the Beautiful World
キノは旅を続けた。
子供連れ、というものは酷く奇怪なものだったらしいが、しかし殺し合いになろうが命を奪われそうな事に巻き込まれようが、子供の手を離すことは決してなかった。
いつだったかは子供の居ない夫婦に、キノの子供を預けてはくれないかと頼み込まれ、過酷な環境下に子供の身を置く事に身勝手な行為だと罵倒されたりもしたが、キノは子供の手を離すことはなかったし旅を止めることも無かった。
運がよいのかはたまたキノの腕が全てを追い払っていたのか誰にも分からなかったが、ともかく子供は順調に成長を続けた。
そんな子供に、キノは自身の身を守れるようにと早い段階からパースエイダーの取り扱いから、必要な技術の習得や旅においての心構えなど多種多様なものを叩き込んだ。
時には子供を生む前に訪れた国の話をしたりと、子供に教えられる事は教えたし答えられる質問は全て答え、キノはキノらしく母親をしていた。
しかし、そんな中でも父親の話が積極的に話題に上がる事は殆ど無かった。
もしかしたら、生まれたときから父親が居ないという状況下について子供なりに理解していたのかもしれない。
ともかく、子供は時には父親の事まで多種多様に質問した。
ねぇ、と子供はキノを見上げて聞いた。
「どうして、僕を生んだの?キノさんならば僕を生まない選択のほうが賢明だったはずだ」
キノはその質問に別段表情を変える事も無く、いつものように無表情のまま子供を見た。
子供は不安に満ちたものでもなく、だからといってわくわくしているわけでもなく、ただ真実が知りたいと言いたげにじぃっとキノの目を見つめていた。
いつも何かしらの疑問を問うときはこのような嘘を許さぬ表情をするので、キノはいつも彼の父親のことを思い出していた。
「ボクは運に従う。君が生まれることになったときにはボクに定住しろ、ということかとも思ったけれど――けれど、ボクは旅を続けたかったからこうして旅をしているんだ。君を生まない、という選択はボクの中ではなかったよ。ただ、安定した生活をボクの我侭で君から奪うことは心が痛むけれど」
また、ある日には野宿をして火を起こして和気藹々と喋っているときに、子供はふとなにか思い立ったように質問をした。
「父さんとキノさんの間では愛ってやつがあったの?」
その言葉に一瞬キノはひゅうっと空気を吸い込むと、その真っ黒で真っ直ぐな光を点した瞳を見つめた。
嘘など許さぬその瞳を。
「…それはボクには分からない。彼とはそんな言葉のやり取りなど一切なかったしね。けれど、君は生まれた。もちろん、愛がない相手でも子供は出来るときは出来るものだけれど。でも、少なくともボクのほうは――」
そして、ある時には宿屋の一室で柔らかなシーツに身を任せながら遊んでいるときに、ふとじぃっとキノを見て子供は質問をした。
「父さんは一体何をしていた人なの?」
「ボクと同じく、旅人だよ。ただ、ボクのように望んで旅人になったわけではないけれどね」
キノは決して自ら子供の父親である男の話をしようとはしなかったけれど、子供が質問するそのほんの少しは答えていた。
子供もそれほど積極的に遺伝子上では父親である人について聞こうとは思わなかったけれど、ほんの少し上る話題をかき集めては、おぼろげで不可思議な父の姿は彼にとって不思議でそして何時の日か一度は会ってみたいような、一種憧れの人と化していた。
もちろん、彼はそれをキノに一切言わなかったし、言うつもりも無かった。そして父と会うことを望むこともしなかったが、彼が父親のことを聞いてくるたびにキノは少しだけ微笑みを浮かべた。まるで、自らの子供の気持ちを理解しているかのように。
旅は何時までも続いて、子供が生まれてから8年の月日が経とうとしていた。
その国は無人と化していた。
そんな光景を眺めるようにバギーの運転席に乗っていた、緑色のセーターを着た妙齢の青年は静かにただ静かに前を見つめていた。
そうして、数分が流れただろうか。
緑色のセーターを着た青年は、助手席に乗っていた白髪の少女に視線をやるとにこりと人の良さそうな柔らかい笑顔を浮かべた。
「ティー、そこで待っていてくれるかな?」
「……」
ティーと呼ばれた白髪の少女は何も言葉を発することは無かったが、緑色のセーターを着た青年はそれを同意と受け止めたようだった。
緑色のセーターを着た青年は腰に吊るした刀を確認するように軽く持つと、大きな孤を描いた建物の中に入っていった。
青年は何かを求めて旅をしていた。
表面上では無くなった――いや、ある意味青年の手で無くしたかった故郷のような、落ち着ける定住地を探すのが目的だったのだが、その深層心理ではまた別のものだったのかもしれない。
