで嘘など何一つ許さないといいたげな、酷く透明な声音で。
だからオレはびくりと身体を震わせていた。彼女に言わなければいけない言葉に心を震わせて。――決意したことだったけれど、それでも実際その身で体感しなければいけない時人の心情を考えれば、やはりとても心苦しくそして心悲しいものだ。
それでも、時人は知りたいと言っている。
きっと、言葉を予測しながらもそれでもオレの口から聞きたいと言っている。――ならば、オレはそれに答えなければいけないのだろう。
重い口を開いた。
「――治療法はあると灯から言われました。ただ」
「ただ?」
オレはぐっと腹に力を入れて真っ直ぐに時人を見た。
緩やかなウェーブのかかった長い髪はまるで森の木々のようで、それに装飾された洗練された顔立ちはまるで神の祝福を受けたかのような美しさを呈している。彼女の激情を表すかのようにきつめの瞳はだからこそ引き付けられるものがあり。それは、以前形どっていた十四歳程度の姿とは違う完成された美しさだった。
一度だけ眼で見ることが出来た時人の姿は精神が未熟だったとしてもそれだけ美しかったというのに、オレの先の見えない鍛錬の旅に強情にも再戦という目的でついてきた時人はその間に未熟だった精神の成長を見せ――それは時人にとってはそれほど意味を成さないはずの旅についてくるという根性やひたむきさにも見て取れるが、その間にも様々な出来事があった――更に美しくなった。この眼で見れないことが酷く残念に思えるくらいに。
だからこそ、彼女にはそのまま事実を述べたかった。
受け止めるだけの強さを彼女は既に持っていたから。
だからこそ、閉じたくなる口を開いた。
「治癒を受けるためには堕胎しなければいけないと。堕胎したくないのならば、治癒を放棄しなければいけない――と」
オレの言葉に時人は顔を凍りつかせた。
だが、それは一瞬のことで彼女は納得がいったと言いたげな表情を浮かべ、そうして酷く穏やかな表情で下腹部を優しく撫でた。そうして真っ直ぐ真剣な表情でオレを見る時人の表情はオレの中にない酷く強く美しいものだった。
「僕は堕胎なんてしない。――生むよ」
しかし、その言葉はオレに怯えしか生み出さなかった。
時人を失いたくなどないのだ。子供は失ってもいい。寧ろ、親を知らないオレがきちんとした親になれるとはこれっぽっちも思えないので、いなくても構わない。
けれど――、時人を失ってしまえば子さえも出来ないのだ。
彼女を失えば、全ての可能性を切り捨てることのような気がして俺は思わず早口で怒鳴り散らしていた。
「何を言っているのですか、時人! 子供はまた作ることが出来ますが、貴方が死んでしまえばそれすらも不可能になってしまうのですよっ。子を失うことは悲しいことですが――堕しましょう」
子供に言い聞かせるような声音になったオレに、しかし時人はその意思を緩めることなく酷く真っ直ぐな強い目で言った。
「嫌だ。このお腹の中には確かに一つの生命が生きているんだよ、アキラ。僕は彼を殺したくなどない。たかだか一年のことじゃあないか。その期間ぐらい治癒を受けなくったって僕は死なないよ」
「けど!」
オレは思わず声を荒げた。
たかだか一年といっても――。
「子供が居るからこそ、貴方の体力は消耗され普通の進行状況よりも遥かに病魔を早め悪化させてしまうかもしれないのですよっ?」
そう、堕胎という一時の体力の消耗よりも、約一年間という長い期間での体力の消耗のほうが大きい。
自身の命を考えるのならば、堕胎するのが賢明だろう。――死の病が身体を侵食しきっていない今のうちに。
その事実をつきつけても、しかし時人は柔らかく微笑んでいた。
酷く穏やかで酷く儚げでそれでいて酷く強い、女性としての笑みを。
「それでも――僕は生みたいんだ。君との子を」
時人は腹部に当てていた手を天井へと大きく伸びるように向けた。
すると、何もないところから花びらがひらひらとオレ達の頭上に舞い落ちた。それはどこか幻想的な雰囲気であり、そしてまるで花びらがオレ達の幸福を祈っているようでもあった。
「僕は母様のようにこの花の美しさを教えてあげたい。父様のように厳しくも困難な道の先にある幸福を教えてあげたい。なにより、アキラ。君と僕の子だからこそ、この世の素晴らしさを教えてあげたいんだ」
ひらひらと舞い落ちる花びらを呆然と眺めていると時人の声が響く。
それは酷く穏やかなもので、オレが時人を見ると彼女は酷く柔らかな表情をしていた。――これほどの幸福はないのだとでも言いたげに。
それで理解できたのだ。
堕胎して自分だけ幸せに生きることが彼女の望みではないのだと。
きっとオレと会ったころの時人であればそれが望みだったのだろうけれど、今の時人にとってはそれが全てではない。――それほどまでに彼女は強くなれたのだ。
それはオレが望んだことであり嬉しくも感じるけれど、しかし今の状況では複雑だった。
それでも、認めなければいけないのだろう。オレとは違うけれど強く道を突き進み、そして選んでいる時人を。
「私は、なによりも貴方を優先したかったのですけれどね。――貴方がそう仰られるのならばしょうがないのでしょうね」
時人は花の散る中、嬉しそうに腹部に手を当てた。
>>20061013
母は強いのです。
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