血色そして焔色
北側郊外は、以前花畑の墓があった場所とは間逆の位置にある。
伝言するほど分かりやすい目印なのだろうと、宿屋の主人から簡単な説明を聞いただけで大きな木を目指す。
道なりに歩いていくと、木々も家もない拓けた場所へ出た。その風景の中で一番印象的だったのは大きく枝を伸ばした木で。
ああ、目印にするには十分だわ、と妙な納得をしながらそこへ向かう。
すると木の下にはクラウディさんとガウリィが立っていた。
久しぶりに見るガウリィの顔を見ると、透き通って消えてしまうのではと思えるほど綺麗な蒼色の目が、何故だか濁って見える。
駆け寄りビンタの一つでもかましたい衝動に駆られたが、あたしとガウリィの間を挟むようにクラウディさんが立っていた。
「お越し頂き有難うございます」
にこり、と微笑みクラウディさんはあたしに礼を述べた。
「挨拶なんてかたっくるしいのはいらないわ。あたしはアンタを敵とみなしている。アンタもあたしを敵とみなしている。……これだけ分かれば後はいらないでしょ」
腰につけた袋の中に入っている隔幻話効果のある珠に意識を向けながら、あたしは鼻で笑った。
そんなあたしの態度に、クラウディさんは更に笑みを深くする。
……だっから、妙にあの生ゴミ魔族を思い出すから止めて欲しいんだけど。
「別に、私はリナさんを敵とみなしているわけではないですよ。ただ、ガウリィを諦めて欲しいだけです。これにはそろそろ影人としての仕事をしてもらわなければいけないので」
「アンタの利益になる殺人を?」
「ええ、そうです」
認めてはまずいことを言ったつもりだったが、クラウディさんは苦にした様子もなくあっさりと認めた。
それにあたしのほうがびっくりさせられて彼の表情を見るが、クラウディさんは微笑むだけで。
「そんな簡単に認めていいもんなの?」
「聡明なリナさんのことですから、ガブリエフ家がどのようにして今まで家を盛り立ててきたのか仕組みぐらいもう分かっているでしょう? 分かっているものをわざわざ隠し立てするつもりはありません。それに、我が家のおかげでエルメキア帝国王家も安泰に暮らしてこれているので」
「あたしが上に訴えたところで、なかったことにされるって訳ね。……犠牲になった影人達のおかげで」
「そういうことです」
何を喋っても安泰だという思いがあるせいか、クラウディさんはにこやかに認める。
そこには、影人となった歴代の光の剣後継者や自身の弟であるはずのガウリィに対しての罪悪感も、もしかしたら愛情すらもないように見えた。
「あたしはガウリィが何を考えているのか全然わかんないけど、何であたしの理解できないような性格になったのかだけは理解したわ」
「では、ガウリィから手を引いていただけませんか?」
「嫌よ」
軽口で本題を切り出したクラウディさんの言葉を、あたしは即座に却下した。
それに対し、彼はしょうがないなという風に溜息を吐く。
「残念です。……ガウリィ」
ゆらり、と後ろに控えていたガウリィの金糸が揺れる。
あたしはとっさに腰からショート・ソードを抜き取ると、隔幻話効果のある珠から意識を遮断させると詠唱した。
すっとクラウディさんの前へガウリィが踊り出て、柄に手を掛ける。ぐっと足を踏み込み、駆け出す寸前の体勢をを作ると同時ぐらいに、詠唱が終了した。
「
炎の矢
(
フレア・アロー
)
!」
周りに出現した数十本の炎の矢は、一斉にガウリィへ向かって発射された。
が、剣を鞘から引き抜いたガウリィは、そのまま切り裂くようにざんっと上に刃を振り切る。それと共に、数十本とあった炎の矢は実体をなくし、消え去った。
魔をも切る斬妖剣だからこそ出来る芸当だろう。
あたしは、予測済みの現象に対応するため別の呪文を口の中で唱えた。
しかし、その間にもガウリィは残像を残さぬほどの速さであたしに向かって駆け抜けるっ。
「
炸弾陣
(
ディル・ブランド
)
っ」
土があたしの周りで舞い上がった。
ガウリィ相手に効果のある攻撃呪文でないが、目隠しぐらいにはなるだろう。流石に邪魔なのか斬妖剣を振るい石つぶてを払っている。
その間に別の呪文を唱え終わった。
「
破弾撃
(
ボム・スプリッド
)
!」
着弾点に左右されない炎の球がガウリィに向かって放たれる。
が、ガウリィは石つぶてを振り払うのを諦め、石つぶてを受けながらも破弾撃を切り裂くと間合いをつめた。あたしを切り裂ける位置に。
刃が降り落ちる。
手に持ったショート・ソードを突き出すが、切れ味のいい斬妖剣は恐らくあたしごとショート・ソードをも切り裂くだろう。
あたしは覚悟を決め歯を食いしばり、致命傷だけは避けようと刃の動きをじっと見ながら体を横へ動かそうと足を上げ――、しかし動作はそこで止まった。
