体の奥が蕩けそう




 ざざん、と音が聞こえる。
 道なり通りにモトラド(注・二輪車。空を飛ばないものを指す)を走らせ、バギーのエンジン音をBGMとして聞きながら旅を続けていると、どうやら海沿いに出たようだった。
 前の町で貰った地図に書いてあった国の場所が海沿い――港町、と呼ばれるところであったから海が見えてもさしておかしくはないのだが。

「キノさん、少し見ていきませんか?」

 シエノウスのバギーからそんな声が聞こえ、ボクは返事をした。

「いいですよ」

 浜にモトラドごと入ろうかと思ったのだが、当のモトラドから「間接部に砂が入ってじゃりじゃりになるのはヤだからね、キノ」と言われてしまえば、なんとなしにモトラドを入れようと思っていたボクが反論する言葉を持ってなかったこともあり砂浜になる少し前でモトラドを止めると、シエノウスのバギーも習うようにモトラドの隣に止まった。
 そうして降りてきたのはバギーの運転手だけで。

「陸君は海に行かないのかい?」

 助手席に座っていたもふもふと柔らかく白い毛を持ったいつも笑っているような顔をしている犬に問いかけると、犬は変わることなく笑っているような顔をボクに向けた。

「私はここで待たせてもらいます。……ポンコツと共に、というところだけは激しく気に食わないのですが」

「きぃーっ! ぼくだってお前と一緒なんて鳥肌が立つぐらいイヤなんだっ」

「その身体のどこに鳥肌が立つような機能を有しているっていうんだ、思考回路に決定的な損傷のあるモトラドが」

「お前のその小さな脳味噌には例えっていう素晴らしい表現方法がないみたいだな!」

「なんだと、誤植変換ポンコツモトラドっ!」

「なにさっ、卑屈で低脳な下僕犬っ!」

 どうやら、二人の言い合いに火がついてしまったようで、ボクとの会話を完結するよりも先に罵り合っている。
 こうなってしまえば二人の気が済むまで罵りあいは止まらないので、気にすることなくボクは海へと歩き出した。
 その少し後ろからは、刀を気にしているのか柄に手を置いている緑色のセーターを着た青年ことシズさんがのんびりと歩いてついて来た。
 しゃりしゃりと砂がぶつかり合う音と、ざぶーんと波の音が聞こえてきてどこか心をほっとさせる。海の音は人の心を安らぐ波長を出しているのではないだろうか。
 そんなことを思いながら、波打ち際まで来るとしゃがんで海の水に触れた。
 夏場でも冬場でもない今の時期の水は、冬場ほどではないものの冷たく感じる。

「海水浴にはまだ早いみたいですね」

 のんびりと波の心地よさに浸っていると、いつの間にか隣に来ていたシズさんが波に触れていたボクの手を覗き込んで、言った。
 何度も体験したその至近距離にドキッとしてしまうのは、恋心という厄介かつどこか甘い現象の所為だろうか。

「海水浴は出来なくとも、港町ですから魚介類の料理が美味しいはずです。ボクはそっちのほうが楽しみかな」

 それでも、ドキッとしただなんて仕草をまるで見せないままどこかおちゃらけた言葉を発しシズさんを見ると、彼は楽しげに笑っていた。

「食も文化の一つですし、食を楽しめるということはそれだけ精神に余裕があるということです。健全だし、素敵なことだと思いますよ?」

 発せられた言葉の内容は、何故だか妙に理論的で思わずくすくすと笑っていた。
 ボクが何故笑ったのかわかっていないシズさんは、驚いた顔で笑っているボクを見ている。

「他愛もない話題なんですから真面目に返さなくったっていいんですよ?」

「そうですか」

 ボクの言葉でようやく合点がいったのか、シズさんは照れたように笑った。
 なんだか胸の奥がぽかぽかと暖かくなっていくような気がして、シズさんの表情を逃さないようにと風に揺られ顔にかかる髪を押さえた。
 その仕草に何を思ったのか、シズさんは少し長くなったボクの髪の毛に触れた。

「随分伸びましたね。切らないのですか?」

 その言葉に少しだけ動揺した。
 何故なら、ボクが今のところ髪を切らないのは――シズさんの所為なのだから。
 いつもなら鬱陶しいかな? と思う頃になると訪れた土地で切ってもらったり、タイミングが悪くそういう場所がなかったり国と国を行く途中で思い立ったりすると自分で適当に切りそろえたりしていた。
 髪が短いということは単純に動作の邪魔にならないようにしていたこともあるが、なにより深層心理で少女性を切り捨てていた所為でもあると思う。
 その時はそんなことを思わなかったのだが、ボクが"キノ"を名乗ったということはやはり自分のステータスにあった"ごくごくふつーの女の子"という要素を切り捨てていることに他ならず。
 髪を伸ばすということは必然と"ごくごくふつーの女の子"であった×××××を髣髴とさせるものだったから。
 その少女性を徐々に容認し始めている今思えば、きっとそんな心理が働いていたのだと思う。
 そして、ボクが×××××だったということも旅人であるということも含め、"キノ"ではないキノを確立させようとしている今だからこそ、ボクは髪を切る必要がなくなったのだ。――シズさんへの思いと共に。
 けれど、それを本人の目の前で容認するのはまだ流石に恥ずかしくて、誤魔化すためにいつも通りの無表情でシズさんの目を見た。真っ直ぐ目を見てつく嘘のほうが本当と間違えてくれるので。

「今のところ必要ないですから」

 本当を交らせた嘘を。
 根本的には本当なのだが、ニュアンスとしては嘘も含まれている。大部分の理由の説明は省いているのだし。
 けれどシズさんは何を思ったのか、穏やかに微笑んだ。

「貴方は貴方を偽らないまま、俺と向き合ってくれているのですね」

「シズさん?」

 意味が分からず彼に問いかけるけれど、シズさんは微笑んだまま。

「ようやく、貴方に言うことが出来る」

 そうして囁かれた言葉と唇に落ちたキスに、まるで身体の奥が蕩けそうになった。



      >>20070316 あれだけキスしておきながら告白していなかったんですよ(笑)。



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