夢の途中




「全て世は神の御心のままに平らかなり…神の忠実な僕たる我の心もまた凪いだ水面のごとく―」
「それは嘘ですよぉ、神父様ぁ」
祈りを捧げていた神父の背後に微塵も気配を感じさせずに近付いてきた少女の語尾をのばした少し舌っ足らずな声を聞き、溜め息一つ混ぜつつ振り返る。
「ライサさん…こんな夜遅くまで一体どこをほっつき歩いていたんですか?夜遊びもほどほどにして下さいよ、女の子、なんですからね?僕もフィリアさんも心配していたんですよ」
少し強い口調で叱ると
「それも嘘ぉ…まぁ、フィリアの心配ってゆーのはぁ本当かもしれないけどぉ」
金色の髪を揺らし小首を傾げる姿は愛らしく、青く輝く瞳には邪気などこれっぽっちもありはしない。
血の繋がりなど全くない赤の他人なのだが、フィリアとライサの容姿はかなりよく似ていた。
姉妹でもそのままで通ってしまいそうなほどに。
フィリアとライサ、二人とも明るく優しい少女であることにはかわりがなかったが―
フィリアは生真面目、ライサはちゃらんぽらん。
二人とも彼の愛すべき娘達ではあったが。
一緒に同じく育てたはずなのに、どこで間違えてしまったのだろうか?
時々考えてしまう神父だった。
「そうじゃありませんよ。僕達は“家族”なのですから。ごく当たり前に心配しています」
「家族ゥ?本当にぃ?本当ぉ?じゃぁ神父様、あたしのコト、ちゃんと愛してるぅ?」
今日はやけに絡みますねぇ。
「愛していますよ、“娘”として、ね」
「ふーん、そおぉ?フィリアのコトはぁ?」
「あなたと同じですよ“娘”として愛しています」
神父の答えに
「そんなワケ、ないぃ。ヴァルガーブ様が言ってたぁ。神父様は本当の“悪魔”だから誰かを愛せるワケがない。家族のフリをして、愛しているフリをして…いつかあたし達の命を喰らうためにあたし達を“飼って”いるんだって。本当にあたし達を愛しているのは、俺だけだって…ヴァルガーブ様言ってたぁ」
青く光る眼にうっすら金色の輝きを宿しはじめ
「ヴァルガーブ様?…ライサさん、あなた―」
「ぐぁーッ!!」
獣のような咆哮をあげ、数瞬前の乙女は見る見るうちに変貌する。
目はつり上がり、口は大きく裂け鋭い牙が二本光る。
長く伸びた爪を振り回し神父に襲いかかる。
神父は軽く身をかわしつ、舌打ちし
「いつの間にヴァルガーブさんの“花嫁”になってしまっていたのですかぁ?!本当にもう…煩わしい!!」
吐き捨てた時、彼の表情はそれまでの人間らしい温かみを持ったものとはまるで正反対の一気に熱を失った冷酷無情な顔。
金色の瞳に見据えられると、ゾクリと寒気を覚えるような空恐ろしさを感じる。
神父がすっと右手を正気をなくした少女の前に翳すとその周囲に黒い霧が立ちこめる。
「速やかに汝の帰るべき闇に帰れ!」
「ぐ…ぎ、う゛ぁ、るがー、ぶさまぁ!」
一声啼くと、くたりと息絶える。
苦痛に歪められた顔はそれでも獣の顔から、もとの少女のそれへと戻っていく。
そして徐々に―徐々に干し干涸らびていく頃合いをまるで見計らったかのようにぎぃーと、扉が押し開かれて―

「ライサ、…神、父様?」
瞳と瞳がかち合って―
『え?!金、色?』
神父様の瞳は深い紫色だったはず。
金色を帯びた瞳を持つ者―それは“魔”。
「フィリアさん…あなたも本当に絶妙なタイミングで―」
私のこと、呼んだ?
神父様と同じ声で…それじゃぁ、この目の前にいるのは―神父様なの?!
「らい…さ」
干涸らびた物体に目を落とす。
艶をなくした金色の髪と、身に纏う衣服だけがそれがかつてライサであったことを私に教える。
「ばっ、化け物っ!!」
「…悲しいですねぇ。オムツも換えてあげた愛しい“娘”から“化け物”呼ばわりされるなんて。でも、あなたは―昔から賢い娘だったから、いずれ僕の正体に気付くとは思っていましたよ」
「どうして、ライサを殺したの?!」
「あぁ、…この娘ですか」
闇の中に金色に煌めく邪眼ついと私から外し、今や干涸らびたミイラとなった少女に向けそれからまた私に視線を戻す。
「喉が渇いていたから―血が目覚めてしまったからなのでしょう、多分」
クスリと小さく笑い
「あなたに似ていたから、かもしれない」
スッと伸ばされた左手に
「私に近付かないでっ!!」
ずいと、銀の十字架を押しつける。
「―っ!」
眩い光とともに、じゅっと肉の焼ける音。
「え?!」
くっきりと彼の掌に赤く焼け爛れた十字架の痕。
まるでスティグマのように―
「フィリアさん、その十字架大切になさい?僕のような“化け物”には効果覿面ですから」
焼け爛れた手を降ろし、平素の少しくだけた、だけれども温かみのある―
『神父、様、…だ。だけど、だけどっ―』
瞳に涙が溢れ出す。
ぽろり…頬を伝う透明な一滴。
私は…何が一番悲しいの?
今日一日の出来事が目まぐるしく頭をめぐる。
だって本当に色々ありすぎたのだ。
今日で一緒にいられるのは最後だったのに、ヴァルガーブとは些細なことでケンカしてしまって
あまりの気まずさに気後れして「サヨナラ」の一言しか言えなかった。
とどめが、変わり果てたライサの姿に神父様の正体だ。
「…どぉして」
あまりのショックに緊張の糸がぷつりと切れたのかもしれない。
体を支える力が抜けてしまってへたりとその場に座り込んでしまう。
本来なら、この神をもたばかる邪悪な化け物から逃げ果せなければならないのに。
「酷い、裏切りです、神父様。私も殺すのですね?」
震える声で、しかし瞳はひたと神父様を見据える。
「…今、あなたを殺すのは止めておきます。“汝、光と共に在れ”か。全く神のご加護の厚い娘に育ったものです。この通り痛い目も見てしまいましたしねぇ。あーあ、長く一緒にいると情が移るって本当なんですね。僕も随分と人間臭くなってしまったものです」
邪眼の煌めきを少しやわらげ、ニコリと微笑んで
「さよなら」
一言告げるとすーっと闇に溶けて消えてしまった。
「神父様?神父様ぁ?!」
ガランと朽ちた礼拝堂に私の声だけが空しく響く。
みんな、みんな消えてしまった。
私の前から。
大切だと思っていた人達。
ライサも、ヴァルガーブも―そして神父様も。
13才の真夏の夜に。
月明かりだけが蕭々と照らす。
一人取り残された…
「…さよなら」
“魔”の恐さを知らなかった、彼の本性を知らなかった、幸福な少女だった私に―
「さよなら」

さよならは別れの言葉じゃなくて
ふたたび会うまでの遠い約束―



      >>20050824 またまた頂きました♪九音様、有難う御座います!



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