夏祭り




 ゼルガディスとアメリアは共に旅をしている。
 異界の魔王との戦いの後、いったんアメリアと別れて三年ほどの月日を要したがゼルガディスの身体の構成は岩人形ロック・ゴーレム邪妖精ブロウ・デーモンが交じり合った合成獣キメラ状態ではなく、普通の人間そのものに戻っていた。もっとも名残として髪は銀色で目は青色、そして魔力――これに関しては元々あったはずの魔力に付加された形として残っていたのだが――があったのだがたいした問題ではないとセイルーンへ(半ば強制的に)戻り、セイルーン城内にあった事件を解決したところで結婚し妊娠したというリナ=インバース、ガウリィ=ガブリエフ夫婦が住んでいるゼフィーリアへと旅をすることになったのだった。彼女の(暫定的な)出産祝いと三年ほど執務をこなしてきたアメリアの気分転換もかねて。
 現在二人はセイルーン領地を抜け、とある小さな街にいた。

「ゼルガディスさーん、聞きましたか? お祭りのこと!」

 ばんっと大きな音を立て扉を開けたアメリアは開口一番そんなことを言った。

「祭り?」

 宿屋の一室でのんびりと古書を読みふけっていたゼルガディスは眉を顰めて、声を張り上げたアメリアを見た。
 ゼルガディスが明らかに嫌そうな表情をしたのは、祭りという単語に反応してのことだろう。彼は合成獣になった後の人から受けた待遇ゆえかもしくは元々の気質ゆえか、人ごみが嫌いだった。
 そして、アメリアの続く言葉も想像できたので尚更だった。この巫女姫様は二十にもなるというのに元気いっぱい明るく、ゼルガディスと共に仲良し四人組として旅した頃と性格が何一つ変わっていなかったため。

「いやだからな」

 というわけで先回りをして返事を返すと、アメリアはええっと目を見開いてびしっと人差し指をゼルガディスに突きたてた。――行儀は悪い。

「聞かないうちに否定するなんて正義じゃありませんっ。悪です、悪!」

「アンタのことだからその祭りに行きたいとでも言うのだろう? だから嫌だ」

 声を荒げるアメリアに対し、理由を述べ再度否の返事を返すと言い返す要素を見つけられなかったのかぐぅっと押し黙った。その様はボクシングで言えば倒れカウントダウンを取られている最中といったところである。
 しかし、いつまでもゼルガディス優勢でいられるわけではない。
 仲良し四人組として旅をしていた最中、ゼルガディスだけがアメリアの扱いに慣れたわけではないのだ、決して。

「そんなこと言わないで聞いてくださいよぉ……。なんでも、この地方に伝わる伝統的な祭りで『静蝶』と呼ばれるものらしいんです。で、そのお祭りっていうのがこの地方に伝わっている民族衣装を着て、人々の成長を祝いそして美しく羽ばたけるようにとお祈りするものなんですって! 素敵だと思いませんか?」

「それを言い訳にしたどんちゃん騒ぎなんだろう? ――それに、ここの民族衣装なんて持っていないだろうが」

「宿屋の女将さんが貸してくれるって言いました! ね、行きましょう〜。お願いですぅ」

 うるうると目を潤ませて上目遣いでゼルガディスを覗き込む様は、か弱い某犬を思い出させるような愛くるしさを秘めていた。そして、なによりゼルガディス自身が彼女にそれなりの思いを寄せていたので効果は絶大である。
 狙ったものかそうでないかはさておき、「うっ……」と躊躇いを見せるようにずずずっと下がりたじろぐ仕草を見せたゼルガディスはしかしそのままアメリアの言葉に従うことを良しとしなかったようでたじろぐような仕草を直ぐにやめると冷静な表情を作り出した。
 その様子にアメリアは駄目だったのか、とでも思ったのかしょんぼりとしたように俯いてぽつりと呟いた。

「……分かりました。一人で行きますからいいです」

 呟いた言葉にゼルガディスは目を見開き、つぅっと汗を流しながら思案するように視線を上に向けた。祭りにアメリア一人で行かせることの弊害を考えていたのだった。
 彼女は可愛らしい見目をしている。英雄伝承歌ヒロイック・サーガヲタクという部分を除けばゼルガディスの惚れた弱みというか贔屓目を抜いてもモテるだろう。それほど、彼女は魅力的だったし年頃の娘でもあった。
 そう思えば思うほど、ゼルガディスの思考は悪い方向へとぐるぐる回る。もともとそれほどポジティブ思考というわけでもない。むしろどちらかと言えばネガティブ思考であるゼルガディスにとってみれば、彼女を一人で行かせることにより様々な(ゼルガディス自身にとっての)弊害ばかりが思い浮かぶ。
 そうなってしまえば、結果は見えたもの。言うまでもない。


