そうしてまた刻は交わる。




 砂埃に男が身に纏っている真っ白だったはずの服が薄く彩る。
 そこは、一面見渡すかぎりの砂漠だった。
 しかし男はどれだけ服が汚れようとも風が舞おうとも熱かろうともただひたすら前へ歩いていた。まるで、何かに急かされるかのように。

 と、ふと足を止めた男はマントを頭から被るように前を隠し、ごそごそと鞄の中から何かを取り出した。
 それは、砂漠では命の源となり死活問題ともなる水筒だった。
 簡素な銀色の水筒には五芒星のアミュレットが無造作にかけてある。
 男はそれを見て頬を緩めるときゅっと蓋を開け水を口に含んだ。
 水は喉を潤し、体に浸透していった。
 わざわざ彼女のアミュレットを水筒にかけたのはまた、彼女が男の生きる意味の大きな一つになっていたからかもしれなかった。例えば、生きるため人間に必要な水と同じように。
 水筒の蓋を閉め、鞄へ乱雑に戻すと男は頭から被っていたマントを払い歩を進めた。

 奇妙な感覚に男は歩みを止めた。
 ぐらりと蜃気楼のような歪みを感じたかと思うと、目の前に神官が立っていた。
 濃紫の神官服を着込み、砂漠の強い太陽と人間には耐えられぬ熱を受けても素顔をさらしているその男は一家に一台はいる謎の神官こと獣神官プリーストゼロスだった。
 男は奇妙なものを見たと言わんばかりにほとんど布によって隠れているその顔を歪めた。

「何の用だ、ゼロス」

 ゼロスはにこにこと楽しげに胡散臭い笑みを浮かべていた。彼にとって笑顔とはまるで能面のような役割を果たしていると知っているのだから尚更。

「おやおや、不機嫌ですねぇ。せっかくの昔なじみに会えたというのに」

「うっとうしい。消えろ」

 碌なものを連れてこなかった彼の印象は男の中でかなり悪かった。
 まぁ、碌なものを連れてこなかったという点ではゼロスが悪いのではなく、どこまでもトラブル・メーカー体質の以前共に旅をしたどらまたことリナ=インバースが悪いに決まっているのだが。
 もっとも、本来であれば黄金竜、黒竜といった神族の血筋を絶ってしまうのではないかと思われるほど壊滅寸前にまで追い込んだ獣神官のほうが力量として比べ物にならないほど上だったのだが、それでも憎まれ口を叩いてしまうのは馴れ合いなのか、本当に面白いと感じたことでなければお役所仕事に徹するというゼロスの気質を知っている所為か。
 ともかく、男は三白眼でぎっと彼を睨みつけた。
 それでも獣神官は意に介していないようににこりと笑顔を貼り付けたままだった。

「ひどいですよぉ、ゼルガディスさん。昔は旅までした仲だってのに」

 男――ゼルガディスは酷く呆れたような目でゼロスを見た。

「なにを言っている。あれはしがない中間管理職でしかないアンタの仕事ってだけだろうが」

「ひどいですねぇ。それともゼルガディスさんは僕と仕事関係なしに旅をしたかったとか?」

「気色悪いことを言うな」

 ゼルガディスは本気で嫌そうな表情をした。もっとも目の辺りでしかそれは伺えなかったが。
 どうでも良いような戯れで彼が現れたのなら、言葉の掛け合いも終わったのだし消えてくれるだろうとゼルガディスは思っていたが、一向に消える気配もなく思わず舌打ちをしていた。
 それはゼルガディスの気持ちを如実に表したものだった。

「それで?仕事以外では動かないアンタのことだ、なにかあるんだろう?」

 これっぽっちも聞きたくはなかったのだが、聞かなければ目の前の獣神官が消えてくれるはずもなかったのでゼルガディスは先を促した。

「ええ……セイルーン聖王国に行きませんか?僕の空間移動で。すぐに」

 猫目のまま発せられた言葉にゼルガディスは顔を歪めた。
 獣神官は彼がセイルーンに置いてきてあるものを――もしくは待たせている人を――知っていたから。そして、獣神官がそれを知っていることをゼルガディスは承知していたから。それほどまでに、彼は(もしくは彼女は)分かりやすかったのだ。言わずとも一時味方だったものに分かる程度には。
 だから、ゼルガディスは直ぐに疑わしい目をゼロスに向けた。

