貴方という存在
ゆっくりと瞼を開けると、視界一杯に二つの姿が映りこんできた。
――それは、私の愛しい子達。
二人とも、不安そうな表情をしていたというのに私の目が開いた途端、ぱぁっと顔を明るくさせた。
それがとても嬉しくて、思わず頬が緩まった。
「フィリア姉っ! 大丈夫?」
「かあさま、へいき?」
忙しなく問いかける子供達に私は大丈夫だと答え、笑みをこぼしながら倒れていた体を起こした。
状況を確認するため子供達の背景を見ると、ここは過去へ行く前にいた朽ちた
火竜王
(
フレア・ロード
)
の神殿であった。どうやら、次元の裂け目に引き込まれた場所へ戻ってきたようだった。
私は百八十度見渡そうとし、丁度ヴァルの斜め左あたりで視線が留まった。
何故なら、そこには予想もしていなかった人が居たから。
「ゼロス。――今日はよっぽど暇だったのですか?」
朽ちた祈りの間を侵食しようとする夜の闇に同化してしまいそうな、紫の
獣神官
(
プリースト
)
。
彼は、私の言葉に珍しく苦笑するように笑っていた。
けれど、私の問いかけに声を発するわけではなく、あのねと呼びかけたのは私の娘だった。表情をうかがい知るために顔を覗きこむと金色と紫色のオッドアイが、全てを暴こうとしているかのように私を映していた。
その二つの色はすうっと穏やかな弧を描いて細められた。
「とうさまが、ここにつれてきてくれたんだよっ!」
まるで良いことを報告するように声を弾ませそう述べた。
そんな娘の発言が意外で、私は思わずゼロスを見ていた。
彼は、まだ珍しく苦笑していた。
「子供達だけでここに来させるわけにはいかないでしょう? もっとも、彼らであればここに来るのはたやすいかもしれませんが、たまたま一緒にいたものですから。……それよりも、貴方を次元の狭間から引きずり上げたのはゼフィですよ」
話題を転換させるように述べたことは、私の可愛い娘のことだった。
その様はなんとなく、娘の業績を妻に伝える旦那のようだなぁと泡沫のように思ったが、それよりもまず先にすべき事は娘を褒めることだった。
だから、私はぎゅうっと彼女を抱きしめて顔をほころばせた。
「ありがとう、ゼフィ」
「いいの、わたしかあさまのことだいすきだもんっ。かあさまがこまっているんならいつでもたすけるよっ!」
少しだけ体を離した彼女は、にこっと無邪気な笑みを私に向けてくれたので嬉しくて胸がぎゅうっと締め付けられた。
この幸せに。
「もちろん、俺もフィリア姉がピンチの時は助けるよっ!」
ヴァルも、主張するようにそう言ってくれたので一旦娘の体を離すと、ぎゅうっと彼も抱きしめた。
そうして顔を上げると、娘は闇と同化してしまいそうな獣神官にも無邪気な笑みを見せていた。
「とうさまも、こまっていたらたすけてあげるっ! わたし、とうさまもかあさまとおなじぐらいだいすきだもんっ」
獣神官が年端もいかない娘に助けられる図を想像するのはかなり困難であった。
がしかし、彼は何を思ったのかくすくすと楽しげに微笑んでいた。あの、作られたような笑みではなくて――魔族には似合わない穏やかな笑みを娘に向けて。
もし、過去に行ったことでなにかしらの影響が起きたとしたら今この風景が正にそうなのだろうと、あの魔族らしいゼロスを思い浮かべてふわりと考えた。
そう考えていたのは一瞬のことで、服の袖を引っ張られて私はヴァルを見た。
「フィリア姉、帰ろう?」
ハンバーグ、作ってくれるんだろう? と続けた彼に、ああそういえばと私はヴァルとの約束を思い出した。
そうね、と同意を示した私はヴァルを抱きしめる手を離すと立ち上がり、彼の小さな手を掴んだ。
「あー、ヴァルにいさまずるいー! わたしもかあさまとおててつなぐー」
ぷうっと膨れる娘が差し出された手をヴァルとは反対の手で繋ぐと、この朽ちた火竜王の神殿から出るために。
そうして獣神官の前を通り過ぎようとすると、娘が声を発した。
「ねっ、とうさまもいっしょにかえろっ!」
ゼロスはくすりと微笑んだだけで娘の隣を歩こうとはしなかったが、三歩ほど離れたところで歩き始める気配を感じた。
それが、彼なりの答えだったのだろう。
私は二人の手と後ろからついてくる気配に穏やかな暖かさを感じながら、火竜王の神殿を一度も振り返らず帰った。
この後、この風景が保たれることはないだろう。
火竜王様が指摘したとおり、心は移ろいやすいものだ。私が彼を憎く思ったり、彼が私に飽きてしまえば即座にこの関係は終了する。
そして、それ以前にこの風景を保つための要素である獣神官は、宿命に抗う術すら与えられない魔族。
いつか全て潰えてなくなってしまうことだってあるのだろう。
けれど、それでもいいのだ。
甘くも苦い彼という存在は、私にとって口に出せぬ愛情なのだから。
>>20070608
タイムパドラックスは別段起きずに終了。
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