なぜなら、ガウリィが動きを止めたから。
炸弾陣の効果も消えた静かな草原の中、ガウリィは濁った瞳であたしを見ていた。
「――アンタは、そのままでいいの?」
あたしはガウリィに問う。
「流され望まず望むことを放棄して、諦念だけを抱え生きていくだけで」
濁ったままの目は、真っ直ぐあたしの目をのぞきこんできた。
「ガウリィが望み、手を伸ばすだけで――世界は色を持ち、アンタの味方になってくれんのよ。あたしを含めた、ね」
「無駄だっ!」
荒げた声が遠くから聞こえる。
どうやら、クラウディさんが声を発しているようだった。
「ガウリィは、この契約の石から逃れることなどできない!」
しかし、あたしはガウリィから目を逸らさなかった。
ガウリィは確かに今あたしを見ているのだから。
あたしを見て、世界に手を伸ばすのか伸ばさないのか決めているのだから。
「アンタが決めなさい。兄でもあたしでもない、アンタが」
このあたしを失望させないでよね――。
そうして強い笑みを浮かべたあたしを見てなのか、ガウリィの濁った瞳がどんどん澄んだ――けれど透明とも違う強い光を持った蒼い目に変わっていく。
そうして、ガウリィは穏やかに微笑んだ。あたしにもクラウディさんにも出来ない、穏やかな笑みを。
「手間をかけさせたな、リナ」
あたしはにやりと笑って、憎まれ口を叩いた。
「ほんっとーよね! この礼は金貨百枚でいいわよっ」
その言葉にきょとんとしたガウリィはえへんと胸を張って、さらりと言葉を発した。
「なに言っているんだ、リナ。俺が金を持っているわけがないだろう?」
「ンなことで威張るなっ!」
スリッパで中身の詰まっていない頭を叩く。
すぱーんといい音が出るのはやっぱりガウリィの頭だからよね。
そのいつも通りの行動が、すごく久しぶりな気がして妙にほっとした。
「どうして……」
声が聞こえて、ガウリィとの漫才を止めるとクラウディさんを見た。
クラウディさんは彼の書斎にある机の上にあった赤い珠を見ていた。毒々しい、深く皮膚を切り裂いた時に出てくるような黒い赤をした、その珠を。
「契約は強固なはずだ。魔族を媒介し血液を縛る、この契約は」
「だからよ」
彼は顔を上げ、あたしを見た。
ただ純粋に不思議に思っているような、顔で。
「前、っていってもつい最近なんだけど、こいつ透明人間になれるようになったの。それをした少女は、同じ透明人間にするための生殖方法だといっていたけれど。それはともかくその方法っていうのが、透明人間と体液を交らせることなのよ。といっても性行為は必要なくて、例えば唾液や血液を交り合せるだけで十分なんだけどね。で、ここからはあたしの推測なんだけど――」
以前、あたしの目の前に現れた透明人間である少女(といっても少女の形をとっていたに過ぎないのだけど)は原理を一切知らなかったので、彼女が作り上げられた魔法陣や状況の精査から判断したものを彼に告げる。
「少女と体液を混じり合わせた時点では変化が無いのだけど、透明人間になれる条件がそろうと彼女の体液と交り合せた者の遺伝子が反応を起こし、遺伝子情報を変化させることによって透明人間になれる体質に変化させるの。それはつまり、以前と遺伝子情報が変わるって事でしょ? ガウリィが行なった契約は、血液を使う――つまりガウリィの遺伝子情報をインプットさせて彼を制御しているもの。だったら、遺伝子情報が変わってしまった今のガウリィでは効果がなくなる、とまではいかないけれど半減してしまったのよ」
といっても、遺伝子情報の変化は合成獣のように人間としての本質を変形させるものではなく、外見の情報をほんのちょっぴり変化させた程度なので、子供を作ったりしてもさほど問題はないだろうけれど。
そう付け足すと納得したのかしていないのか、クラウディさんは眉を顰めた。
「なるほど。剣術を鍛え影人としての本質を全うさせるために今まであえて見逃していた部分もあったのですが、それが仇となったわけですね」
「そういうことね」
同意すると、クラウディさんはにやりと笑った。
「ならば、まだこの珠の効果も多少なりともあるということ! 影人よ、光人の言うことを聞け――!」
「それは、ガウリィが決めるべきことだろ」
声が聞こえ、クラウディさんの前に人が現れた。
銀とも言い切れない不思議な色合いの髪を揺らし、その人はあたし達に――ガウリィに笑った。
そうして、手の中に奪い取った赤い珠をガウリィに向けて、ぽーんと投げた。
『スティア!』
あたしとガウリィは同時に彼の名前を呼んでいた。
彼はガウリィの知り合いだったのか。まぁ、エルメキア帝国にいたのだから、ガウリィの知り合いに偶然あっていてもおかしくはないのだけれど。
