それから二日ほど経ち、証拠を待つ身である俺は非常に暇だったのだが仕事は変わらず襲い掛かってきたので、勤勉とはいかないまでもまぁそこそこに仕事をこなしていた。
中番の仕事を終わらせ、ぐだぐだとテレビを見たり夕食を取ったりして過ごしていたのだが、夜の十時を回る頃になり突然うま〜い棒が食べたくなった。
人生とはかくも理不尽で、仕事直後にはうま〜い棒なんてこれっぽっちも食べたくなかったというのに、夜もほどほどに更け自室でぐだぐだしているときほど手元にないものが食べたくなるのだ。
そんな人生の罠に見事嵌った俺は、たこ焼き味を求めてコンビニへと向かった。
屯所自体は繁華街から少し離れた場所にあり(ど真ん中を陣取れなかったのは真撰組という部隊に重点を置かれていないせいだろう)、コンビニまでは歩いて十五分から二十分ぐらいかかる。
車を運転すればいいだろう、という話もあるが俺は普通免許は取得していたものの自家用車を所有しておらず(車は全て真撰組の公用車を借用していたため)、土方さんに追い掛け回されるほどの余力を残していなかったので止めておいた。ノリノリならば、うま〜い棒一本を買うため、公用車を乗り回して土方さんをおちょくるのだが。
屯所を出る際に、在・不在を示す名札を見ると月浪、陽江ともに不在だった。
どちらも、確か通いだったため居なくとも不思議ではないのだけれど。
目の先でそんな確認を済ませ、屯所を出ると冷たい夜の風が俺の体に吹いた。
もふもふのジャンパーでも着てくればよかったと後悔しながら、人気がなく音の少ない夜道を歩く。
繁華街に抜けるため、近道である路地裏を通ろうと更に音が少ない道を歩いていくと、悲鳴が聞こえた。
それは男の悲鳴だった。
刀を引き抜き、聞こえた方向へ駆け抜ける。
曲がり角を二つほど曲がった先でそれは居た。
月を背にし立って居たのは……黒い着物を着た男。
その手には刀を携えており、足元には死体であろう物体が転がっていた。
その様を見て、すぐにピンと来た。
「攘夷浪士殺しの下手人だな?」
男は唇に弧を描いた。シルバーアッシュに染めた髪の下の目は黒布に包まれ、人相を隠すことに一役買っている。
「大人しくお縄につけィ。大人しくしねーともっと酷い目に遭うぜ?」
にやり、と男に向かって笑う。
すると男は何を思ったのか、手に持っていた刀を俺に振りかざした。
たんっと横に飛び、それを避けると俺は手に携えた刀を同じように振るいながら叫んだ。
「よっぽどひでーめにあいてェらしいな、望み通りにしてやらァッ!」
しかし、伊達に攘夷浪士を斬り続けてきたわけではない。振りかざした剣を避けると、男は更に足を踏み込んで間合いをつめていく。
剣にも間合いは存在しており、接近戦の武器とはいえ近すぎては刀を振るうのが困難になってくる。それでなくとも、刃こぼれしないように受け流すのは大変だというのに。
だが、これしきのことで負けるような剣の腕を持ってはいない。
踏み込みながら小刻みに刀を振るい続ける男に対し、受け流しながらも攻撃の手を増やしていく。
だが、男は俺の攻撃を見事に流しきっていた。
「器用だなァ。器用貧乏って奴かィ? ……だがなァ」
本来なら流す攻撃の手を受け止める。
ぎじっと刃こぼれする音とともに、飲み込む息遣いが聞こえる。
「それだけじゃあ、俺は超えられねェよッ!」
力の入っていない刀を弾くと、ざんっと肩を切り裂いた。
血が刀を伝い、流れ落ちていく。
男は勝ち目がないと思ったのか刀が肩を離れた瞬間にバックステップを踏み、警戒しながらも少し離れたところで背を向けて逃げていった。
俺は追いかけずに、その様を見ていた。
「まだまだだなァ」
呟くと懐紙を取り出し刀を拭きながら、うま〜い棒を買うためにコンビニへ向かった。
思想
次の日、俺は自室に隊員を呼びつけた。
隊服を着込み、机に肘を置いて頬杖をつきながら待っていると襖ががらりと開けられてそれは姿を見せた。
「――何か用でしたか、沖田さん?」
太陽の光と同化したブロンズヘアを揺らしながら、月浪は笑顔を俺に向けた。
「とりあえず、座れや」
そう彼を促し俺と向かい合わせになるよう座らせると、茶を月浪の前に出した。
しかし、珍しく俺が自ら入れたお茶などに見向きもせず、月浪はぎっと真剣な表情で俺を睨んでいた。
「なんか、俺まずいことでもしましたか?」
ずずずっとお茶を飲みながら、真剣な表情で睨む月浪に俺は目を向けた。
「てめーが一番良く知っているはずだろ? 攘夷浪士殺しの下手人さんよ」
「なんのことですか?」
