面会人




 面会者がいると監視員に告げられその名前を聞いたとき、アヤは驚きを隠せなかった。
 何故ならば、その人物がアヤの元へ来るとは到底思えなかったからだ。確かに、アヤの関係者ではあったもののその人物はアヤ・エイジアという世間へ向けた人物像はもとより、逢沢綾という人物にも興味を示していなかったのだから。
 ただ、アヤの全てであり代償を払ってまで保ち続けた脳を揺さぶる歌というものには興味を示していたようだったが……。それすらも、彼がアヤに会おうとする理由にはならない。
 だから、外界の全てを遮る銃弾をも突き通さないプラスチックの壁越しに彼の姿を見た時、アヤは自分が幻を見ているのではないかと思ったのだった。

「なにをそのように不思議そうな顔をしていらっしゃるのですか、アヤさん」

 端正な顔立ちに、まるで無機質な機械で表情を作らせたような嘘みたいに全てがパーフェクトな笑顔を作り上げた桂木弥子の助手こと脳噛ネウロは、至って純粋な声音でアヤに問うた。
 アヤは無邪気に(見せかけ)微笑むネウロを見ながら、彼が目の前に居ることを現実のものだと受け止めるために息を吐き、穏やかな笑みを見せた。
 弥子からネウロは超人的な力を保有していると聞いていたものの、アヤの中に彼への恐怖はなかった。
 アヤが感じる恐怖は唯一つ。――歌えなくなることだけなのだから。

「何故あなたがここに来たのか分からなかったの。不愉快に感じていたらごめんなさい、助手さん」

 ネウロはしかしアヤからの謝罪などなにも感じていないように、ただ笑っているだけだった。
 まるで、人間の扱いはとりあえずこれでどうにかなるのだと言わんばかりに。

「いいえ、不愉快だなんてとんでもない! 先生はこちらに何度か来られているようですが、僕は初めてですからね。そう思われるのも無理はありません」

 それは正に桂木弥子を無邪気に慕っている助手、という様なのだろうとアヤは思った。
 そのように演じなければいけないのは、超人的な力を有しているネウロという存在はしかし、完璧ではないということなのだろう。――完璧に近くとも。

「――面会時間も有限なのだしそろそろ本題に入ったほうがいいわね、助手さん。あなたの目的は何? 今更私自身のことを聞きたいわけではないでしょう?」

 息を吐き、まるで世間話をするかのように切り出したアヤへネウロは一瞬鋭く目を細めた。
 それはまるで獲物を狙うハンターのように容赦のない、生命の危機すらも感じさせる強いものだった。

「いやあ、分かっていらっしゃるのなら話が早い。直ぐに崩れてしまう豆腐のような頭を持った先生とは大違いですね!」

 しかし次の瞬間にはそんな事実などなかったかのように、ぱんっと手を叩いて無邪気な笑顔をアヤに向ける。
 無難に微笑んでいるアヤに、ネウロは嘘をつけば容赦しないとでも言いたげな目でじっと彼女を見つめたが、しかしそれは一瞬のことで例の笑顔を向け何でもないことのように切り出した。

「先生はこちらで何を話されているのです?」

 その言葉にアヤは首を傾げざる得なかった。
 ネウロにとって桂木弥子の存在は例えば、ジャンプしても届きそうにない高い崖へ上るために便利だからと使う梯子ぐらいの価値しかないのだと桂木弥子本人が述べていたし、アヤも短い期間ではあったが彼らの関係性を観察し出した結論は桂木弥子と同等のものだった。
 故に、ネウロの桂木弥子への執着とも言える発言が不可解に思えたのだった。

「どうして? あなたは探偵さんそのものには興味を持っていないでしょう? 何故、そのようなことを聞くの?」

 アヤはネウロからの質問を答えるよりも先に、質問を返していた。
 それは応酬話法としては最悪の部類に入る返事の仕方ではあったが、ネウロは別段気分を害した様子もなく少しばかり本性を見せたような――そう、至って無邪気に見えないような――笑顔で答えた。

「僕は、僕の飢えを満たす上で障害になりえそうな情報は事前に入手しておくことにしているのですよ。情報を多く持っているほうが様々な札を出せるでしょう?」

「私が探偵さんになんらかしらの影響を及ぼすと?」

 その考えは杞憂だとアヤは思っていた。
 桂木弥子は確かに他人の感情に共感しそれを理解する能力に長けていたが、しかし流されないことは彼とともに事件を解決してきた経緯からも分かる。
 もし、アヤ程度の意見で流されるのであれば、彼女が起こした事件は原因を知られることもなく世界の底へ埋没しただろう。

「僕には何故他者の意見が自己に変化を及ぼすのか理解できませんが――、人間とはそういうものなのでしょう?」

 アヤの言葉に対して返ってきたものは、彼に似合わず可愛らしいものだった。
 彼は彼なりにここへ来て人間というものに触れ、人間を理解しようとしている。それが手段であることはほんの些細なことだ。大事なのは、そうしようとしている彼の感情にある。
 アヤは彼の基本情報を、"食事を取るために桂木弥子を探偵として仕立て上げ、自分が助手をしている"という程度のものしか知らなかったが、理解しようと努める原本の感情はどれだけ脳が特殊な構造をしていようとも、人間とそうは変わらないはずだ。
 そう考えたら、目の前の超人的な力を有するどこか得体の知れない生き物がぐぅんとアヤの身近へ来たように感じた。

「そうね」

 だからこそ、アヤは口元に手を当て微笑むと同意を示した。

「もうひとつだけ、聞いても構わないかしら?」

「僕の質問に答えた後ならば」

 直ぐに返事を返したネウロにアヤは、探偵さんがここに来るのは自分の考えを納得させるためであって、決して私の意見を取り入れるためではないわ。私は探偵さんが自身の力を感じた初めての事件の犯人だから。と答えた。
 すると、ネウロは用は済んだとばかりに席を立つ。
 その動作の最中にアヤはその聞きたかったことをネウロに問うた。

「慣れ親しんだナイフとフォークに執着があるの?」

 その言葉にネウロはにやりと笑った。

「確かに"ナイフとフォーク"を捨てるのは容易いでしょうね。既に皿とナプキンは出来ているのですから」

 けれども、とネウロは続ける。

「便利に使おう、と健気にも努力してくださっているうちは捨てませんよ。――その可能性が潰れる前までは」

 にこり、と笑ったネウロは面会時間を終わりにしてください、と述べて軽やかに退出した。
 アヤはその様子をプラスチックの壁越しに眺め、呟いた。

「彼の脳の構造を理解するのは存外容易いかもしれないわね」



      >>20070412 二周年企画にあったネウヤコの没版。



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