a turning point




 それは、真っ青な空からゆっくりと真っ赤な空に変わりつつあるときだった。
 定住地を探していたシズは、国を歩き回り国の仕組みや治安状況、と半ば観光のような観光名所めぐりを終え、宿屋に戻ろうと街を歩いていた。
 緑色のセーターを着、左腰には刀を下げている。従者よろしく半歩ほど後から歩いてくるいつも笑っているような顔をした真っ白な犬という構図は普通なのにどこか奇妙な雰囲気をかもし出しており、彼の人のよさも相まって、国の人は彼を知っているようだった。もっとも、それ以上にこの国が旅人を歓迎する国であることがかなり起因しているのだが。
 ともかく、歩いているとあ、旅人さん。とシズは呼び止められ、振り向くと中年男性が優しげに笑って言った。

「旅人さんが新しく来たようですよ?」

 その言葉にシズはそうですか、教えてくださって有難うございます。と愛想良く返事をすると中年男性は満足げにそれではと歩いていったので、その様子を少しばかり眺めるとまた直ぐに宿屋に向かって歩き出した。
 それに合わせる様に半歩後で歩き始めた白い犬――陸は会いに行きますか?と控えめに聞いた。

「いいや、いいだろう。興味はあるけどね」

 真っ赤が空を染め上げる。
 いったん宿屋に戻ったシズは、陸を宿屋に置くと独りでその国の外れの方にある国全体を見渡せるぐらい高い塔に上っていた。その塔はこの国にある建築物の中で一番高く、昼には人が良く訪れるのだが夕方頃になると設計上足場が見えなくなるので、上る人はほとんど誰もいなかった。だからこそ、シズは夕方を狙って塔を上っているのだけれど。
 頂上まで上りきると見えるのは、緑とレンガの融合した自然的な町並みと、国を囲むように点在する森、地平線の彼方まで赤く染まった空だった。
 それらはまるで絵のように美しく、絵以上に幻想的なものだった。まるで、世界の美しさを自ら発しているような。
 静かにその景色を眺めていると、不意に人の気配を感じて思わず手を鞘において後を向いた。

「世界が美しいかなんてボクには分からないけれど、刹那的に美しいと感じるときはあるんですね」

「―――っ、キノさん!?」

 其処に居たのは以前シズにとって因縁深い場所で出会い、彼のすべての計画をぶち壊した旅人だった。
 だからこそ、その偶然ともいえる再開にシズは驚いて彼女の姿を見ていたのだが、彼女は表情を何一つ変えることも無いままシズを見ていた。
 夕焼けは静かに下りていき、宵の蚊帳が支配する世界が訪れようとしている。
 光り輝く赤はそれでも彼女の顔を鮮やかにシズの眼窩にさらしていた。

「護衛用にパースエイダー一つだけは持ち込み可でしたけれど、ダイエットに成功したような気分になります」

 おどけた様に肩をくすめて静かに微笑んだキノは、まるでなにもないかのようにシズの隣に来た。
 何故だか、それだけのことなのにシズは奇妙な感覚に囚われた。――それは例えば、死ぬべき場所で死ねなかったような不可解で宿命に逆らったが故に定義する場所がなくなったそんな気持ちの悪い奇妙な感覚だった。そして、そんなものに囚われてしまう自分が酷く脆く感じた。直ぐに崩れ落ちてしまうような。
 しかし、そんなシズの心中などまるで知らないキノはシズの隣で沈んでゆく夕日を見つめながらぽつりと呟いた。
 
「世界が美しいのなら、そこに住んでいるもの全てが美しいんでしょうね」

「そうなのだろうか?」

「きっと、この瞬間だけは美しいのでしょう」

「君も?」

「ボクも、貴方も」

 ふわりと花の綻ぶような柔らかい笑みを浮かべたキノに、シズは一瞬にして心を奪われたのかもしれない。もしくは人の姿すらも分からなくなる赤と黒が交わる奇妙な時間が彼を狂わせたのかもしれない。
 けれど、可能性を挙げてみたところで原因などシズにもキノにもこれっぽっちも分からなかった。
 ただ、爆発的な思いは言葉によって徐々に暖められるのではなく、行動として一度に熱せられた。

「――、んんんっ」

 乱暴に唇を重ねたシズは、勢いのままキノをコンクリートの床に押さえつけた。
 キノの目に広がるのはシズばかりで。

「パースエイダーで撃ち殺せばいい」

「…………」

 旅人の判断だったのなら、言われる以前にその脳天に風穴を開けていただろう。
 だがしかし、生粋の旅人であるはずのキノはなにも答えなかった。
 腰に吊り下げたパースエイダーに手を伸ばす事も無く、ただ赤は闇に覆われて。

 刹那的な美しさは真っ赤に染められた。

 二人の得手は手を伸ばさないと届かない場所に放り投げてあった。
 それは旅人としてはあってならぬことのはずなのに、パースエイダーと刀が折り重なるように無造作に置いてある姿は、まるで今の二人の状況を表していた。
 荒い息ばかりが上がり、旅人は男へそして女へ原始的な分別に分けられる。
 そんなごく簡単な世界で肌を交じり合わせ、全てを奪うように蠢く。
 ふと視線を上に向けたキノは、既に赤色は全て侵食され闇が世界を支配する中、それにはまるで似合わない真っ白な小鳥が羽をはためかせ飛んでいるのを見た。見ながら受け止めた熱を体内で静かに感じていた。
 それは確かに交じり合い溶け合い一つになる行為のはずだった。
 だがしかし、二人の肌は全ては決して交じり合ってなどいなかった。


 シズは、眠ってしまったキノの服装を整えると静かに抱き上げた。パースエイダーと刀を彼女に握らせるように乗せて。
 起こさぬように細心の注意を払いながら、見えぬ階段を降りシズがとっている宿屋へと向かった。
 陸はキノを抱いてきた主人を不可解なものを見たとでも言わんばかりの目で迎え、そしてキノの相棒であるエルメスが他の宿屋に泊まっているのを見た、という話を聞くとそのまま眠ったままのキノをエルメスが居たという宿屋に送り届けた。

 キノの真意が何処にあったのか、シズには全く分からなかった。
 パースエイダーを握り締めて、咄嗟に脳天を打ってしまえば避けようが無かったというのに。
 実際、キノはシズより強いのだからどれだけの反射神経と目を持っていたとしても、キノが負けることはありえなかっただろう。

「世界は美しくなんかない」

 送り届けた帰り道、不意にきらきらと輝く星空を見上げながらシズは知れずに呟いた。

「美しくなんかないんだ」



      >>20060204 新作ではありません。



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