それと同時にガウリィは赤い珠をキャッチしていた。
「スティアランス様! なぜ、貴方様が邪魔をなさるのですっ。あなた達だってガブリエフ家の恩恵を受けてきた身のはずっ」
クラウディさんは焦ったように声を荒げた。
しかし、スティアはにやりと笑ってクラウディさんを見ていた。
「人一人を犠牲にしてしか成り立たない国家なんか意味ねぇだろ。事なかれ主義の親父は説得したからこの件に関しては俺の一存で決められんだよ。メイティスさんには恩があるし、俺はガウリィの数少ない友達だからな。――あいつのいいようにさせてやるだけだ」
「――リナさん!」
アメリアの声が聞こえて、後ろを振り向くと道沿いから草原に入ってきたらしいアメリアとゼルがあたし達を見ていた。
よほど急いだのだろう、息を整えすうっと吸い込みそこでようやく彼女は声を発した。
「この通り、エルメキア帝国第一王子スティアランス=ティ=クレヤ=エルメキアさんと王家の方々はガブリエフ家の恩恵を受けなくともいいと言ってくださいました! あとは、ガウリィさんの気持ち一つですっ」
あたしはガウリィを見た。
ガウリィはいつも通り穏やかな笑顔を――けれどいつもとは違う意思のこもった強い目であたしを見て、そしてぽんと赤い珠を真上に投げた。
「光の剣ならともかく――斬妖剣は、リナが見つけてくれたこの剣だけはこんな呪われた契約に巻き込ませるわけにはいかないからな」
そうして、手に持った斬妖剣で珠を二つに割った。
たんっと地面に落ちた珠から赤黒い色はしゅうっと空気にまぎれるように抜け落ちて、透明な珠だったものが転がっている。
悔しげに地団太を踏むか、それとも呆然とへたり込むかと思いクラウディさんを見ると、楽しいものでも見たという風に笑っていた。……本当に某ゴキブリ魔族じゃないの? 酷似しすぎなんだけど。
「しょうがないな。……ガウリィ、そんなにそのお嬢さんに惚れているのか?」
彼のその言葉でとっさにガウリィの顔を見ると、変わらず穏やかに笑っていて。
「リナは好いた惚れたとは別次元にいるんだ。例えば太陽みたいな、な。太陽みたいなものだから、俺も成長しなくちゃ届かないだろう?」
「太陽か。厄介なものと一緒に居るんだな。イカロスのように手を伸ばそうとして落ちるんじゃないぞ」
「もちろんだ。落ちてしまったら、リナの隣に居られなくなるじゃないか」
その兄弟間に流れる穏やかな雰囲気が今までのものとはあまりにも違いすぎて、あたしは混乱してきた。
今までの努力は一体なんだったのよ!
だから、話が済んだのか立ち去ろうとするクラウディさんを呼び止めた。
「待って! 貴方は契約を反故にしてしまったあたし達をなんとも思っていないの? あんなにも、敵対していたのに」
クラウディさんはその言葉に足を止め、あたしを見た。
ガウリィのような穏やかな笑みを浮かべて。
「思うところはありましたよ? 私は当主ですから、ガブリエフ家の秩序を守らなくてはいけません。光の剣が発端にあった魔族との契約が他者から見れば正しかろうが正しくなかろうが守らなければいけなかったものですから、反故する要因になるであろうリナさんを排除しなくてはいけませんでしたし、ガウリィをいつまでも野放しにしておくわけにはいきませんでした。でも、ガウリィはガブリエフ家よりも貴方を選んだ。魔族との契約がなくなった以上、それに固執する必要はどこにもありません。我が家はまた別の方法で盛り立てていくだけです。……もう二度とガウリィと会うことはないでしょうが」
そのさっぱりとした大らかさはガウリィととても似ていて、ようやく二人は兄弟なのだなと納得することが出来た。
「勘当すんの? 秩序を破ったからって?」
「ええ。秩序を守らなくてはいけない当主の判断としては的確でしょう。内部からは甘すぎる、と言われるかもしれませんが」
「ナンセンスだわ」
「ええ。私もそう思いますが、ナンセンスなことをしなければ皆が納得してくれませんから」
面倒そうに溜息を吐く様は、やっぱり某ゴキブリ魔族を思い出した。
やっぱり、クラウディさんの性質は某ゴキブリ魔族に近いわね。ガウリィが異質なだけなのかしら?
「では、リナさん。ガウリィをよろしくお願いします。……貴方が、このシステムに意見するような人でなければもっと早くにガウリィの伴侶として認められたのですが、残念です」
貴方とはもっと楽しくお付き合いしたかったのですが、と言ったクラウディさんはあたし達に背を向けて振り返ることは二度と無かった。
>>20071110
もう一話だけお付き合いくださいませ。
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