例えば、安定した何かだったのかもしれないし深く安心し落ち着けるような場所や人だったのかもしれない。
そんな当てのないものを捜し求め各地を回っては、とても美しく時にはとても悲しい国や風景や人を眺めては留まることを知らずにただ、突き進んでいた。
けれど、青年の求めていた漠然とした何かは手に入らぬまま月日は流れ、青年が旅を始めるきっかけになった場所に立っていた。
中に入り、真っ直ぐ中心地に向かうとまるでドーナッツ型のように天井がなくなり、中心は外になっていた。ぐるりと孤を描いて宙からみれば円状の形を模しているそこにはごろごろと岩がまるで障害物のように置いてあり、視界を微妙に遮っていた。
地面には背の低い草が生えて、空は何事もないかのように青々と流れていた。
そして、天井がなくなった建物の中央に行くとそこには人影があった。
「…君みたいな小さな子がこんな何もないところに如何して居るんだい?」
緑色のセーターを着た青年は生まれた疑問を率直に口に出していた。
黒髪を無造作に短くした、ライダージャケットを着込み腰にはパースエイダーを吊り下げている10代なるかならぬか程度少年は、緑色のセーターを着た青年の無礼な発言に怒るわけでもなく、だからといって笑うわけでもなく青年を見ずに淡々と呟いた。
「母が前に訪れたときに此処には国があったって聞いたんだ。その国では強制的に試合をさせて、優勝者には市民権を与え、現在の憲法にそぐわないような事であればなんでも一つ法律に追加する事が出来る、と。そんな虚しい街も今はただ、雲が流れるだけなんだなぁと思って」
それは答えになっているようで答えになっていないものだったけれど、緑色のセーターを着た青年はふっと頬を緩ませた。
「君は、そう思ったんだね」
「ええ。でも、この空のようにこの風景のように、美しいものの裏にはきっと悲しいものがあるんだ。それを見るために母は旅をすると言っていたし、――僕もそうなのかもしれない。母は僕が父親によく似ているというけれど」
それは10歳程度の少年が発するような言葉ではなかった。
様々な経験を積んでいろいろな景色を見てきたものが言える台詞で、本来ならば10代前後の少年にはそれほどの経験などありえるはずが無いのだから。
だがしかし、青年にはこの少年が何年も旅をしているような気がした。旅をしているから、様々な国を訪れ様々な考え方の人間を見ているから、そしてその中で利益さえあればもしくは自己満足さえ満たせれば、人すらも殺すような風景を見てきたから、そんなことが言えるのではないのだろうか、と。
青年は、少年の漆黒の瞳を見た。
「君は根っからの旅人のようだね」
「いや――、多分まだまだですよ。そう言えば、お名前聞いていませんでしたよね?」
少年は困ったように頭を掻くと、緑色のセーターを着た青年に問うた。
その言葉に青年はふわりと人の良いような笑みを浮かべると言った。
「ああ。私はシズという。――君は?」
「シキです。っと、もうそろそろ母のところに行こうと思います。急ぎの旅ではないのですが、探し回っていたら困りますからね。明確な待ち合わせもしていませんでしたし」
思い出したように言うと、少年――シキは柔らかく笑った。
そんなシキの光がともる漆黒の瞳を見ていたら、緑色のセーターを着た青年、シズは何故だか幾年も会っていない人……自身の代わりに変化への手を下し、そして時には自分をも助けてくれた人をふと思い出した。
似ているのだ、とシズは思った。
その透き通るような眼差しが。
だから。
「――、君を見ていたら大切な人を思い出したよ」
そう言って、シズは笑った。
「さて、私もそろそろ行かないと。外に人を待たせている」
ティーのことを思い出したシズは、さすがにいつまでも感傷に浸っているわけにはいかないのだからと言外に付け足しながら気配を感じて視線をあげた。
遠目だったことでおぼろげだったシルエットはこちらに近づいてくるようで、徐々にはっきりしていく。
そうして肉眼でしっかりと確認できるようになったとき、シズは驚いていた。
「――久しぶりだね、キノさん」
思わぬ人に出会ったことに、驚きながらも半ば嬉しさでシズはにこりと微笑んだ。
何年ぶりかの姿は、幼さが強調されていてまるで少年≠セった姿をすっかり1人の女性に変えていた。それは荒々しさも優しさも全てを包括しその身にそれらを宿した姿に。
何年か前ではキノと並ぶと大きく感じたモトラドも、もともと番であったかのようにぴったりと一つになっていて。
けれど、透明なぐらい真っ直ぐに前だけを見ている瞳はあの頃のままだった。
