純粋な瞳をした人だと思った。
どこにでもいる娘の話。
私がその人に会ったのは、私が5歳の頃だった。
王家と縁のある貴族の家に生まれた私は、両親と一緒にお城に招かれた。父と母は王と楽しく笑っていて、しかし見ていた私はそれをつまらなく感じたので抜けるように庭へと行った。
その庭はとても大きくて綺麗だった。
季節の花が綺麗に咲き誇っていて、緑がさわさわと揺らいでいた。
その庭に入ったとたん飛び込んできた目の前にある赤い花を私は惹かれるようにじぃっと見ていた。
すると、声が聞こえた。
「…此処で何をしているんだ?」
それは同じぐらいか少し年上ぐらいの男の子だった。
真っ黒な髪を邪魔にならない程度に切りそろえていて、上等そうな服を着ていた。
なによりも印象的だったのがその黒い瞳だった。
真っ直ぐ見つめる清らかな光が見えるその瞳は私は今まで見たことのないものだった。
「つまんないから、お花を見ていたの」
「――そうか。此処の庭は綺麗だろう?僕も、よく父上や家庭教師の目を盗んでここで花を見るのが日課になっている」
そう言って、微笑んだ彼の表情は何処までも穏やかな純粋なもので、私は会ってそれほど時間も経っていない彼に淡い恋心を感じていた。
「ねぇ、お名前を教えて?」
「×××××だ」
「私はね、×××××っていうのよ」
名前を聞いて直ぐに此処の王子様なんだってわかった。だって此処の国民は全員知っているもの、賢王の息子だって。皆を引っ張っていってくれる人だって。
「また、此処に来てもいい?」
「ああ。いつでも来るといい。――そうだ。君が僕の妃になれば、いつでもこの庭を見れるよ?」
「本当!でも…貴方は私が妃でいいの?」
「ああ。もちろんだよ」
それは、本当に幼い約束だった。
私は何の問題もなく年を重ねた。
どうやら要領が良いようで、ひとつのことを聞けばある程度理解する事が出来たので学校では一番の成績を収める事が出来た。
そんな私を皆は才女だとはやし立てた。私はまるでそんなつもりではなかったのに。
家は兄が継ぐからと、私はあの幼い記憶を胸に秘め彼の妃になることをただ夢見て、彼の妃になれるように最良の努力をしていた。
しかし、国内で聞かれる彼の噂はだんだん良くないものになっていた。
賢王の息子にしては愚鈍。決断力もなければ行動力もない。民を引っ張っていける王になるのだろうか。
そんなものばかりが聞かれて、それを聞くたびに私は彼のことが心配になっていった。
だって、彼はあんなに純粋な目をしていたから。
真っ白で、透明なものほど周りに染まりやすいものだから。
直ぐに彼の元に行きたかった。
あの庭で貴方は貴方なのだから、大丈夫だって元気付けたかった。
でも、それをするには私と彼の距離は遠すぎて。
幼い記憶が色あせてしまうほどの月日が流れたとき、その話は全く唐突に来た。
私が高等学校で勉学に励んでいた、そんな年の頃だった。
「王がお呼びです。お城に来てください」
私は私個人を呼ぶ理由が理解できなかった。父や母は王家縁の貴族で家の代表であったからよく城に行っていたようだったが、家の代表でもない私が城に行く理由もなく、だから幼いあの日以来私は城に行った事がなかった。
最大限の装飾を施された私は大きな城の中に入った。
謁見の間に行くと目の前の椅子に王と王妃が座り、王の隣に私が焦がれたあの人が立っていた。
あれほどに純粋な目をしていたあの人の瞳は、酷く濁っていて私は心を痛めた。
ああ、彼は周りの心無い評価にどれだけその純粋な心を痛め続けたのだろう。そうして、自分の存在すらも疑うほどの闇に襲われたのだろう。
私はただただ、彼を救いたいと思った。
純粋な彼の心を。
「――×××××よ、これの妃になってくれぬか?」
「!……王、私でよろしいのですか?私はただの――」
思ってもない言葉だった。
それは願って止まなかった事。
色あせてしまいそうなぐらい幼い日の約束だった。
「いいのだ。私は――君がこれにとっては一番良いのでないかと思っておる。これも了承してくれた、君の家族も。あとは――君の意思だけだ」
その言葉に、私は酷く胸がざわめいた。
だって、本当は彼はそんなことを望んでいないような気がした。
彼の濁った瞳はただどんよりと私たちのやり取りを聞いているだけだ。まるで、そんなことどうでも良いと言いたげに。父がそう望んでいるのなら、従うしかないのだという諦念しか見えなかったから。
私は、少しばかり迷った。
それでも、私は私のエゴを通したいと思った。彼にとってそれが決して良いことではないと判っていても。ただ私は彼と一緒にいたいと、そう願っていたのだから。
「――お受けいたします」
その言葉を聞いても、彼の淀んだ目は驚愕の色を浮かべる訳でなくだからといって嬉々とした色を浮かべるでもなく、ただただ全てを諦めたかのように視線を床に落としていた。
周りの人は当然私は断るものだと思っていたようだった。
結婚の報告をしたとき、私の友人は酷く驚いた表情で私を見ていた。
「あの、王子様よ?王様とまるで似ていない…。きっと、貴方にはもっといい人が現れるのに、良かったの?」
