初恋




 その後、私は本人曰く親玉である彼女をプライドのために倒さなければいけないと恐れ多くも挑みかかったのですが、消えてしまいそうなぐらい細くたおやかな姿とは相反して手を一振りしただけで見事彼女にのされてしまった私は、毎日孤児院から脱走するたび彼女の家に訪れるようになりました。
 彼女は私が訪れると、必ず和菓子と熱いお茶をまるで来るときが分かっていたかのように準備をして待っていてくださいました。
 彼女の屋敷はひねくれていた私にとって大変居心地が良い唯一の場所でしたし、なにより私をからかいながらも何故だか同等に扱ってくれる――しかし儚くも消えてしまいそうな彼女を、幼心に一時も目を離したくなく思いまして私は悪態をつきながらも彼女の元へ通い続けたのでした。
 私は屋敷へ行くたび彼女に挑みたいと申していたのですが、しかし彼女はほとんどそのような――幼いながらもそれは私にとって死合いを挑むものでした――申し出に乗ることはなく、話ばかりをしていました。
 といっても、それは彼女のプライベートや私のことではなく、彼女が一つの長い長い物語を語って聞かせるものでした。
 今思えば、何故彼女は自分のことを話したがらなかったのか、普通ならば親に行き先を不審がられ彼女や私に何らかの影響があってもおかしくないと考えてもよかったのでしょうに、毎日毎日不法侵入をする私自身に関することを聞かなかったのか不思議に思いますけれど、何故だか全てを見通しているような――そんな酷く落ち着いた様子を見せていた彼女には語りたくない状況がそこに存在しており、そして私が自身のことを語りたくないのだと察していたのでしょうね。
 ――どのような物語だったのかですって?
 ある女性の誕生から死を追った話でした。
 人間よりも遥かに生き続け力を有していた一族に生まれながらも、裏切り者の父親を持ったが故に人から罵声や嘲笑ばかりを浴び続け、それ故に怯え弱くうずくまっていたままの女性が大きな波の中でその精神を成長させ――幸せに暮らした。
 ええ、要約するとこのような話でした。
 しかし、子供が理解できるように童話調で語った彼女は、まるでそれを見てきたような口調でしたので幼い私は随分不思議に思ったものでした。今考えてみれば、その話から察せられる背景の年代は江戸初期のようでしたから。幼い頃でも刀という単語が出てきた時点で時代背景が現代ではないということは推測できましたので。
 彼女はその話をしながら、時折遠くを眺めているのでした。
 まるで、誰かを待っているようなそんな酷く物悲しく切ない瞳で。
 そう、いつの頃だったか彼女はぽつりとこんなことを話してくださったのがとても印象に残っています。

「僕はね、ただひとりの人を待っているんだよ。しゃがみこんでいた僕を立たせ、長く険しい道を提示してくれた厳しくて優しい人。――彼は、随分前にとてもとても遠いところに行ってしまって会えなくなってしまったんだ」

 それは、彼女が話してくれた唯一のプライベートでした。

「――会いに行かないのかよ」

「その時じゃあないんだ。僕はあの人のところに行っていいとあの人自身から――いや、僕自身から許しを得るまではここにいなくてはいけないんだ。本当はあの人が遠いところに行ってから直ぐに追いかけることも出来たのだけれど、僕がそれを許せなかった。僕にはしがらみなんてないに等しかったのにやっぱり、会いにいけなかったんだよ」

