壊れても、いいから




 曖昧な返事をしただけで、キノさんは俺に明確な答えを与えてはくれなかった。
 海岸沿いで見た彼女は、初めて会ったときのような旅人である自分以外の自分という属性を排除する要素がまるで見受けられず、そう可愛らしい少女のようだったので(といっても、決して初めて会った頃のキノさんが可愛らしくないというわけではない。それ以上に感情を排除した旅人としての要因が強かっただけなのだ)俺は自らの思いを彼女に打ち明けた。
 今ならば、彼女は彼女の本質そのままに――旅人という唯一つの視点からではなく、自分の性別や思考などのあらゆる観点から見たキノさんという一つの人間として、俺への返事を返してくれると思ったからだった。
 もっとも、そこには驕りもあったに違いない。
 二度目の同行を許容してくれた彼女は触れ合いに対しても抵抗を見せなかったから。
 唇を寄せる、という嫌いな人間には決して許さないようなそれを許してくれていたから。
 きっと、彼女はなんらかの答えを――更に言えば俺にとってとても良い結果をもたらす答えを――くれると思っていたのだ。
 海岸沿いを抜け、港の国に着いた俺達は例に漏れず三日を其処で過ごした。
 焦って答えを急かすのも如何なものか、と思ったので俺はキノさんの様子を伺っていたのだが普段と変わることは何もなく、いたって普通に観光地めぐりをし歴史を知り食事を楽しみ、そうしてその国を出たのだった。
 ぶろろろん、とエンジン音を共鳴させてもしくは不協和音のように響かせて、モトラドとバギーの並行は俺の気持ちなどまったく無視していつも通りに進んでいた。
 港の国から海岸沿いに抜けるのではなく、森の中をひた走っていると比較的深い森ではなかったようで直ぐに光を燦々と浴びることが出来る草原に出た。

「――少し、止まりましょうか」

 草原を見て提案したのはキノさんだった。
 その言葉と共にモトラドのブレーキがかかり、俺もそれに倣ってブレーキをかける。
 そうしながらキノさんの表情をうかがってみるものの、旅人ゆえ身に付けたのだろうかいつも通りのポーカーフェイスだった。
 キノさんはモトラドから降りサイドスタンドを下げると、俺のほうを見た。

「少し歩きませんか?」

 その言葉に、なんとなくなのだが告白の答えがもらえるような気がして頷いた。
 そうしながら陸のほうを見た。
 陸は分かっている、と言うかのように助手席で静かに背筋を伸ばして俺を見ていた。

「お二人でごゆっくり。私は不愉快ではありますが其処のモトラドとどうでもいい話でもしておりますので」

「お前はいつも一言以上不必要な言葉を付けるよなっ!」

 モトラドことエルメス君は苛立ったように叫んだ。これで仕草というものを表せたのならばきっとふんっと首を陸とは反対の方向に向けていただろう。

「では、行きましょう」

 ともかく二人の許可を貰ったので俺達はのんびりとこの草原を歩いていく。
 風がさらさらと靡いて気持ちがいい。
 海の近くで感じる風も爽やかでとても気持ちのいいものだったが、塩の匂いが瑞々しい草木の匂いとなり穏やかにさせる風だった。
 少しばかり陸たちと距離を取り、恐らくあちらには俺達が喋る内容を把握できないだろうと思われるところまできたとき、キノさんは足をぴたりと止めた。

「シズさん。ボクは貴方と旅をするようになってから、自分がとても臆病だったのだと気がつきました」

「――キノさん?」

 俺にはキノさん言葉が分からなかった。
 けれど、キノさんは俺の問いかけに答えることなく地平線の彼方にある空を見つめながら、口を開いた。

「ボクは変化を恐れていました。あの国を出てから旅人になることだけがボクの全てで、旅人というものにボクの人格すらも注ぎ込むことで、ボクは僕自身の変化を望みながらも不変であり続けようとしていました。何者にも執着せず何事にも興味を抱かず、一介の旅人であることによってボクは、――多分"キノ"を、旅人なのに優しかったあの人を、忘れたくなかったのだと思います」

 あくまで、仮定に過ぎないのだけれどと確信の篭った声でキノさんは呟いた。
 その言葉に俺は、以前にも聞いたことがあったなと静かにキノさんを見ていた。

「けれど、彼は死んだ人間で僕は生きている人間で。ボクは成長をし続けるし、経験を積むことで見えなかったものが見えてくるんです。旅人になったことでボクは意図的に"女である自分"を捨てていたのだと」

 そうして、ようやくキノさんは俺のほうに視線を向けた。
 戸惑いを含めた、少し怯えているような目を。

「そして、捨てていた"女である自分"を貴方と旅することによって表面に浮かび上がらせていた。――怖かったけれど、認めたつもりだったのです。貴方の旅を一時終わらせ、また再開させた時点で」

 だから唇が触れることも触れられることも許容していたし、シズさんに触れることも楽しんでいたしどきどきしていたのだとキノさんは言った。
 その言葉に、ようやく自分の感じた好意は間違っていなかったのだと認識できた。
 でも、とキノさんは少し辛そうに視線を下げた。

「貴方の告白を聞いて身体の芯が熱くなり蕩けてしまいそうな感覚を覚えると共に、恐怖を感じたのです。――これで全てが壊れてしまったらボクはどうしようか、と」

「キノさん――」

「ボクは結局、あの国を出るとき人に頼ることしか出来なかった臆病な少女のままだったのです」

 そうして、キノさんは少しだけ笑った。
 けれど、その目は今にも泣き出しそうなものだったから俺は彼女の目尻に唇を寄せた。きつく抱き寄せもせず、そんな慰めのようなキスしか出来ない俺もやっぱり臆病者なのだろう。
 それでも。

「壊れても、いいから」

 触れることも出来るのに触れぬ場所で俺は呟いた。

「我が儘でエゴだけど。臆病な俺に言えることじゃないけど。――それでも、全てを飽和し打ち捨てても貴方が貴方らしくあることを、俺は貴方に願うのです」

 願うように瞳を閉じると、ぎゅうっと抱き寄せられ穏やかでしかし熱くも感じる体温を、とくんとくんと紡ぐ鼓動を感じ。
 俺はようやく少女らしいしなやかな身体を抱きしめることが出来たのだった。



      >>20070404 そして、シズキノ十四題の十四番目に行くのです。



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