言霊




「フィリア姉! あのな、あのなっ、遊びに行ってもいいか!? ゼフィと一緒にジラスとグラボスのとこにっ」

 居間のソファに座り、のんびりと棒で手編みをしていた私の元にぱたぱたと音を立ててにこにこと無邪気な笑顔で駆け寄ってきたヴァルはそう聞いてきた。
 私はそんなヴァルの様子に笑みを浮かべ、彼の角の生えた頭に手を乗せ優しく撫でる。
 と、同時に胸がずきりと痛むのを感じた。
 彼はまだ何も知らないのだ。
 世界を知り始めた幼子に、私が――私達一族が彼の全てを崩壊させたいわば仇なのだと教えるには早すぎて。
 教えていないからこそ、虚像の上で成り立っている幸福の下にある罪を思い心が震える。
 そして、その心の震えは贖罪を願いながらも、この作られた幸福を崩すことに躊躇いを覚える自身の中途半端な醜さも含み。
 それでも、まだ私はなにも彼に言うことなど出来ずに、微笑むだけだ。

「ええ、遅くならないうちに――」

 ヴァルに規則を言い聞かせようとして、しかし私は突如頭に浮かんできた映像に言葉を詰まらせた。
 その映像とは――、あのリアルな夢。
 私がゼロスを殺す夢。
 彼の実態はただの虚無でしかないというのに、肉を絶つ感触が生々しかったあの夢。
 今の私がゼロスを殺すという事態に体が震えてしまうほど心が怖がり、ただの夢でしかないのにどうしてもそう思えないほどのリアルさを有した脳が作り出した幻想の断片に、どうすればいいのかと勝手に手段を求めた。
 すると、突如湧いて出てきた映像があった。
 それは――火竜王フレア・ロードの神殿。
 私が以前同族なかまと共に暮らし、そして巫女として祈りを捧げ続けた神殿。
 火竜王の巫女など、転生した幼いヴァルを引き取った時点で廃業したものなのだが未だに神託を受けることがあった私は、脳裏に浮かんだ映像を無視することが出来なかった。
 ただの思いつきすらも、神が仕組んだことなのかもしれないのだから。

「ヴァル、私も出かけてきますね。すぐに帰ってくるので」

 何故だか、火竜王の神殿に行かなければならないと思った私はヴァルに微笑みそう述べた。
 例え、火竜王の神殿に行くことが神の仕組んだことで、力量としても精神としてもありえないのだがゼロスを殺すような事態に巻き込まれたとしても、私が手を下さなければいいのだ。と、思い。

「えーっ? だったら、俺もフィリア姉と一緒に行くぅ」

 不満そうに唇を尖らせそう述べたヴァルに対して、私は視線を同じ高さにし彼の目を真っ直ぐに見た。

「ダメです。先にした約束を破ることは悪いことですよ。それがヴァルの我がままだったら、貴方と遊ぶことを楽しみにしているゼフィやジラスさん、グラボスさんはとても悲しむでしょう?」

 ヴァルはぷぅと頬を膨らませて、不満であることを態度で表したがそれでも私の言っていることは理解できたらしく、残念そうに眉をハの字に下げてこくりと頷いた。
 そんなヴァルの素直さが微笑ましくて、にこりと笑った私は彼にこう言った。

「その代わり、と言ってはなんですが夕食はヴァルの好きなものを作ってあげますよ。何がいいですか?」

 すると、ヴァルはぱあっと明るい顔になりぎゅうっと私に抱きついてきた。
 そんなヴァルの行動が嬉しくて、日々成長しているヴァルの体を抱き上げた。結構重くなってきて人間の母親であれば最早抱き上げるのは難しいだろうが、私は黄金竜である。まだ三十キロに満たない体を抱き上げるのは容易いことであった。

「うんとね、俺ハンバーグがいいっ!」

「分かりました。美味しいハンバーグを用意して帰りを待っていますから、いっぱい遊んできてくださいね」

「うん!」

 そういって元気良く夕食をリクエストしたヴァルの頬に私の頬を当て愛情を示すと、その大きくなった身体を下ろした。
 ヴァルは名残惜しそうに私の身体を一回ぎゅうっと抱きしめると、ぱっと離れてばたばたと扉へ向かった。