既に、そう言われることを予測していたのだろう。
月浪は酷く不思議そうな顔をして俺を見ていた。
「しらを切ろうったってそうはいかねーぜィ。てめーの喧嘩の癖は隊長である俺が一番よく知ってらァ」
そう言って、俺はにやりと口元に弧を描かせた。
月浪はそんな俺をどう思ったのか、表情も変えず俺に聞いた。
「どこに証拠があるって言うんです?」
「その左腕の傷」
腕を指すと、月浪はまるで隠すようにそこを押さえた。
「こんなの、先陣切って戦っている俺らだったら誰でも持っているでしょう? 陽江、とか」
「まぁ、陽江は一番怪しいだろうな。奴は攘夷志士に対する憎しみを隠そうとしていなかった」
その言葉に、月浪は小さく頷き同意した。
確かに、動機を隠さなかったのは陽江だ。
「だが、てめーにだって動機はあるだろ? ……攘夷戦争時、攘夷志士らによって両親を殺されたっていうなァ」
月浪はそこで初めて動揺したのか目を見開いた。
「山崎に調べさせた。奴は普段ミントンばかりしている駄目な奴だが、監察方としては有能なんでなァ。てめーの過去もしっかり調べ上げてくれたぜ?」
月浪はがりっと歯を軋むほど噛み締めた。
それは、彼の悔しさを表すには十分すぎるものだった。
肉親を無くすのは辛いことだ。その辛さだけならば、俺も十分理解できる。その上、他者に殺されたとあれば憎しみをそいつらに向けたっておかしくないだろう。
――姉を幸せにすらしなかった、あの男を俺が恨んだように。
だがしかし、月浪は感情を押し殺すような目で俺を見た。
「そうであったとしても、……証拠はどこにあるんですか」
その言葉に俺はにやりと笑った。
「証拠なら、いっぱいあるだろィ」
すっと刀を抜き出し月浪に向けて振り下ろす。
月浪は反射的に身を引き、服だけが破れた。
そうして、そこから見えるのは肩をまく包帯。
「その包帯を取ったら、昨日斬りつけた傷が生々しく現れるだろうよ。昨日は何の事件もなかったから、言い訳も出来やしねーぜ? 猫に引っかかれるにしてはでかすぎる傷だしなァ」
なにより、と俺は付け足した。
「さっき、俺が犯人を切りつけた時に採取した血液のDNA判定が出てなァ。てめーのDNAと見事合致してたぜィ。……こんなにもでかい証拠つきつけられりゃあ、言い逃れもできねーだろ?」
月浪は、ぶるぶると体を震わせ俺を睨みつけた。
怒りの炎を纏わせた目で。
「どうしてッ!? どうしてほっといてくれなかったんですか、沖田さんッ! あんな奴等死んだって誰が困るわけでもないでしょう? あんな、テロばかり繰り返している害虫なんてッ」
だんっと机に拳をたたきつけて声を荒げる月浪を俺は静かに見た。
叫んで、ハァハァと荒く息を吐く彼に、俺は静かに言葉を述べた。
「俺らは人殺しを生業としてらァ。――人を殺すことに躊躇しちゃいけねェ」
「だからッ、俺も奴等を殺すときは!」
小さく首を振って、月波の目を見た。
激情に激しく揺れる月波の目を。
「だが、だからといってそれに日常を喰われちまったら、ただの畜生にしかなんねぇんだよ」
月浪は小さく息を呑んだ。
初めて俺の目を見て、激情に揺れる目を刹那に凍らせて。
まるで、自分の持論を覆されるとは思っていなかったように。
「斬る衝動を覚えちまったからこそ江戸という場所の道徳を守らなけりゃ秩序はなくなっちまって、ただ戦争のときのように弱者が怯える日々になっちまうんでィ。――お前が忌み嫌っていた、攘夷戦争みたいにな」
だから、俺は真撰組などという幕府の犬を甘んじてやっているのだ。
近藤さんが居なければ無論警察などいう道は選択肢にも含まれなかったが、近藤さんという人が居たとしてもその道が荒くただ汚く救いの一つもないものだったら、例えば万事屋のように自由に生きていたかもしれないし神楽のように星間を渡り歩いていたかもしれない。
けれど、それらを選ばず警察という役目に居るのは、あくまで秩序を守るという役割が存在しており俺らがいることによって救われる弱者が少しでもいるからだった。
――だから、俺はその秩序が損なわれる要因を許せるわけがなかった。
それが例え、その場だけならば正義に見えることであっても。
「月浪、てめーに隊長だった俺からの選別として、三つの選択肢を与えてやらァ」
指を三つつきたてて、月浪に述べると激情すらもなくなった彼は静かにその様を見ていた。
「一つ目は、士道不覚悟として俺の介錯で切腹する。土方さん辺りならこれを推奨するだろうなァ」
けらけらと笑って見せたが、月浪は何の反応も示さなかった。
