罪と罰と
それから、私の生活になんら変化はなかった。
骨董屋は、私の目利きの良さも反映してか、少し遠いところから買いにきてくれる常連さんも増えた。ヴァルガーヴはすくすくと育っている。そのやんちゃっぷりに、ジラスさんとグラボスさんは手馴れない様子で、家事の手伝いをしてくれた。ゼラスさんも不意に顔を出して、香茶を飲みながら、骨董の話に花を咲かせている。ゼロスもよく来ていた。
なんら変わらない日々だった。私の心以外は。
ゼロスの顔を見るたびに苦しいと叫んでいる心がいる。
ゼロスに抱かれるたびに歓喜している心がいる。
ゼロスの話を聞いているたびに楽しいと思う心がいる。
罪深い私にはこれくらいがお似合いなのかもしれない。
叶わない恋をしているのが。
それを知っているのか、知らないのか、ゼロスは顔を出す。苦しみはあの人の美味となり、喜びはあの人の傷になるだろう。それでも、彼は来ていた。
「姐さん、顔色悪いですよ?」
ヴァルガーヴを抱いているグラボスさんにそう言われた。
ふと、皿洗いしていることを思い出して、私はグラボスさんに笑顔を向けた。
「大丈夫ですよ。すっごい元気なんですから!」
空元気なのは分かっている。でも、こうしなければ、私には耐えられそうになかった。
それに、グラボスさんとジラスさんに迷惑をかけたくない。私はめいいっぱい笑った。
「おねえちゃ」
ヴァルガーヴがそう呟いて私に手を伸ばす。
手が濡れていて抱っこは出来なかったけれど、小さな手は私を心配するように頬を触れていた。
「大丈夫ですよ、ヴァル。私は元気なんですから♪」
にっこりと笑うと、でも、それでもヴァルガーヴは心配そうに私を見ていた。
そんなヴァルガーヴに微笑むと、私は皿洗いを再びし始めた。
ぐらり、と一瞬眩暈がした。
かしゃん、と割れた音がする。それをどこか、遠い場所で聞いているような気がした。
「姐さんっっ!!」
「…大丈夫よ、ただの立ちくらみだから。此処も私が片付けます。ですから、グラボスさんはヴァルと遊んであげてください」
にっこりと笑顔を作った。グラボスさんは心配そうな顔をしていたが、行ってくれた。
私は、割れたお皿を拾い集める。
と、ぷつとガラスが突き刺さって、赤い血が流れた。
まだ駄目。
もう少しだけ、
もう少しだけでいいの。
私にきちんと贖罪をさせてください。
数日がたっても私の体調は良くなるどころか、どんどん悪くなっていった。
ジラスさんとグラボスさんは、私が立ちくらみをしたり、食べたものを吐いてしまったり、倒れてしまうたびに自分たちがするから、姐さんは寝ててくださいと言った。
私はそれをやんわりと断った。
自分で犯した罪なのだ。自分で払わなければいけない。
ただ、それだけのことだった。
心配をかけてもらえることでもないし、心配してもらうものでもないもの。…それだけ。
「お久しぶりですねー、フィリアさん。…おや、お顔が真っ青になっていますよ?」
ゼロスはニコニコとそう言った。
例え、私が愚かな竜と成り下がっているのを知っていても、其の所為で死んでしまっても、このまま笑い続けるのだろう。ふと思った。
贖罪をしたい。
ただ、それだけなのに。
どうして、叶えさせてくれないんですか、神様?
「貴方には関係ありません。…それより、そこにいないで下さい。邪魔です」
ぐらぐらする身体の力をありったけ絞って、私はゼロスを避けさせた。
骨董品の所在確認をしなければならない。せめて、いい状態に保てるようにしなくてはいけない。私はぐらぐらする視線をどうにか抑えつつ先に進む。
「フィリアさんっ…!」
ぐらりと、視界が暗転した。
何故か心配そうに焦っている、ゼロスの表情を見たような気がした。
善は何処から生まれたの?
悪は何処から生まれたの?
光は何処から生まれたの?
闇は何処から生まれたの?
全ては混沌から。
では、混沌は何処から生まれたの?
偉大なる全ての母から。
では、偉大なる全ての母は何処から生まれたの?
光と闇の交わる刹那から。
くるくる回っているのね。
ええ、回っているわ。メビウスの輪のように。全てを知るものなど誰もいない。
善は何処から生まれたの?
悪は何処から生まれたの?
光は何処から生まれたの?
闇は何処から生まれたの?
