息が、詰まりそうになる。



      another world




 深い深い森の中に、いた。もしかしたら、いるかもしれない物陰の主に気を向けるように殺気立たせると、腕の中の子はいつもより増して静かになった。
 そうして、モトラドを進めると、日の差す場所に出、そこにはこじんまりとした古ぼけた一件の家があった。

「久しぶりだね、キノ」

 モトラド――エルメスの言葉に頷いた。
 遠い昔に消えたその記憶のそこにある辛くも暖かい風景。…少しばかり、怖いものもあるけれど。
 腕の子をエルメスに静かに預けると、強烈な歓迎を受けるかもしれない恐怖に唾を飲み込み、静かにドアを開けた。

 ――パースエイダーからあふれ出る弾の雨という、手厚い歓迎を受けた。



「…お元気で何よりです、師匠」

 一通りの歓迎を受け、ボクはエルメスを表に止め、子を抱きかかえて座ると、にっこりと笑った。
 師匠は自らが出したお茶をずずずぅっと飲んだ。

「貴方も変わっていないようですね、キノ」

「いえ――」

「22口径の自動式、それに子供――貴方には旅には何たるかを、生きていくための術を教えたつもりだったのですが」

 引きつった笑顔を浮かべた。
 それに対して、師匠は変わらぬままの表情で、微笑んだ。

「まぁ、パースエイダーについては私からとやかくいうことではないでしょうけれど、子供連れで旅なんて殺してくださいといっているようなものですよ?それは分かっているのでしょう?」

「――それでも、ボクの子供ですから。もしかしたら、彼のためには産んだ国で心優しい方に引き取ってもらうのが1番正しかったのかもしれませんが」

 何年も経ったというのにあいも変わらず鋭い眼光を持った師匠をしっかりと見て、ボクは言った。
 師匠は、ふぅ、と息を吐いた。

「その子の父親はなんと言っているのです?」

 ボクは瞳を伏せた。

「彼は――この子の存在を知りません。ましてや、ボクが妊娠していたことすら知らないでしょう」

「…私がとやかく言うべきことではないでしょう。私自身も子を持っているわけではないですし。でも、貴方の――いえ、彼の父親は彼のことを知りたいと思っているのではないのですか?」

「……ッッ」

 空気が、薄くなる。
 柔らかな笑みを浮かべてしっかりと瞳を見る緑色のセーターを着た男を思い出す。
 思い出すたびに息が苦しくなっていく。
 なにも悪くなんてないのに。
 そうして、父親と言う言葉に連鎖的に出てくる、『キノ』と呼ばれた青年から包丁を懸命に抜き取ろうとする血に濡れた間抜けな男を。そう、×××××の父親だったあの男を刹那的に思い出しては。
 息が苦しくなっていく。

「そう、なのかもしれません…。彼は優しい人です。たぶん、ボクが子を産んだことを知ったら――彼の子だと知ったのなら、彼は家族になってくれるのかもしれません。ですが」

「……」

「ですが、ボクが苦しいのです。彼とボクは同じ世界でも、違うものだと――そう思っています、だから」

 だから、ボクは。
 あの優しい人とは居られない。
 信じられなくて、息が苦しくなって、そうして、全てを失ってしまうから。
 ボクを優しく見てくれたあの人を。

「貴方が知っているものと世界は必ずしも同じだとは限らないのですよ?」

「それでも、ボクはそれしか知りませんから」

「この子は――」

「育てます。ちゃんと愛情≠ニいうものを与えられるのか、ボクには分かりませんが、きっとそれは、無様でも作り上げていくものだと、信じていますから。――彼には、それを押し付ける形になりますが。ボクが、母親という立場を利用して」

 なんて、なんて醜い。
 それでも、ボクは孤独ではないけれど、孤独なことを酷く嫌ってしまったから。
 この子が妊娠していると知ってしまったときに、あの人との形を成したものを離したくはないと願ってしまったから。

「彼には、師匠がボクに教えてくれたように生きていく術を少しずつ教えていこうと思います。そうして、しかるべきときに彼が如何するかを、決められる力を与えようと思います」