その言葉に、私はただ控えめに微笑みを浮かべるだけだった。
ここで彼女を罵倒してこれが私のエゴなのだといっても、彼女が信じるとは思えなかった。
彼女は酷く利己主義で現実主義者だったから。
愚鈍な王子を選んだ私を信じられない!といった目で見た後に、私が気狂いになったとでも噂を広めるだけだろう。それは、私を妃として娶る王子にとってはマイナスのイメージにしかならない。
だったら私は苛立たしく思う気持ちを押さえて、ただ静かに微笑んで良いイメージを通していくしかないのだろう。それが、どれだけ彼を蔑んでいるものであっても。
そうして、私と彼は昔の約束通り夫婦になった。
でも、それは決して理想の夫婦とはいえなかった。
私のエゴで結婚したのだから、私は彼にどう声をかけて距離を縮めてよいのかわからなかったし、だからといって彼が私に興味を示すような事もなかった。
それは、傍から見れば随分冷めたものに見えたことだろう。
それでも彼は王家としての勤めを果たさねばならなかったし、私も嫁がせていただいたのだからその役目を果たさねばならなかったから、夜の営みは積極的にあった。
何かを押さえ込むように己自身を私に向ける彼は、やっぱり昔のままの純粋な瞳をした彼なのだと思って、尚更いとおしく感じた。
私と彼の距離は埋まらぬまま、二人の子供が生まれた。
どちらの子も可愛かった。
彼に似た子供達は彼との間につながりが生まれたようで、私はとても嬉しく感じた。
彼も不器用ながらもこわごわと子供達に接していて、不器用ながらも確かに家族になっていくような気がした。
そんな折、王に呼ばれて、私は二人で香茶を飲むことになった。
「すまなんだ、あれが迷惑をかけて」
「いいえ――。寧ろ、私のエゴのために彼には望んでいない結婚を強いてしまって、申し訳なく感じています」
その言葉に王は口元を押さえて少しだけ笑うと、焼かれたばかりのスコーンを齧った。
私はその様子を見ながら、香茶を飲んでふんわりと笑った。
「周りのものはそう思っておらんだろうな。きっと、私がこの家を愁んで君を娶らせたと思っているよ」
「そうですわね。私も――彼の評判を聞いていますので、私まで気違い扱いを受けたのなら彼の立場が拙くなることを考慮して否定しておりませんから。ああ、きっと私はあの人に恨まれておりますね」
くすりと自身を嘲笑した私は、焼きたてのスコーンを少し齧った。
「あれは――いかんせん心が弱すぎる。王になるということは多くの敵を持つということ。非難中傷なんぞ当たり前の事だ。多かれ少なかれ、私も王に向かぬといわれ続けてきたが――結局、王になるに必要なのは能力の高さでも力の強さでもなく――何を言われても意ともせぬ強靭な心のみだ。あれには、それが足りぬ」
「彼は、純粋すぎる人ですから」
私は、その言葉に同意するように言うと、王はこくりと頷いた。
それで、そのたくわえたひげを触りながら視点を天井へと向けた。
「そうだな。だからこそ、あれは王という仕事が向かんのだろう。それに引き換え、あの子は揺れぬ心を持っておるようだが」
あの子、という言葉に思い浮かべたのは二番目の子供だった。
あの子の真っ直ぐな意思とそれを決して曲げようとしない強靭なる心は確かに王にそっくりだと思った。
「そうですね。ああ、そういった意味ではあの子は王に似ているかもしれませんね」
その言葉に、王は苦笑していた。
「国民は皆、あれは私に似ているのだと思っておるようだが」
確かに皆は口をそろえて王にそっくりの子供だといった。
けれど、それが全てではない事は私が母親なのだからかあの人の妻なのだからか、それともあの人を愛していたからなのか――知っていた。
あの子はまったく王にしか似ていないのでないのだと。
だから、私は王に微笑んだまま即座に否定した。
「違いますわ。王も分かっておられるでしょう?あの子のひたむきに真っ直ぐな――透明な光を宿した目は、幼い頃のあの人にまるでそっくり。ふふふ、きっとあの人も気付いていないわね」
「そうか。…いや、そうなのかもしれぬな。君は私よりもあれを良く見ている」
その言葉に、にっこりと口角を上げて王にしか言えぬ言葉を言った。
「初恋の人ですから」
苦笑した王は酷く楽しげだった。
「いや、惚気られたな」
「あら、そういう方向に話を振ったのは王でしてよ?」
「ははは、そうだな」
何度も香茶を飲みながら、王と私の楽しいお茶会は進んでいる。
その肴はあの人なのだけれど、王と私の共通点といえばあの人を愛しく思っていることだからしょうがないのかもしれない。
「私は、王の座をあれに譲ろうと思っている」
「ええ。判っております」
「だが、あれは先ほども言ったように心が弱い。――だから、×××××よ。君があれを支えて欲しいのだ」
「はい。まだまだ私は未熟ですが――もとより、そのつもりで嫁ぎましたもの。覚悟のうちですわ」
「ほんに、君は良い嫁だよ」
王は穏やかに笑った。
私もただ静かに、控えめに笑った。
ああ、私と王の気持ちをあの人は理解しているのかしら?