 祭りといえば夜である。
 というわけで、女将は夕方ごろ二人に民族衣装を渡した。その名称は浴衣といい、ふわりと長い飾り袖が舞うような一枚の布を裁断し人が着れるような形に縫い直したものを纏い帯と呼ばれる少し固めの――これは女性型であり、男性は細めの柔らかめの布で縛る――長い布のようなものでぐるりと特殊な形に縛るものであった。ちなみに女性のほうにも柔らかい布で出来た帯があるらしく、浴衣はどちらかといえば柔らかい布で縛るのが古風であるらしい。
 この浴衣と呼ばれる着衣は女性のほうが着付けが大変らしく、ゼルガディスは分からないところを宿屋の従業員に尋ねる程度で、女将はアメリアのほうにつきっきりになっていた。
 ゼルガディスに用意された浴衣は藍色を薄く染色したような色合いで、柄は何もついていない酷くシンプルなものだった。細い紺の帯で閉めると、シンプルだからこそどこか精錬で色っぽさすらも感じるような姿になっていた。
 着方は比較的楽だったものの、ひらひらとした裾が足にかかり着慣れていない所為もあってかゼルガディスにはどうも動きづらく感じられた。襲われたときに面倒だなどと考える彼の思考回路は結構物騒である。

「お嬢ちゃんのほうも出来たよ」

 着付けが終わり、のんびりと宿屋側にあてがわれた部屋で待っていたゼルガディスに扉を開けてにかっと明るい笑みで女将がいい、その後にアメリアがついてきた。
 アメリアを見た瞬間、ゼルガディスは一瞬声が出なかった。
 ゼルガディスと同じ薄い藍色がベースとして全体を染め上げ、ポイントにピンクの蝶がゼルガディスから見て右側の足の裾からまるで飛び立つように斜め上へと細かくあしらわれていた。硬めで広く取られている帯も蝶と同じくピンク色をしており、後ろを見るとまるで帯の形が蝶のように見えた。
 いつも通りの服装でないということもあるのだろうが、それにしてもアメリアの印象を随分と変えている浴衣はゼルガディスを絶句させるのには十分だったのである。

「――ゼルガディスさん、あの……似合っていますか?」

 心配そうにアメリアはゼルガディスの顔を覗きこんできた。
 いつもなら天真爛漫そのままの無邪気な行動に顔が綻ぶ程度なのだが、浴衣という非現実に追いやるための小道具はアメリアをどこか色めいて見せていて。
 ゼルガディスは思わずどきりと胸を鳴らした。

「あ、ああ。……祭りはもう始まっているのか?」

 否定はさすがにしないものの、気の効いた言葉一つ出せやしないゼルガディスは、とりあえず話題を変えることにした。少し残念そうに視線を落とすアメリアの表情が見えたが、しかしゼルガディスが見たかぎりではそれほど強く落ち込んでいるようではなかった。
 女将はそんな二人のやり取りを静かに眺めているとやれやれ、と呆れかえったような表情を見せ、二人に言った。

「ああ、始まっている頃じゃないかねぇ。もう暗くなっているだろう? 彼氏と一緒に行って来るんだよ♪」

「か、彼氏って……」

「違う! 俺はこいつの彼氏じゃない」

 呟いて固まったアメリアも咄嗟に否定したゼルガディスも、顔を真っ赤にさせていた。
 どちらもその言葉に照れているように見え、女将は楽しげに二人の様子を眺めている。

「初々しいねぇ。ちゃんとあんたがリードするんだよ」

 さすがは年の功。悪戯交じりのからかいの言葉をゼルガディスの耳元に囁いた。囁かれたゼルガディスは何をどうリードしろといいたいものだったのだが。
 とりあえず、おばさんによく見えるおせっかいを焼きたがる女将から逃れるように二人はさっさと宿屋を出た。
 宿屋の外には提灯が灯っていて、大通りに面していた宿屋の外にはずらりと出店が道の端々を占領していた。出店の人も、それを楽しげに眺めたり買ったりしている人々は皆二人と同じく民族衣装を着ていた。時には普段着で居るような人たちも見かけたが。

「うわー、出店がいっぱいですぅ」

 アメリアは女将からからかわれていたのも忘れ、活気に溢れた風景をきらきらと目を輝かせて見ていた。
 そして、直ぐに同じく宿屋で借りた下駄という靴をからころと鳴らして駆け出した。着崩れしないようにと彼女なりに気を配っているのか、アメリアにしては歩幅が狭い。
 ゼルガディスはアメリアの後方で楽しげに出店を眺めているアメリアの様子をのんびりと眺めていた。
 そのうち出店でわたあめというみょうに綿のようにふわふわした甘い砂糖菓子を買ったアメリアは、後ろに居たゼルガディスのほうを振り向くと楽しいと言わんばかりの満面の笑みで彼に微笑んだ。

