追想




 山崎に客間を案内された私はそこに旅暮らしで最低限必要だから、と持っていた荷物を置くと傘と財布だけ持って屯所を出た。
 屯所の中は一斉検問の段取りに追われて酷く騒がしかった所為か、屯所の中にいるには珍しい女である私の存在は無視されて酷く心地よい思いで外に出た。女という生まれ持ったスキルだけでちやほやされたいとは到底思えないし、それだけでちやほやされたってなにも楽しくないから。
 先ほども幕府のお偉いさんに会うために最低限街を歩いたのだが、やはり見渡すかぶき町は店や建物の変化はあってもどこか退廃的な雰囲気は一つも変わっていなかった。
 それが逆に心地よい。
 休暇で来たわけではないのに、妙に和んでしまうのはここが私の故郷のひとつになってしまっているせいなのだろう。
 くるくると赤い傘を回しながら成長し視点が変わった目でかぶき町を懐かしむ。
 そうしながら、私が逃してしまったえいりあんの影がないだろうかと気配を探らせていると、急に周りの雰囲気が慌しくなった。
 恐らく、真撰組が動き始めたのだろう。
 警察の癖に妙に喧嘩っ早い奴らは、肉体派の所為か動きがいい。
 そういう意味では幕府が彼らを私に預けてくれたのは好都合だった。
 私が欲しかったのは、媚びた態度でも机上の計算を楽しむ頭でっかちな奴らでもなく、足で稼ぐという原始的な方法しか取れない人たちだったのだから。
 ふと視線を動かすと、よく見慣れた風景が存在した。
 いつの間にか慣れた道を選んでいたのだろうか?
 私が一時の止まり木として巣として選んだその場所へ向かう道を。

「……私も、バカアル」

 ふっと自身を鼻で笑うとくるりと方向転換して来た道を戻った。
 あの暖かい場所へ向かう道ではなく。
 そうしながら、町並みの変化により変わった地理を覚えるためにいろいろな場所を動き回ると真撰組屯所へと戻った。
 屯所は変わらずばたばたしている。
 その様子を冷めた目で眺めながら、夕食をとると私はのんびりと与えられた自室へと向かった。


 一瞬の、肌が粟立つ殺気に意識が鮮明に覚醒する。
 咄嗟に布団から転がると、どんっと何かが勢いよく床に当たった音がした。
 その音を聞きながら、見えぬように掛け布団で隠しながら端に置いておいた自身の得手である真紅色をした傘を取り、殺気を出した人物へ横に振り切るように傘をぶんっと振った。
 すると、それは丁度相手の腹に当たったようで確かな肉の手ごたえと障子の破れる音が聞こえる。
 そして地面に襲った相手が叩きつけられる音を聞きながら私は庭に飛び出し傘を構えた。
 どうにも気絶させられたような気がしない。
 それは夜兎の本能として感知したのか打撃時に感じた感触からかはよく分からなかったが、ともかくいつ襲い掛かられてもおかしくないと警戒していた。
 息をつめ、相手の出方を伺う。
 草むらからがさごそと音がする。
 そして、にょっと出てきたのは空に出ている満月と同じ色をした頭だった。

「さすがでさァね、チャイナ。腕が鈍るどころか精巧で力強くなってまさァ。昔より更に実践向きになったんじゃねーかィ」

 発せられた言葉は悪びれたところなんて何一つない、沖田特有の淡々としたものだった。
 それは余計に苛立ちを誘うものなのだろうが、私も彼と同じように抑揚のない声で人をからかうのが(彼ほどではないが)好きだったので、これっぽっちも苛立ちを覚えなかった。
 それは生粋のサドである沖田にとっては喜ばしくないことであるのかもしれないが。
 けれど、私に腹黒星人を喜ばせる義務なんてこれっぽっちもなかったので、傘の先端を沖田に向けたまま抑揚のない声で言った。

「……サド王子か。寝込みを襲うなんていたぶるのが大好きなサドには不似合いヨ」

 その言葉に沖田はにやりと人をなめきったような笑みを口元に浮かべた。
 そうしながら片手に持っていた刀をぶらぶらともてあまし気味に揺らしていた。
 だから、私は知った人物であっても気を抜くことが出来ずに傘の先を沖田に向けていた。
 得手を持っている沖田の前で気を抜くのは自殺行為に等しい。というか、そんな評価しかもらえない目の前の男が妙に不憫に思える。