「いってきまーすっ!」

 ヴァルは元気良くそう言うと、ばたんと扉を閉じた。
 その様子を確認すると、私は宙を眺めその身体を精神世界面アストラル・サイドに浸した。
 火竜王の神殿へ行くために。


 久しぶりに来た火竜王の神殿は生き物の気配など一つも感じさせず、威圧的な雰囲気を持って存在していた。
 修繕もされなくなったその建物は、黄金竜たちが暮らしていた頃より暗くすさんだ外装になっている。それは修繕するものがいなくなったのだから当然といえば当然なのだが。
 その中でも一箇所、以前リナさんの手によって改築がされた部分だけは妙に鮮やかで、それは彼女が周りに与える影響にも似ていて私は思わず苦笑した。
 外見を眺めるのもそこそこに、火竜王の神殿の中に入る。
 生き物の気配がなくなったせいか、綺麗にしてあった中は埃にまみれ蜘蛛の巣が張ってある。
 その様は、物語に出てきそうな無人の城をほうふつとさせた。……もっとも、城が神殿ではあるものの無人であることにはかわりなかったが。
 そんな、火竜王様に仕える私たち一族が暮らしていた頃とは様変わりした神殿を、まるで何かに誘われるようかのように足は止まることなく歩いていた。
 各種ある部屋のうちの最も奥、そう神殿だからこそ最も重要視されなくてはならない場所に向かって。
 目的の場所へ続く扉にたどり着くと、蝶番が錆びてきたのかぎしぎしと音を立てる扉を力任せに開いた。すると、そこは以前と変わりない雰囲気で存在していた。
 色とりどりのステンドグラスから漏れる光のシャワー。
 床に敷かれた火竜王様を表す赤の絨毯。
 ひやりと冷たい印象を与える無機質な壁。
 そして、正面に見える火竜王様を表した偶像。
 どれも、他の場所と同じように埃をかぶっているというのに厳かな雰囲気が消えないのはこの場所が私たちの性質を現していた、祈りの間だからだろうか。
 私はくすんだ赤い絨毯の上を歩き、他の場所と一角を画すため一段高めに作られた場所の手前で、膝を折った。
 祈りを捧げるように頭を下げ。
 手を組んで。

「私は……、ゼロスを滅するべきなのでしょうか」

 神への問いかけは、ある意味当たり前のものであった。
 そう、私の血肉に刻み込まれているのだから。
 それでも、問いの答えを求めステンドグラスを見た。
 溢れる光は私には眩しすぎて目を細める。
 すると、澱んでいたはずの空気が震え、私の鼓膜に音が届いた。

『そうだ。――それがお前の義務なのだから』

「義務……」

 まるで脳裏に刷り込むような言葉を私は繰り返し呟いた。
 それが世界の急速な発展を願った全ての母の望み。あの方が前世よりも前に刻んだ私たちの宿命であり、私たちはそれを果たさなければいけない。
 まるで、観客を喜ばせるためだけに動かされる操り人形のように。
 だとしたら。

「私は――彼を殺さねばいけないのでしょう」

 名を呼ぶことも憚れるあの方がただ義務的な発展を望むだけならば。

『そうだ、竜の娘よ。その言霊の通りに実行するが良い。お前が惑わされる前に』

 何かの暗示を掛けるよう響く声に空気がぶつかり合い、ぎちぎちと不気味な音を立てる。
 精神世界面から抜き取られた力は私が創造するよりも遥かに大きく濃い魔力を含む、精密なもので。
 そうして、何かの呪文が私を中心として繰り広げられている状態になり、はっと気がついた。
 考えていたとしても、声に出してはいけなかったのだと。
 魔法を発動させる際に使う力ある言葉は、声の振動がなければ発動しない。逆に魔法構成さえ理解していれば、簡単な呪文ならば叫び声だけでも発動するように、声を出すだけでも効果は発揮されるのだ。――望む望まないは別としても。
 ああ、言霊の力を私は侮っていたのだ。

 そうして、視界は暗転した。



      >>20070404 そんな設定をどこかで見たような気がしたんですよ。



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