目隠し
瞼の裏に映る光が眩しくて目を開けると、そこはセイルーン城にある教会だった。
精神世界のような暗闇だけの空間に来る前そのままに、光が集まる中心で俺は倒れていたらしい。
少年が俺の顔を心配そうに覗きこんでいるので、ぎこちなく表情筋を動かして笑みとやらを作ると身体を起こすため、床に手をつけ身体を起こした。
が、違和感を覚えた。
合成獣の身である俺の身体は、床の硬さに反発しがじっという硬いものが擦れ合う感覚を伝えてくるはずなのに、このときはただひんやりとした床の冷たさだけを手のひらは伝えてきて、訝しげに思い覗き込んだ。
そこにあったのは人間の手だった。
俺は驚いて、まじまじと身体についているはずの両手を見つめた。
だが、幻想でもなんでもなく肌色の手はそこに存在していて。
俺は気の済むまでそれを眺めた後、少年を見た。
「どういうことだ」
少年は穏やかに微笑んだ。
幼いのに――幼いからこそ彼女を思い出させるような表情で。
「この教会には不思議な力があるんですよ。四方から光が差し込み、教会の中心で交わり終結しているでしょう? その中心に立った人は自分の一番の望みを叶えることができるんです」
「そんなこと、聞いたことがないぞ」
俺は思わず言っていた。
この教会のことを知っているだろうセイルーン王家関係者と一時旅をし、それは俺の目的を知っていたはずなのに、何故彼女は俺に何も言わなかったんだ。
疑問を筋違いだとは思いながら少年にぶつけると、少年は少し考えるように首を傾げ述べた。
「その人はお兄さんの一番の望みがそれでないことを知っていたのではないですか? この教会は一番の望みには反応しますが、望んだものが一番の望みでなかった場合ただ幻を見せるだけですから」
そうか、と少年の言葉に返した。
確かにアメリアならば、俺の望みがただ元の人間に戻ることでなかったことを分かっていただろう。
彼女は俺を――俺の望みを理解しているようだったから。
思わずふっと顔を綻ばせると、立ち上がった。
「アズー? ここにいるの?」
教会の外から声が聞こえて、扉が開かれる。
そこには女性が立っていた。
恐らく、声を発していたその人だろう。深緑色が基調の落ち着いた風合いでデザインされたドレスを身に纏い、それなりに伸びたのだろう濡れるような黒髪を高い位置でお団子状にひとくくりしているようだった。
けれど、真っ直ぐな光を宿す藍色の瞳は何一つ変わらず存在し。
「ゼルガディスさんっ?」
酷く驚いたように、少女であった柔らかさが消えシャープな大人の女性といえる顔立ちになったアメリアは、目を見開き俺を見た。
「いつから来ていたんですか!?」
「いや、――ついさっきだよな?」
時間の感覚がなくなっていた俺はそう少年に聞くと、彼は首をかしげた。
「かーさんが言いたいことはそういうことじゃないと思うけどな」
ぽつり、と呟いた少年の言葉に聞いたことではない、別のところで反応した。
「アンタの息子なのか」
「はい」
俺の問いかけに一言微笑んで答えると、アメリアは少年を自分の元へ呼び寄せた。
すっと反応し彼女の隣に来た少年の頭を安堵したのか酷く優しげな表情でゆっくりと撫でるアメリアの仕草は、正に母親そのもので。
彼女は新しい扉を開いていたようだった。俺が足踏みばかりを繰り返す間に。
それにしてもアメリアの息子が俺が望む変化の鍵になるとは。けれど、アメリアはどこか俺のことを理解していたようだったから、その息子が俺に深い変化を与えるとしてもさしておかしいことではないのかもしれない。
そんなことを思いながら、アメリアを見た。
アメリアは俺の視線に気がついたのか、ふっと息子に向けていた視線を俺へ向けた。
「――俺は、あの時お前に言われた言葉をまだ理解していない」
彼女の瞳を真っ直ぐに見ると、藍色の瞳はまるで嘘を許さぬ裁判官のように静かな光を宿し俺を見ていた。