「早く来てくださいよぉ〜」

 その笑みはアメリアらしい天真爛漫なものであるはずなのにほのかな女性らしい色気を見つけて、ふとゼルガディスは思った。
 彼女は蝶になったのだと。
 自分に会わなかった三年間で、綺麗な羽で人々を魅了するとても美しい蝶になったのだと。

 袖がふわりと舞う。
 微笑んで他の出店に行こうと振り返り小さく駆け出す姿に、蝶の羽根を見たような気がした。
 無性に放してはいけない衝動に駆られる。
 蝶は何処にでもいけるのだ。
 他の花へ。

 ――ゼルガディスは何故だか彼女の傍に居たくなり、少し早足でからころと下駄を鳴らしながらアメリアの隣へと行く。
 追いつくと、アメリアはにこりと微笑んで手に持っていたわたあめを差し出した。

「ゼルガディスさんもわたあめ食べますか?」

 普段ゼルガディスがそんな無邪気な行動に同意してアメリアの思うが侭行動を進めたことなど一度もなかったはずなのに、それでもアメリアは楽しげに微笑んでいる。
 それは彼女の性格ゆえか、それとも祭りという状況が促進させているのか。
 ゼルガディスはふっと口元を綻ばせるとがぶり、と受け取ることもなく差し出されたそのままでわたあめに齧り付いた。

「ゼ、ゼルガディスさんっ!」

「……甘いな」

 驚いたような表情を見せるアメリアに、ぽつりと一言しかめっ面でゼルガディスが言うと彼女は楽しそうに微笑んだ。

 そうだ、彼女専用の花になってしまえばいいのだ。
 逃さぬように。
 常に甘い蜜を出して。
 それでも駄目なら蜘蛛になってしまえばいい。
 がんじがらめにして自分のものにしてしまえば逃げない。
 その綺麗な羽根をもぎ取り。
 ――今の自分はどっちなのだろう。

 出店に満足したらしいアメリアは戦利品を手に持ちながら、二人で出店が出ている通りから少し外れた広場へと来ていた。
 人はそれなりに居たのだが、ここは見るポイントとしては微妙らしくあまり多くはなかった。

「これから、花火っていうものが上がるらしいです。ジラスさんが使っていた火薬っていうのを使うのかと思っていたんですが、少し特殊な材料らしいんですよ」

 そう、花火を見るポイントとしては。

「……だろうな。此処の地方では火薬などそれほど普及していないだろう」

 魔法が衰退してしまった結界外の世界では頻繁に魔法が使われていたが、結界内の世界であるこの場所には魔法が普及されており、火薬を使わずとも人を殺傷できるほどの攻撃力を有する炎を作り出すことは容易かったので、自然と火薬は発展しなかったのだがどうやらここでは娯楽用として火薬が別の方向に発展したらしい。
 ともかく、日が完全に暮れた頃花火という空に彩る大輪の花が咲き始めた。

「うわー、綺麗ですねぇ」

 アメリアはきらきらとした目で夜空に咲く花を見て、うっとりと呟いた。
 そんなものよりも花火を眺めて嬉しそうにしているアメリアの横顔を見ていた身としては、彼女のほうが綺麗だと思っているのに一言もそんな言葉が出てこないのは、照れ屋なのか不甲斐ないのか。寧ろどちらでもあっただろう。

「――綺麗だな」

 やはり固有名詞で指定するには少々勇気の足りなかったゼルガディスはどちらとも取れるような言葉を吐いた。
 この場合もちろん花火のほうを指すだろうと考えるわけで、ゼルガディスの意図などこれっぽっちもわかっていないアメリアは嬉しそうに彼を見た。

「ね、来てよかったでしょう?」

「ああ」

 祭りといってもゼルガディスは人ごみが嫌いだったし、出店で売っていたのは大半が子供向けの甘いものだったり遊戯だったりしたのだが、しかし蝶のようなアメリアを見れただけでも、良し。と結論を出したゼルガディスは端的に肯定の返事を返した。
 ゼルガディスが何を考えてそんな返事を返したかなどこれっぽっちも知らないアメリアは、嬉しそうに微笑んだ。

 ひらひら
  ひらひら
 蝶は飛び立つだろう。
  美しい花の下へ?
 それとも残酷な蜘蛛に食べられるため?
  ひらひら
   ひらひら
 それでも蝶は飛び立つだろう。
  焦がれているものの存在も知らずに。
 ただ、自由に。


 祭りが終わった後、洗濯は出来ないものの丁寧にたたんで宿屋の女将に返した二人は、礼を述べ村を出た。
 アメリアはゼフィーリアに続く道を歩きながら、楽しげににこりとゼルガディスに微笑む。

「やっぱり、旅は楽しいですね!」

「アンタは王宮に三年間もいたからな」

「そうですねっ」

 ぴょんぴょんと年不相応に飛び跳ねるアメリアを諌めながら、森の中にある道を進んでいく。
 自由な蝶が自分の下から飛び去ってしまわぬように。



      >>20060729 加筆修正。



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