「二つ目は、警察に突き出して攘夷浪士殺しとして裁きを受ける。上手くすれば死ぬことは避けられるだろうなァ。てめーには情状酌量の余地があるし、幕府は攘夷浪士を良く思ってねェ」
もっとも、これの場合真撰組はえらく叩かれる可能性がある、と言外に付け足した。
犯人を出した組織を叩かれるのは当たり前のことだ。特に真撰組は市民から良く思われていない節がある。
「三つ目は、攘夷浪士を殺さないことを俺に誓い、このまま俺の目の届かないところに逃げることだ。……まだ、てめーが攘夷浪士殺しの下手人だってことは山崎しかしらねェ。誤魔化すことはいくらでも出来らァ」
月浪は小さくつばを飲んだ。
「さぁ、どうする?」
答えを促す。
しかし、月浪はそれに答えずふらりと立ち上がった。
そうして、刀を抜いた。
「……そうか、それが答えか」
俺は目を伏せて、小さく呟いた。
だんっと踏み込む音とともに空気が駆け抜ける。
駆け抜けた空気が逆風し、障子を貫き壁に何かが叩かれた音がした。
そう俺が刀を抜き、彼を切りつけるのには一呼吸もいらなかったのだ。
それでも、小手先の技術に特化していた月波は胸から腹にかけて皮膚を切っただけで、まだ一命を留めている。
「真撰組一番隊隊長」
立ち上がり、つかつかと壁に寄りかかり荒く息を吐いている月波の元へ行く。
「沖田総悟」
俺は、にやりと人を舐めきったような笑みを故意的に浮かべた。
「――これが、てめーを殺す上司の名前だ。地獄の果てまで持っていきなァ」
刀を強く引き、月波の心臓めがけて突き出す。
刹那、月浪は――。
「……、……」
彼の胸は貫かれ、溢れ出た血は俺を濡らし赤く染め上げる。
月浪はそのまま目を見開き、絶命した。
俺はその様を見ながら、ふいと視線を横に向けた。
「山崎、そこに居るんだろィ」
「ええ、沖田さん」
ひょい、と天井から降りてきた山崎は眉を顰めて、どこか悲しげな表情で俺を見ていた。
「後始末、頼んだぜィ。てきとーに奴の良いようにでっち上げてくれや」
山崎は一つこくりと頷いたので俺はふらっと廊下を歩き始めた。
生臭くてしょうがねェ。
シャワーが暖かくなるまでなんて待てず、冷たい水のまま血のついた体を洗い流した俺は、普段着を着込むと濡れた髪もろくに乾かさないまま屯所を出た。
屯所に居る気分ではなかった。
でも、どこを目指す気にもなれずふらふらと足の向くまま歩いていく。
着いた場所は、つい最近神楽と喧嘩をした公園だった。
馴染みのベンチに座る。
先客の主はくるくると赤い傘を回して、傘越しに空を見た。
「――笑ってたんでさァ」
月浪は、最後の最後の瞬間に。
まるで赤子のように無垢な笑顔で。
「『止めてくれたのが、沖田さんでよかった』って」
止めを刺した俺にしか聞こえないような、小さな声で奴はそう呟いて。
呼吸を止めたのだ。
「人殺しなんて嫌だなァ」
自分のしたいことを貫くための士道は人の怨念を含み、俺を奈落の底へ落とそうといつも手招いている。
月浪は、その奈落の底に落ちてしまったのだ。
正義を謳った人殺しをしたがために。手段を知ってしまったがために。
正しいのかも分からない道をただがむしゃらに走り抜けていく、この真撰組という組織はだから近藤さんという人が居なければ成り立っていなかったのだ。
浄も不浄も全て飲み込んで、笑っていられる彼が居なければ。
俺や土方さんなど、月浪のようになってもおかしくなかった。
ただ、違ったのは近藤さんという人が居たから。その人についていこうと思ったから。
それだけの違いだった。
だから、俺は時折嫌になる。
人を殺すたびに。粛清と謳い仲間を殺すたびに。
奈落の底へ落とそうとする手は俺を引きずろうとし続ける。
「オマエには、そんな弱気似合わないアル。笑っていればいいヨ。自分勝手に生きて、自分勝手な正義を貫いて。……そう決めたのは、お前だろ?」
傘を持った少女は少しだけ俺に寄りかかり、慰めもしない突き放すような声音でそう述べた。
けれど、ほんの少しだけ伝わる体温の暖かさが俺を慰めていて。
奈落の底へ引きずり落とそうとする手から引っ張り上げてくれた。
「そうだな。そう生きるって決めたのは俺でィ」
俺は、いつも通りにやりと笑った。
それでも、まだ寄りかかるほんの少しのぬくもりを手放したくなくて、赤い傘の下静かに寄り添っていた。
>>20070830
うう、起承転結を上手くできる人になりたい。
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