まるで花弁のように
キノさんの笑顔を見ることはほとんどなかった。
それは過去を引きずっているのかそれとも、旅人ゆえに気を引き締めているのか、何処に笑わない要因があるのか俺にはまったく理解できない事であった。
ふと記憶を辿ってもやっぱりキノさんの笑顔の記憶はなくて、きっと笑えばとても愛らしく素敵なのだろうな、とは思うのだが実物には未だにお目にかかれない。
そんな、旅の途中。
俺達は次の国へと行く途中にある大きな木の下で一泊する事になった。
本当は森の中のほうが身を隠せるのだが、森など無いのだから危険でも妥協しなければいけない。大きな木、というのも目印になるのかもしれないが、草原で眠っていてもバギーやらモトラドやらがあるのだから大して変わらないだろう。と、話し合った結果、大きな木の下で野宿する事になったのであった。
ぱちぱち、と火が音を立てて燃え盛る。
暗闇の中でする焚き火は獰猛な動物から見を守るために役に立つ。それ以上に、明かりというものは存外人間の心を安心させてくれるものだった。
刀をバギーに立てかけて直ぐに反応できるようにしていた俺に、キノさんは声をかけた。
「あ、綺麗ですよ」
言われて、キノさんのほうを見ると左手が空を指差していて、それに合わせて上を向くと雲ひとつ無い満天の星空が俺達をきらきらと照らしていた。
それは夜の空だから見れる美しい景色。
「本当ですね」
呟くと、キノさんのくすりと笑ったような声が聞こえて俺はキノさんを見た。
少しだけ表情を変えたキノさんはぐんと幼い表情になっていた。無理して背伸びをしているように無表情で大人びている表情よりは、俺はこっちのほうが好きだと思った。
「旅をしていると、こういう星空は良く見るのですが…やっぱり、何時見ても綺麗だと思いますね」
綺麗だと思う心は何度見ても色あせないということだろうか。
例えば、俺がキノさんの側面を見てもまったく嫌いにならないように、人間のどこかに普遍の意思みたいなものがあるのかもしれない。…などと、想像上でしか思えないような事を考えた。
「ええ。でも、いつも同じ星空を見ている、と思いがちですが俺達は別の星空を見ているんですよ」
「え?」
キノさんは不思議そうにその黒炭のような瞳の奥に光を煌かせて俺のほうを見た。
こうして、俺のほうだけ見てくれていればどれだけ嬉しいか。
けれど、キノさんが俺のほうを見てくれる機会なんて本当に少ない。それが、きっと俺とキノさんの思いの違いなんだろうな、と思う。先に恋をしたほうの負け、なんて言葉があるけれど、俺にはまさしくそれが当てはまっているのだから。
「だって、前にキノさんが見た星空とは場所も状況も違うでしょう?」
「そうですが」
「だったら、それは一緒ではないんです。そういう意味ではこの星空も罪作りですよね」
まったく俺が言わんとしている言葉に気付いていないようだった。
見ている限り、なんだかキノさんは恋愛ごとに対して奥手のような気がしたので、それもしょうがないかと俺は少しばかり苦笑してしまっていた。
それに気付いているのかいないのか、キノさんは俺をきょとん、と炎越しに見ながら先を促した。
「どうしてですか?」
「様々な表情を見せて俺達をこんなにも魅了するのですから…キノさんも、ね」
そう言って口角を上げると、炎越しに見ていても分かるくらいに赤くなったキノさんの表情が見えて、なんだか可愛らしくて思わず笑ってしまった。
すると、キノさんはむっとしたのか唇を尖らせて、でもふんわりと笑った。
それはまるで花びらが咲き誇り、花弁が舞い散る前のように。
その表情は俺を魅了するには充分すぎるほどのもの。
「敵わないな」
呟くとキノさんは不思議に思ったのか立ち上がり炎の上から俺の表情をのぞき見ようとしたので、俺も立ち上がり、炎で赤く見える以上に少し赤い頬に頬が緩むのを感じながら、キスをした。
それは、俺の記憶の中での一番のキノさんの表情。
>>20051015
そうして記憶を共有する。
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