「どうして?」

「会いに行ってしまえば、きっとあの人は呆れるだろうからね。あの人は――甘えを許さない人だったから」

 けれど、と彼女はとても嬉しそうに笑った。

「もうすぐ、会えそうなんだ」

 遠くに行ってしまった彼女の待ち人に会いに行くのならば、その時点で私に会えないことを示していながらも、幼い私はまるでそのことを理解できず、表情の変化を余り見せない彼女がまるで花が綻ぶように笑う様をとても嬉しく感じていたのでした。
 そう、私とその人が会えなくなる日は余りにも直ぐそこだったのです。
 彼女と会ってから一ヶ月ほどが経過した頃だったでしょうか。
 話を聞いたり、時には彼女に死合いを申し込みながらも返り討ちにされたり、冗談交じりにタロットカードで占われたり――彼女は占いが得意のようでした――しながら、その日もまた変わらぬやり取りをするのだろうと日本家屋そのままの家の中に入りました。
 しかし、その家の中の気配が妙に違ったのでした。
 しぃんと静まり返り、なにか――不吉な予感すらも覚えさせるようなそんな雰囲気でしたので、私はとても焦り扉を乱暴に開けました。
 すると、彼女は荒い息を吐きながら畳にうずくまっていました。
 私が慌てて彼女の傍によると、彼女は苦しさに涙を流したのでしょうか水の粘膜で張られた目で私を捉えました。

「……ああ、なんにも用意できていなかったな。許して、おくれよ」

 苦しそうに荒い息を吐いていたというのに、子供に語りかけるような優しい口調で私に謝るものですから、私は首を横に振って早く安静にするよう促しました。
 しかしその人は大丈夫だと首を振って、荒く息を吐いたまま私の小さな頬をゆっくりと撫でました。

「最後に」

 彼女は小さく唇を動かしました。聞き取れないほどの声音で何かを呟いたかと思った次の瞬間には、私へ言葉を述べておりました。
 アキラの魂を持った
「君に会えて、僕はとても嬉しかったよ。でも君は――」
 僕が愛したあの人ではなかった。
 彼女は優しく優しく微笑みました。

「君に幸せがくることを、僕は祈っているよ」

 彼女がそういった瞬間、まるで本当に私の幸せを願っているかのように色とりどりの花びらが私の頭上から舞い降りました。それはまるで花のシャワーのようでした。
 それはありえない現象のはずでしたのに、若い姿をしながらも停止したままに思えた彼女が其処に居たからこそ、まるで幻想のようなそんな事実まで私は受け入れられたのです。

「君が悲しむ必要はないよ。ようやくあの人の元へ行けるのだから。僕は――嬉しいのさ」

 その微笑みはそう、彼女のとても大切な人を思うときと同じ笑みだったのでようやく私は理解できたのです。
 彼女の大切な人が行ってしまった遠い場所とは――天国なのだと。

「君の道を歩むのだよ。辛くともくじけそうでも君の道を歩むのだよ。君は、とても強い子だからそれが出来るはずさ」

 にこりと彼女は笑いました。
 ふと頬を撫でられている感触がなくなり、不思議に思い彼女の手を見るとすぅっと灰になって空気の中へ溶けていきました。
 まるで、彼女の存在が嘘のように。

「じゃ、ね。また――会える日まで」

 彼女はにこりと笑ったまま、刹那のうちに全身を灰にし空気へ帰してしまったのでした。
 まるで、全てが幻想だったかのように。
 舞った花びらは私の周りで朽ちていたというのに、彼女だけが現実ではなかったかのように居なくなってしまったのです。
 それから私は彼女がいなくなったことが信じきれず、何度もその日本家屋へ行きました。
 けれど、全てが停止してしまっていたその人が現れることは遂になく。私は村正さんに引き取られたのでした。
 ええ、――それが初恋だと気付いたのは彼女が居なくなってから随分後のことだったのです。

 つまらない話だったでしょう?
 まるで、嘘のような話でした。――って、灯! 貴方なんで泣いているのですかっ、梵も!
 ――あの頃の私は彼女がいなくなったことをとても悲しく思いましたが、けれど彼女はとても幸せそうでしたから、彼女にとってはハッピーエンドとでも言うべきものだったのでしょうね。
 今思えば、彼女は何者だったのか――それが不思議でなりません。
 幻想的な出来事だったからこそ、私もわずか五歳の頃に体験したこととはいえ鮮明に覚えていたのでしょうね。
 ――っと、チャイムが鳴りましたね。さっさと席に着きましょう。ほたるはぼうっとしていないで下さい!
 ったく、初恋の話なんてこの胸に留めておきたかったのですけれどね――。



      >>20061111 語り調っていうのは難しいですな。



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