腰につけたパースエイダーも羽織っている茶色のコートもまったく変わることはなく。
キノは、シズの姿を確認するように真っ直ぐに彼を見た。戸惑いも驚きも何の感情も見せない無表情のままで。
「ええ、陸君は?」
「…私が陸と最初にあった街で息を引き取った。とても長寿だったよ。ただ、定住地で静かに暮らすことが出来なかったのが、悔いだけれどね」
少しだけ悲しげに微笑んだシズに、キノはそうですかとぽつりと呟いた。
「そっか、あのバカ犬は」
キノと並んだモトラドの声は、まったくいつも通りの少年だか少女だか判別のつかない甲高いものだったのだけれど、どこか悲しげで。
「ティファナさんは?」
どうやら、入ってきた位置が違うらしくキノはティーの姿を確認していないようだった。
入ってきた位置からもそれは予測できたのか、シズは別段戸惑うことなく先ほどとは調子を変えて、静かに微笑んだ。
「元気ですよ。俺の我侭で過酷な旅を強いてしまっていますけれどね」
「そうか。よかったねー」
先ほどと調子を変えて喋るモトラドに、シズはほっとしたような微笑みを浮かべた。
そうして、そう言えばとシズはキノとシキを交互に見た。
「シキ君ってキノさんの息子さん?」
ごくごく普通の問いかけに、キノは少しだけ眉を上げた。
しかし、表情の変化はそれだけで、いつも通りの何を考えているのかいまいち読みづらい無表情に変わると一言呟いた。
「ええ」
「キノさん、シズさんと知り合いだったの?」
シキは首を傾げて不思議そうに隣に居たキノに聞いた。
まるで彼の話を聞いた記憶がなかったから。
「まぁねー。まさか会うとは思ってなかったからキノも話してなかったんだよ」
キノの代わりに答えたモトラドは、いつも通りのどこか間延びした力の抜ける口調で言った。
その言葉を聞きながら、シズは不思議な気がした。
あの日、命を捨てるのを前提で全てを壊してシズの幸せを全て奪った父親を殺そうとした日、気負いすぎたシズを難なく倒し、殺し合いをまるで狂ったように笑いながら見ていたシズの父親を殺し、あっけなく復讐が終わった日。
そのときに居たのは、確かにシズとキノそして陸とエルメスだけだったけれど。
今ではシズの隣に陸は居なくなりキノの隣には一人家族が増え、そしてシズの隣にもティーという家族同然の存在が居る。
全てを終わらせようと思ったあの日、シズの人生は終わるのだろうと自身で思っていたのに。
「お爺さんの形見は今でも持っているんですか?」
シズの目を見て問い掛けたキノに、シズは苦笑した。
「ああ。今でも俺には似合わない」
きっと、一生似合うはずもない。シズは言外に付け足した。
そんな二人のやり取りをじぃっと見ていたシキはぽん、と何か分かったのか手を叩いた。
「アイってやつだね!エルメス」
突然叫んだ言葉に驚いて、何の事やら分からないと言った表情でシズは思わずシキを見た。
キノはそれほど驚いてはいないようだったけれど、それでも少し不思議そうに突然叫んだ息子を見た。
そして、モトラド――エルメスも驚いていた。
「……なんでわかったの?シキ」
シキの言葉の意味を理解していたのかそう問い掛けたエルメスに、シキは納得してすっきりしたと言うような笑顔で答えた。
「だって、キノさんの顔が違うもの。いつもは昔馴染みと会ったってそんな顔してなかった。僕はアイとか分からないし、なんでキノさんが僕を一人で生んだのかも知らないけれど」
「ふーん。シキはキノより勘がいいみたいだね」
エルメスは感心したような口調で呟いた。
昔、戦闘が繰り返され草が磨り減り土が見えていたコロシアムの地面には青々と草が茂っている。空はなにも変わらぬように白い雲が優雅に流れていった。
そんな変化と不変を見せ付ける風景の中、まったく理解できないシズは困ったようにキノを見た。
「どういうことなんですか?」
しかし、キノは珍しく困ったような表情を浮かべるだけで返事をすることはなかった。
その代わり、エルメスがいつもの人を何処か小ばかにしたようなのんびりとした口調で答えた。
「つまりはさ、思い出してみてよ、この子が生まれる8年と少し前」
「――っ、もしかして!?」
なにか思い当たる事があったのか、本気で驚いた表情を見せたシズは思わずキノとシキを交互に見た後に、事実を確認するようにキノの隣に存在するエルメスを見た。
「そのもしかしてが起こってしまったわけなんだね」
確かに月日は流れていって。
そして、衝撃の事実を突きつけられたシズが言葉を無くすほど驚いたのは、ほんの少し後の未来。
>>20060225 加筆修正。
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