真実以外の何者をも排除するような、強い光で。
「けれど、理解するためにようやく一歩を踏みだせたような気がする」
それは本当に小さな一歩だったけれど。
全てはそんな風に繋がっていくのかもしれない。
「――ね、お兄さんはこれからどうするのですか? 目的は果たしたのでしょう?」
何かを確認するようにお互いを見つめていた俺達の間に入り込んだのは、少年だった。
その言葉に、俺はさぁと笑ってみせた。
これから先のことなど一度も考えたことがなかったし、考える必要もなかった。――けれど、全てを失ってまっさらな自分に戻っても戸惑いがないのはきっと、この少年のおかげなのだ。
こうして笑っていられるのも。
そう思いながらアメリアを見ると、少し考え込むように顔を伏せていたのだが直ぐにふっと上げて、穏やかに微笑んでいた。あの時ベッドの中で見せていた笑顔と同じ表情で。
「ここに居てください。目的がないのなら」
「でも、――アンタの旦那が嫌がるんじゃないか?」
まず考えたのがそれだった。
この少年の父親であり、アメリアの夫である人物のこと。普通ならば、妻が得体の知れない男を連れてきていい顔をするような夫などどこにも居ないだろう。
俺の言葉に、少年は肩を竦めた。
「それは平気ですよ。かーさんは独身なんです。シングルマザーってやつらしいですよ」
少年の言葉に俺は言葉を失い、彼とアメリアを見た。
何故ならば、あのフィルさんがそれを了承するとは到底思えなかったし、それ以上に彼女を取り巻く環境がそれを許すはずがなかったからである。
「フィルさん、よく許したな」
俺の言葉に、アメリアは苦笑した。
「とーさんは……理解してくれましたし、案ずるよりも産むが易しじゃあないですけど誰が反対するよりも先にアズリエルはわたしの中に居ましたから、半ば実力行使で了承を得たんです。子持ちの王女を娶りたいなんていう奇特な王子も居ませんでしたし」
王族でもシングルマザーになるのは意外と簡単です、とアメリアは笑った。
それでも、彼女が独身で居るのはいまいち理解しがたいことだった。アメリアと少年の父親の間で一体何があったのか――それはともかくとしても、彼女の性格や彼女が望む望まないに関わらず持っている権力は、子持ちという点を含めても魅力的であるはずだ。
となれば、相手がどうのこうのというよりアメリアの心情によるものなのだろう、独身という結果については。
「というわけで、とりあえず問題はありませんからいいでしょう、ゼルガディスさん?」
「……問題は山積みだと思うけどなぁ」
アメリアの発言に対しぽつりと呟いた少年の言葉に同意である。
臣下が身元不明のいかにも(合成獣ではなくとも)怪しい男をこのセイルーン城に住まわせることを了承するとは思えない。それに、俺がここに住むとなれば賃金契約や様々な書類処理も必要となってくるだろう。まぁ、後者に関しては長い間セイルーン城に住まなければいいのだけれど。
フィルさんが(俺を知っているとしても)城に住むことをそうやすやすと了承するのかなど、様々それなりに問題は山積みで置いてある。
しかし、俺が望んだことは――一番に望んだことは俺と関わった者達と同じ時間を生きることだ。アメリアが自分の周りの人達の幸せを願うように。
であれば、俺と関わった者達のうちの一人であるアメリアと一緒に居てもいいのではないだろうか。
まだ何も見つけていないし分からないし、彼女のあのときの心情も一向に理解できないけれど。
「――そうだな。アンタのところに住まわせてもらうよ」
さしたる感情も見せないで呟くと、彼女はにこりと笑顔で元気良く言った。
「はい!」
>>20070308
意外と少ない話数で終わった。
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