「アンタが昼、俺らに寝込みを襲われないと言ってたんでね、試したくなっただけでさァ」

 その子供のような言い訳に私は思わず息を吐いていた。
 二十代にもなって未だにやんちゃな子供のような振る舞いなど、無邪気を通り越して気持ち悪いだけだ。
 その辺りを指摘していつも通り罵りあいに突入しても良かったのだけれど、綺麗な弧を描いている月の下で不毛な罵りあいをやる気分にもなれず、事実を述べることにした。

「確かにオマエより剣の腕が下だったら最初の一発でぶちのめしていたヨ。でも、オマエは認めたくないけど強いアル。オマエに寝込み襲われたらちょっぴ厳しいネ」

 私の言葉を予測してなかったのか、沖田は驚いたように目を見開いて私をじぃっと見た。

「ほう……。アンタの評価も随分甘くなったんでさァね」

「年をとれば人間丸くなるネ。いつまでも尖ってはいられないアルよ」

 私も四捨五入すれば二十代という年齢になった。
 沖田と初めて出会った十代前半といつまでも同じというわけにはいかないのだ。……彼を見れば直ぐに反発したくなるという気持ちがなくなる程度には。

「そうかィ? アンタの昔からあった凶暴さがなりを潜めたとはとても思えねェ。寧ろ、アンタは生粋の夜兎族のように酷く冷えた殺気を出すようになったぜィ」

 冷えた殺気など沖田の前で出した記憶がないのに、確かに沖田と顔を突き合わせる機会の多かった頃より感情に流されることなく冷めた目で夜兎の血を制御し戦えるようになった自分の一面が何故ばれたのだろうか。
 もしかしたら、類稀なる剣術の才能を持っている沖田だからこそ分かったのかもしれない。夜兎という細胞からの才と平凡な種族の中で抜きん出た才という違いはあったものの。

「それだけを出しているわけにはいかないアル。年頃の女性は多面性で男を翻弄するものヨ」

 にやり、と口元で微笑みを作った私に対して沖田は肩をすくめた。

「俺はしがない芋侍でさァ。女心はこれっぽっちもわからねェや」

 見目と警察所属という安定した職業を持っている沖田はそれだけであれば十分モテただろうに、恐らく奴のキャラを引き立たせているサドという性格特性が全ての女を遠のかせている原因なのではないかと思い当たり、性格的欠落というのも大変なのだなと今更ながら思った。
 もっとも、かぶき町の女王をしていた頃見かけた人間は皆、性格的欠落だったり趣味思考が明らかにおかしかったりとひとつ以上は他人から見て引く欠陥が存在していたが。
 などとどうでもいいことを考えながら私は彼を鼻で笑った。

「だからオマエはもてないネ」

「それもそうだろうねィ」

 肯定した沖田は女のことなどどうでもよさそうだった。
 やはり、彼は変わっていないのだ。
 真撰組が何よりも優先され、そして剣の道をただ愚直に進んでいることにおいては。
 真っ直ぐに沖田の鳶色をした瞳を見ると、彼は何を思ったのかふっと吐息を漏らすように笑いぶらぶらと片手に持っていた刀を腰に差した。
 だから、私もようやく傘を降ろす。
 ようやく何の障害もなく真っ直ぐに見た沖田はなんだか楽しそうな雰囲気をかもし出していた。

「今度は正々堂々勝負を仕掛けまさァ。いたぶってやるから覚悟しろィ」

「いつでも受けてたってやるヨ。オマエの屈辱に苦しむ顔を見るのが今から楽しみネ」

 それはまるで昔にタイムスリップしたかのような言葉だった。
 確かに私は時折見かけて喧嘩を仕掛けてくる沖田に対して減らず口を叩きうっとおしく思いながら、どこかで自分と同等に喧嘩できるこいつの存在を肯定していた。まるで喧嘩友達のように、しかしそれとも違う不思議な関係性をもって。
 ふと沖田は空を見る。

「ああ、もう月が天辺まできてらァ。さて、俺ァもうそろそろおいとまするぜィ。じゃあな、チャイナ」

 沖田は寝こみを襲ってきたことなど最初からなかったように淡々とした口調で述べるとさっさと屋敷の中に入ってしまった。
 本当失礼な奴だ、と思いながら私も部屋を見て壊れた障子をどうしようかと思い巡らしながら屋敷へと足を進めた。



      >>20060715 大人になるということは変化を伴うものである。



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