 ボクの全てを知ってしまうこの子はいつかボクの手を離れるだろうけれど、ボクは笑って見送ろう。
 その後、死ぬまでエルメスと旅を続けるのだ。
 それは、エルメスにとっては刹那的だけれども、ボクにとっては永遠に等しい行為。

「そうですか。貴方がきちんと考え、決めたことなのですね」

「…はい」

 それは果たして正しいのか間違っているのか、判断することは出来なかったけれど。
 けれど、この森から抜け出したときに――いや、あの国から飛び出したときに覚えた呼吸の仕方を持続させるには幼いボクにはこの方法しかなくて。
 何も無くしたくなかったから。
 だから、ボクにとってはこれが最善の方法なのだろう。
 たとえ、手の中の子にとっては、緑色のセーターを着た柔らかな笑みを浮かべた彼にとってはそれが、果たして最善の方法なのか、ボクには知る由も無かったけれど。

「はい」

 同じ世界に住んでいるのに別の世界に居るあの人を追いかけるだなんて、そして、あんな残酷で間抜けなことをさせるなんて、ボクには出来なかったし、もし、一度は手に入れた腕を自分から離すのではなく、彼から拒絶されたのなら、ボクは、呼吸もままならなくなるから。
 アイとか、恋とか、そういうものなんていらない。
 いらない。

「……さて、夕ご飯にでもしましょう。久しぶりにキノも来たのですし、今までの話も聞きたいですからね」

 師匠はそう言って笑った。








 深い深い森の奥に紛れ込んだ感じがして、バギーを運転していた俺はため息をついた。
 こういう場所は追いはぎや盗賊たちの住処になっている可能性が高いから、俺は気配を研ぎ澄ませる。陸はそれを知っているようにティーの隣にいたし、ティーは静かに座っていた。
 と、奥に小屋を見つけた。
 小屋の中に誰かいたのなら――なんとなく居そうな雰囲気はあるのだが、分からない――バギーの音でそれはバレてしまっているのかもしれないが、ともかく、直ぐに動かせるようにエンジンはつけっぱなしにしておく――ガソリンは非常にもったいないのだが。

「陸、ティーを」

「はい」

 俺は刀を手に取ると、ゆっくりその小屋に向かった。
 そして、ゆっくりと扉を開ける。

  ――パースエイダーからあふれ出る弾の雨という、手厚い歓迎を受けた。



「…世の中は広いものですね、あんなに大量の弾を弾く人間がいるとは」

 非常に攻撃的だったのに、なんとか説得を試みると、あっさりと「ああ、攻撃してくる気が無いのは分かっていました」とあっさりと手を引いた、お年を召しているのに眼光の鋭い老婆はそう言った。
 …冗談であそこまでやったのか?
 何だか、背中の冷や汗が止まらない気がした。
 隣にはティーと陸が居る。どうやら犬嫌いではなかったようで、ほっとした。

「ともかく、迷い込んだようですね」

「はい。そうみたいです。旅をしていればこんなことはよくあるので良いのですが、…参りましたね」

 さすがに、どういっていいのか分からなくて、曖昧な笑みを向けると、自分で入れた緑茶をずずずぅっと飲んだ。

「いえ、ただ、目的も無く迷い込んだのは貴方が二度目だと思いまして、ね」

 どこか、遠い目でそう呟く老婆はなんだか悲しそうだった。

「私も、年を取って涙もろくなったのでしょうか。不肖の弟子のことを思い出しました」

「是非、お話をお聞かせ願えると嬉しいのですが」

 迷うことなく、そう答えていた。
 ティーは何も言わなかったし、陸も何も言わなかった。
 それに何故か、この老婆に興味があった。どうして、興味を抱くのかは分からなかったが――ともかく、話を聞いてみたいと思った。
 すると、老婆は少しばかりその鋭い眼光を緩めて、俺の顔を見た。