闇の中に光がぐるぐる回っていた。
やがて、光が闇を消すのではなく、互いが均等に交わり、全ての色が生まれて。
「……リアさん…フィリアさん?」
閉じていた瞼を開けると、ゼロスの顔がそこにあった。
目を開いて、でも安堵している表情。…こんなゼロス見たことない。天井を見て、周りを見渡して、此処が二階の自室だと気がついた。
何の気まぐれか、運んでくれたのだろう。それとも、ジラスとグラボスが来たのだろうか。
「なに、ボーっとしているんですか!?体調が悪いなら悪いでおとなしく休んでいればいいものを。貴方は無茶しすぎですよ?」
「何言ってるんですか?中間管理職の貴方のほうがお忙しいじゃないですか。私は、貴方よりは無茶していません!」
「なにいってるんですか!?ジラスさん達から聞きましたよ、ここ数週間ずっと具合が悪いこと」
「それは…」
それは事実だった。
自分の生命力の無くなりかたは尋常じゃない。たぶん、ルナさんが言っていた「魔と交わっていた」所為だろうとすぐに分かった。光と闇が反発し始めたのだ。今になって。
私の光が拒んでいる。でも、闇の侵食は私の心と一緒で早い。
私には時間がなかった。
神は私にヴァルガーヴに贖罪させる機会すらも与えないというのだろうか。
罪深き私には。
「とりあえず、休んでください…」
「駄目!!」
私は叫んだ。
罰を受ける日は近くなっている。闇が光と反発して私を攻撃している。罰を受ける前に罪を償わなくては。
それが、ただの私の自己満足だとしても。
「何をそんなに焦っているのですか?フィリアさん?」
「罪を償わなくては…。罪を…」
ベッドを降りようとする私をゼロスは止めた。魔族の力の1000分の1も出していないのに、あっさり私はベッドに戻される。体が震える。まだ、駄目。私に罰を与えては駄目。罰を与えて私の背負い込んだ重荷を下ろすのはまだ早い。
それに、私はヴァルガーヴから罰せられていない。
光と闇がぐるぐる渦巻く。
「どうしたんですか!?フィリアさん!!」
ぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐる……。
「まだ…まだ…いやぁああぁぁぁぁああぁぁぁぁあぁぁっっ!!」
絶叫した。
瞬間、光と闇が入り混じるのを感じた。
輪廻。
爆発的な力を子宮に感じ、神魔融合魔法を思い出した。
そして、光と闇の交わる刹那の爆発的な其の力に私は意識を失わずにはいられなかった。
声が聞こえた。
誰でもない声。
私の知らない声。
でも知っている声。
そして、安堵と恐怖を与える声。
声は呟いた。
ただ一言。
『それは罰ではない』
ああ、そうか。
そうなのですね。
私の身近にいた人。
私の遠くにいた人。
私たちを生み出したもの。
見守っているもの。
それは…。
「フィリアさん」
ゼロスの声がはっきり聞こえた。存在が近くでわかる。
小さな産声は光と闇の合間から生まれる。
刹那、灰色となり全ての色を司るのだ。
「心配かけました」
私は瞼をはっきりと開け、ゼロスにそう言った。彼はまったく心配していないかもしれないが。気持ち上のお礼みたいなものだ。
「一体何がどうなっているんですか?一瞬、あのお方の声が聞こえたような気がしたのですが…」
ゼロスはにこ目で、不思議そうに言った。
いつものパターン。変わらない日常。
「それは貴方の所為だからですよ」
私はぷぅっと膨れてそう言った。
ゼロスはさらに理解できないでいる。
「どうゆうことですか?」
「では問題です。光と闇の間に生まれるのは何でしょう?」
「…は?」
ゼロスは不思議そうな顔をした。私はふふと笑った。
「ぶぶー。はい時間切れ。私の勝ちですね♪」
「は?いつ貴方が僕に勝ったというんですか!?」
「いまでーす」
少し行動が子供っぽい。でも目をつぶって欲しい。私は幸せの中にいるのだ。
罪でもなく、贖罪も出来る時間もある。また、罰ではなく祝福をあの方はくださった。…それすらもあの方にはどうでもいいことなのかもしれないけれど。
ゼロスは願ってなどいないだろう。でも言うつもりだ。そうして、この子もヴァルガーヴと共に育てよう。何者にも流されぬようにと。
「まず最初に、私が体調が悪かったのは私の属性の光の中に闇を取り入れていたからです。反発した力は私のところに来ました。…私としては今ごろ…と思ったのですが」
「…それじゃ、フィリアさん死ぬところだったんじゃぁ…」
「はい。死ぬと思いました♪」
「なんですか…それ、深刻な話じゃないですか…。なんで僕に言ってくれなかったんです!?」
焦ったように、ゼロスは言った。
…私としては「そうですかー、ははは」と言って、他の玩具探しに行くと思ったんですけれど…。
予想外の反応です。
「言う必要もありませんでしたし、覚悟もしていましたから。ただ、少し早いとは思いましたが」
贖罪の時間が欲しかった。ただ、それだけだった。無理なら今の自分で出来る限りのことをしようと思った。だから、私に休む必要もなかった。
「で、その流れから言うと死ぬ必要はなくなったと」
「ええ。私の中での光と闇がきちんと融合したらしく、さっき、爆発的な力が私を襲いましたが。生きていますし、命を宿すことも出来ました。…気まぐれとはいえ、感謝しなくてはいけませんね」
リナさんただ一人が扱える、あの呪文の元の人に。
ぐるぐる回った輪廻は元通りにぐるぐる回るのだ。光と闇を生む混沌を生んだ光と闇のように。
「フィリアさん…命を宿したって…」
「ああ、貴方との子供ですよ。だいたい。闇を取り入れることを出来るのなんて貴方しかいないじゃないですか。あ、認知しなくてもいいですよ、私はこの子を…」
続きはいえなかった。突然、ゼロスに抱き締められたから。
ゼロスの腕の中にいるだなんて奇跡のようにしか思えなくて、私はただ驚いていた。
「認知しますよ。ちゃんと、父親になります」
「な、何言っているんですか?そんなことしたら、生の喜びとか思いっきり受けますよ」
「甘受します」
「何を言っているんですか」
私は戸惑うことしか出来なかった。
今までの予想とまったく反対の行動しかしないゼロスに私はどうすればいいのか。
「魔族の僕の最大の愛情表現ですよ♪フィリアさん、元気な赤ちゃんを産んでくさいね」
腕の中から戸惑うようにゼロスの顔を覗きあげると、魔族にはよほどふさわしくない幸せそうな顔をしていた。それで、最大の愛情表現の意味がわかった。
…でも、それって愛しているって言っているのと変わりないですよ、さほど…
そう言いたかったが、腕の中が心地よくて、何も言えなかった。
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