幸せな約束
強く前に出した右足を踏み込み彼女が扱うには大きすぎる剣を振りかぶりまるで叩きつけるように降ろした。
神官はそれをなんて事のないように何処にでもあるような杖で受け止める。
魔族であるゼロスは精神世界にその身を移すことも可能であったが、ルナが人間であるがゆえにゼロスも制約を受けていた。
なぜならば、魔族の力を出し切ることは例えルナが赤の竜神の騎士であったとしても、人間"ごとき"に全力を出さなければいけないと認めることになり、それは精神体の生き物である魔族にとっては存在をも脅かす屈辱になるからである。
元の力の差を引き離すような更なる制約に、だからこそゼロスは命を賭してもなどという言葉を吐かざるえなくなってしまったのだった。
それでもゼロスは圧倒的な力の差などまるで気にしていないようにバスター・ソードを弾くと杖を彼女の胴体に向けて振った。
しかし、それに反応できないルナではない。扱えないのではと思えるほどの大剣を小さく動かし、彼の杖を受け流した。
「さすが、ルナさん。リナさんと違って力の加減は不必要ですね。……といっても、人間の身ではそれが限界なのでしょうが」
とん、とバックステップで間を取ったゼロスはにこりと先ほどまでの笑顔を再度被せて、軽い調子で言った。
それは今までルナが軽くいなしてきたどの敵とも違う、余裕で実力の限界を感じさせぬものだった。
井の中の蛙。そういう運命だったと自身で納得していても、ルナは初めてあいまみえる経験の無い力を持った敵に対して、焦りを感じていた。
彼を倒せるほどの力は所有している。
けれど、それを実践として使うのはまた違う話なのだから。
単純な力関係ではルナが圧倒的に勝利できるだろうが、戦闘経験からいえば目の前の神官のほうが遥かに豊富だ。
しかし、ルナは不敵に笑って見せた。
それは妹に対して常に実践してきたことであったし、自身の性格であった。
「そうね……。ガウリィさんでも私は力の加減をしてきたけれど、貴方ならばその必要はないのね」
発揮したことのない実力を出さなくてはいけない相手。――それが、獣王直属の部下獣神官ゼロス。
ルナは足を踏み込みゼロスに真っ直ぐ走りこみ剣を動かした。
かんかんかん、と小刻みに繰り出される手にゼロスは杖で全て受け流し、弾き飛ばした。
「
崩霊裂
(
ラ・ティルト
)
」
放たれた精霊系最大の呪文は青白い光を放ちルナを包み込もうとする。
だが咄嗟にバスター・ソードを振り下ろし、周りを包んでいた青白い光を断ち切りながら手前へジャンプし、くるりと一回転しながら着地した。
「へぇ……。人間は比べ物にならないほどの攻撃力を持っていたはずなのですけれどね」
即座に反撃に移ったルナの剣をかわしながら、ゼロスは感心したように呟いた。
止めなければならないという本能で動いている切実なものであるはずなのに、彼の思考回路ゆえかそれともそれほど大げさには考えていないのかその言葉にどこかゲームめいたものを感じ、ルナは唇をかみ締めていた。
自身の力の無さに。
それでもルナは目の前の神官を倒し、レイ=マグナスと会わなければならない。
そう、自身で決めたのだから。
だからこそ、ルナはその思いを剣に乗せゼロスに対し手を出すしかなかった。
「はぁああああっ!」
思いをこめた一振りは彼の服を掠めるが、その擬態に致命傷を負わせるには程遠い。
思いは届かず、そのまま形だけが逃げていく。
ルナは歯がゆさを感じていた。そう、今まで感じたことのなかったほどの歯がゆさ――。赤の竜神の騎士などとは名ばかりで何一つ力を持っていない自分に対しての、歯がゆさ。
ぎりり、と不穏な音がして自分が歯を噛みしめていることをルナは感じた。
――とそんな時、脳に聞きなれたような声が響いた。
『獣神官ゼロスよ――。赤の竜神の騎士を我が下へ』
その言葉に始めてゼロスは驚いたような表情を見せ、声を荒げた。
「……っ、赤眼の魔王様!しかし、彼女は貴方様を――」
それは予期もせぬ上司からの言葉だったからに他ならない。
誰が、自分を殺そうとしている者を自分の下へ来させるか。ましてや、神官にとってみれば君主ともいえる仕えるべき人であり、自身らの象徴でもあるのだ。そんな者の下へやすやすと危ない者を行かせるのは部下として憚れるべきことであるし、例え本人から言われても譲れぬものでもあった。
しかし、赤眼の魔王はそんな部下の心配など知ってか知らぬかふっと鼻で笑ったようだった。
『分かっておる。――汝は我が赤の竜神の騎士ごときに討たれると思っておるのか?』
所詮赤の竜神の欠片ほどの力しか持っていないルナと七分の一という割合ほどの力は有しているレイ=シャブラニグドゥの力の差は単純に考えても明らかである。
冗談ではない、と言いたげな口調にゼロスは咄嗟に姿すら見えないのに跪き頭を垂れた。