王が突如死去したのだと通達があった。
義父であった王の葬儀に私は出席した。
彼はただ狂ったように笑うだけで、それでも葬儀は滞りなく行われた。
長男は少し悲しげな表情をしただけだったが、次男はとても悲しそうに泣いていた。ああ、あの子は王に懐いていたから。
泣き叫ぶあの子の肩を叩くだけにして、あの子に充分な悲しみに浸らせるために私はそれほど干渉することはなかった。
それよりも、心配だったのはあの人のことだった。
あの人は世間で言われているよりもずっとずっと純粋な人だったから。
本当に理解してくれていた王を亡くし、あの人は正気を保っていられるの?
そして私はそれを包み込み、新たな王として立ち直らせる事が出来る?
でも、あの人は私の言葉を聞かなくなってしまった。
全てを放棄して、ただひたすらに笑っているだけ。
そんな彼に息子達…特に下の息子は不審に思っているようだった。
あの人が王を殺したのではないだろうか。
そう、私に問うてくる事もあった。
でも私はそれを肯定する事も否定する事も出来なかった。
可能性はどちらにもあるのだし、たとえどっちの答えを提示したところでそれを示す証拠を見せれるわけでもない。あの子達がそれで納得する訳がないから。特に下の子は意固地で真実を求めるから、きっと証拠のない私の言葉など否定するだけだろう。
だから私は何も言えず、だからといって狂ったように笑い続けるあの人になんと声をかけてよいものかもわからなかった。
そんなある日だった。
王家の義務の一環として(私にはそれだけではなかったが)いつものように褥を共にしていると、あの人は酷く濁った瞳でぼそりと言った。
「…父は、私が殺したのだ」
私は、その言葉に返す声が見つからなかった。
きっと、どう返したところであの人は傷つくだけなのだ。安直な気休めの言葉を返したって。
「寝ているところをナイフでぐさりと刺したんだ。この手で!ああ、私は――」
続ける言葉は消え去り、あの人は広げた手で顔を覆った。
ああ、貴方はそんなにも傷ついていたのね。
周りの人から貴方の振る舞いや才能――果ては人格の全てを否定されて、その象徴であった王を殺さずにはいられないほどに――貴方は傷ついていたのね。
慰める術も知らず、自己を確立する方法も知らず。
本当に貴方を愛していた王の心も知らず。
貴方はその純粋な性根をどこまでも傷つけられて――貴方の救いであったはずの手をその手で殺めてしまうほどに傷ついていたのね。
そして、きっと私も貴方のその純然たる心を傷つける要因になったんだわ。
貴方に望まない結婚を強いて、貴方に心休まる場所を与えて上げられなかった私も――。
だったら私は私の全てをかけて、貴方を解放しなくてはいけないのね。
私は褥で決意をしていた。
庭はいつまでも綺麗なままだった。
あの人と初めて会った庭のまま。
咲き誇った赤い花は自己を象徴するように存在していて。
私は遠い昔を思い出していた。
あの純粋な瞳が好きだったの。
何にも染まらずに何にも恐れずに、ただ微笑んでいられる光のように綺麗な光が。
でも、貴方が生まれた環境が貴方を貴方のままにしておくことを拒んで。
歯車は何処までも狂ったまま、月日は流れていってしまったのね。
私も、私のエゴの所為でその歯車を直そうともせずに。
ごめんなさい。
ただ、貴方にいえる言葉はそれだけで。
きっと、貴方のことを思いやれなかった私には愛しているという資格さえない。
でもどうか。
私から解放されたのなら。
貴方は貴方自身を認めてあげて。
周りの意見など何も気にせず、その純粋なる性根のままに認めてあげて。
そうすれば、貴方はきっと狂ってしまった歯車を戻す事が出来るから。
ああ、こんな方法でしかそれを訴えられない私はきっと酷く愚かだわ。
貴方との結婚話が出たときにただはいと答えるだけじゃなくて、私は貴方を愛しているのだと言えれば良かったのに。――そうすれば、きっと何かが変わったはずだったのに。
幼い頃に出会った赤い花に口付けをした。
貴方と私の歴史を知っている赤い花に。
最後の口付けを。
そうして、私は持っていたナイフで自分の心臓を突き刺した。
>>20060419
はい。シズさんち妄想でしたが、あんまりにもオリジナルすぎますね。
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