「――あの子には全てを叩き込みました。パースエイダーの技術も、旅をしていく上での生きていくための術、心がまえ、全てを。そして、あの子は旅に出て行きました」

 少しばかり、何処か嬉しそうに。
 けれど、次の瞬間、少しばかり悲しそうになって。

「でも、ある日ひょっこりと姿を見せ、その腕の中には自分の子供が居ました。父親の姿は無く、あの子は言うのです。『あの人は同じ世界に生きているけれど、別の世界の人なのだ』と。そして、愛を覚えるのが怖いと。負担になりたくないから、と。その人と共に居れば、今まで呼吸した術を忘れてしまうから、と。――あの子に昔なにがあったのか、どうして、子を成したのか、私は問い詰めるつもりはありません――、しかし、少しは留意するべきではなかったのかと」

 老婆は言葉を切った。
 ほとんど表情の変えない老婆は、しかし、とても悔やんでいるのだと俺には分かった。――俺にも、悔やまぬ日など無かったのだから、父と呼んだ人が優しかった祖父を殺したときに、母が自害したときに、兄と逸れたときに、そして――キノさんに   。

「…私にはなにが正しくて、なにが間違っているのかわかりませんが」

 あの人は同じ世界に生きているけれど、別の世界の人なのだ、と言った老婆の不肖の弟子が悪いのか、それとも不肖の弟子を抱いた男が悪いのか、それとも老婆が悪いのか、それは俺には分からないが。
 それでも、老婆が苦しんでいるのは事実なのだから。

「貴方の不肖の弟子は貴方の元に帰ってきた――出て行った後も。ならば、決して悪くはないのでしょうか。不肖の弟子は、貴方に姿を見せ、子を見せ、元気だということを示したのですから」

 それは果たしてどんな意味があったのか俺には察することは出来ないけれど。
 決して、弟子は老婆を嫌っていたのではないと思う。寧ろ、感謝ぐらいしたのではないのだろうか、自分に術を教えてくれた老婆に。

「――有難う御座います。まさか、見ず知らずの貴方に慰められるとは。…お人好しなのですね」

 よく、言われる言葉だな。
 もちろん、自分が生きるために人を殺すことなど躊躇ったことなど無いけれど。

「褒め言葉ですが」

 付け足すように言う言葉は何処か揶揄も含んでいて。
 老婆の表情が、悲しげなそれから、最初の凛とした鋭い表情に変わった。

「しかし――、同じ世界に居て、違う世界に居る、か。きっと、彼女も俺とは同じ世界に居て、違う世界に居るんだろうな」

 それは、彼女から見ればただの偶然でしかなかったのだろうけれど。
 それでも、彼女は、真っ直ぐ前を見て空を眺めた彼女は、たぶん、同じ世界に居て、違う世界に居る
 今、どうしているんだろうか。きっと、強いだろうから、エルメス君を走らせて旅を続けているに違いないけれど、きっと、真っ直ぐ前を見ているのだろうけれど。
 アイとか、恋とか関係なく、会いたい。
 俺には、それだけで十分だから。

「今日は、泊まっていってください。料理を振舞いますよ?――ああ、ところでお名前は?」

「私は、シズと申します」

「そう――、シズさん。是非、ゆっくりしていってください」

 老婆は歓迎するかのように微笑んだ。
 それに、俺も微笑んだ。







 幾年もの年月を経て、老婆は老婆になっていったが、その鋭い眼光は落とさぬまま日々の暮らしを営む。
 ふ、とその耳に二つのエンジン音が重なった音が聞こえて、老婆はゆっくりとハンドパースエイダーを取り出すとドアの前に立った。
 普段ならば様子を見るのだが、何処か懐かしく、交じり合ったエンジン音にそれは必要ないだろう、と直感的に思った。

「昔はもっと徹底的にやっていたんですけどね…、私も年をとったようです」

 呟いて、中を覗こうとする、静かな二つの足跡を聞いて、引き金に合わせる指が緊張する。
 ばん、と開いた瞬間に懐かしい顔が現れて――でも、パースエイダーを乱射した。

「師匠はお元気のようですね」

 微笑む表情は最後に会ったときのように悲壮感を漂わせたときのものでもなく。

「お元気で何よりです」

 何処までも人の目を見優しく微笑んでいた青年は、もっと穏やかな目をしており。

「さぁ、外に居る子達も呼んで、お掛けになってください。今、香茶をお出ししますから」


 重なり合わないと信じて疑わなかった二つの影が、同じ世界に重なり合ったのを見た。



back top
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送