「いえ――。貴方様が其処まで弱いとは思っておりません。……わかりました」
再度笑顔という名の仮面を被った神官はふぅと疲れたようなため息を吐くと、立ち上がりルナを見た。
ルナが不穏な動きをするのであればそれを止めろ、というのが獣王自らの命令であっても魔族全ての王である赤眼の魔王に逆らうことなどできるはずもなく。
ゼロスは笑顔でありながらもやや疲れた様子で地面に杖をつく。
「ルナさん、許可が下りましたのでどうぞ行ってください。が、我らの王に対して不穏な動きをするようであれば……」
無駄だとはゼロス自身も分かっていながらも、ルナに対しプレッシャーをかけることを忘れない。
その言葉にルナはふっと不敵に笑みを浮かべた。
「まったく、彼一人に会うだけでも命がけね」
そのまま神官を置き去りにし、ルナは右手にバスター・ソードを握り締めたままカタート山脈の奥へと歩いていった。
本来ならば虫の一匹すらも近づけない、魔族に守られたカタート山脈の奥の奥。
まるで眠っているような穏やかで何一つ表情を変えないまま氷の中のその人をルナは見つけた。
――そう、初めて会ったときから何一つ変わっていないレイ=マグナスの姿を。
「久しぶりね、レイ=マグナス」
ルナは親しい人に対して挨拶するように、氷付けのその姿に左手を上げて笑顔を見せた。
その様子に彼は何を思ったのか、くすりと笑う声が脳を揺さぶる。
『ええ、あれから時が少し流れたようですね……ルナも変わっていない』
「ふふ。私がそうやすやすと変わると思う?」
『いや、意志の強い君はそのまま変わらないと思っていたよ』
「褒め言葉をどうも」
それはなんて事のない些細なやり取り。
そうしながらもルナは氷付けのレイ=マグナスへ歩を進め、ついにその身を束縛している氷に触れた。
ゆっくりと手をつなぐように彼の手の位置にルナは手をやり、そうしながらまるで頬に触れるように氷の上からそこへ手を置いた。
それは温かみすら感じられない空しい行為にも見えたが、ルナにとっては少女が好きな人に触れられることを喜ぶように嬉しいことであった。
そんな風に、ルナはレイ=マグナスに触れることを楽しむように何度も何度も氷の上から手を滑らせていたが、ふと触れるのを止めると真剣な表情のまま瞑られた彼の目を見た。
「約束を――果たしに来たわ」
それは最後に会ったとき。
降魔戦争の罪の意識から逃げられないレイ=マグナスの姿に、ルナは真剣な表情で呟いたのだった。
『次に会うときには貴方を"殺し"に来るわ』
その言葉にレイ=マグナスの息を呑むような音が脳内に響いた後、酷く穏やかな声で言ったのだ。
『――お待ちしています』
と。
それは、一般的に見れば酷く後ろ向きでどこまでも暗く救いの無いような言葉だったのかもしれない。
だが、二人の間ではこれ以上に語れる愛の言葉など何処にも存在していなかった。
二人とも元は人間といえど、神族側と魔族側。
敵対することを――"あの方"から決められた定めを乗り越えられる瞬間など、どちらかが倒れるときしか存在していなかったのだから。
そうして、その愛の言葉を果たすためにルナは氷付けの彼の前に立っていた。
『ルナ――。有難う』
ルナの脳内を柔らかな彼の声が揺さぶる。
そうしながら、ルナはくるりと氷付けの彼に背を向けて自身の腹に向かって自身に似合わないバスター・ソードを突き刺した。
刹那、流れるのは深い深い赤――。
人間としての肉体の死を遂げていなかった彼にようやくそれが訪れ、レイ=マグナスの動き全てを封じていた氷が解けてなくなった。
バスター・ソードを抜き取ったルナは腹から流れる血などものともせずくるりと彼のほうを向くと、命の灯火が無くなる寸前に二人はようやく互いの体を抱きしめあった。
ルナはゆっくりと氷越しではなく彼の頬に触れると、とてもとても嬉しそうに微笑んだ。
「――愛しているわ」
初めてその言葉を呟いたルナに、久方ぶりに動く体でレイ=マグナスは初めて口角を動かし柔らかな目元を作り彼女を見つめた。それは、蜃気楼のように。
口がゆっくりと言葉を紡ぐ。
あ、い、し、て、る――。
声に出して発することは出来なかったものの、言葉を知ったルナは微笑んだ。
そうして、互いの体を抱きしめあったままゆっくりと崩れ落ち、二人は現世の意識を混沌の底へと追いやった。
相反する立場にあった二人が倒れたカタート山脈では。
「――やれやれ、どう獣王様に報告したらいいんでしょうかねぇ」
そんな、困ったような獣神官の声だけが聞こえた。
>>20060802
この後ゼロスはこってりと獣王様に怒られました。ちゃんちゃん。
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