「なにを企んでいる、貴様」

「利害が一致しただけですよ、ゼルガディスさん。今、セイルーンでは第二王女――アメリアさんを暗殺する動きがあります」

 ゼロスの言葉を聞いた途端ゼルガディスは顔を硬くした。
 セイルーン聖王国は何かとお家騒動の多い家である。ゼルガディスもまたそのお家騒動に巻き込まれた口だ。
 それに、セイルーン聖王国は巨大国家である。
 赤眼の魔王ルビー・アイ率いる五人の部下達が張った結界内においては他に引けを取らないぐらいの権力を握っていた。そしてまた、フィリオネルやアメリアという面子を見ても分かるとおり、平和的に物事を解決しようと平和条約を締結させることに力を置いている。
 その申し込みに対し引き受ける国家が増えれば増えるほど、中心国であるセイルーン聖王国が(フィリオネルの意図とは別に)力を持つことになる。
 そのことを政治的軍事的面から好まない国だって多数あるのだ。
 それらを思えば、フィリオネルはもちろんのこと王位継承権では第三位につくアメリアだって狙われてもおかしくはない。
 だがしかし、とゼルガディスは思った。
 所詮人の思惑でしかないそれに魔族という別種族であるゼロスの利益が一致するようなことがあるとは考えられないのだ。
 無論、人の脆さを知っている魔族だからこその思惑もあるのかもしれないが。

「それが……アンタの利益と何の関係がある?」

 ゼルガディスの言葉にゼロスは楽しげに猫目のまま彼を見た。

「さすがゼルガディスさん。情に流されてくれませんね」

「俺はあいつとは違うんでな」

 自身の言葉にゼルガディスはくっと喉で笑った。
 会えなくなってから三年も経つというのに、まだ何の惑いもなく言葉に出てくるのかと。

「確かにそうですね。では話しますけど、アメリアさんを狙った暗殺事件の陰にはガーヴ派の残党がいるんですよ。それも、純魔族のね」

 ゼルガディスの言葉に同意を示したゼロスはなんて事のないようにさらっと重要なことを言った。

「ガーヴ!?奴等のとこは全部アンタ等が滅ぼしたんじゃないのか?」

 滅びて三年以上経つ赤眼の魔王の腹心の名前を聞いて、ゼルガディスは眉を顰めた。
 魔族なのだけれど、人と交じり合ってしまったが故に世界が自分が滅びることに恐怖を持ち、宿命と対したが故に同族に滅ぼされた哀れな魔族。
 魔族として狂ってしまったのはガーヴだけだったので、竜将軍ジェネラル以下魔族はガーヴが滅びてしまった時点で魔族に寝返った。
 しかし、ヴァル=ガーヴ率いる一派(これを今では略称してガーヴ派としている)だけがガーヴを敬愛しガーヴの意思を引き継いだのだ。
 そして、それもヴァル=ガーヴが転生を果たしてしまうと魔族によって滅ぼされてしまう。もっとも、位が高ければ高いほど赤眼の魔王や自身の宿命に逆らおうとするものは居らず、実質は魔族として変異してしまったものやヴァル=ガーヴのように元々魔族ではなかったものに限られていたので、それを行うのは非常に簡単だったのではないだろうか。
 ゼルガディスはそんな後日談を、旅をしていたときに尋ねた火竜王フレア・ロードを守護する黄金竜一族の元巫女に聞いていた。
 そんな情報を持っていたからこそ、ゼルガディスは叫ばずにはいられなかったのだ。
 ゼロスもそこには何か思うことがあるらしく、猫目のまま眉を顰めるなどという器用な真似をしていた。

「そのつもりだったんですけれどね……。部下に不手際があったようでガーヴ派の生き残りの一人を見逃してしまったようなんですよ」

「で、部下の不手際をアンタが埋めると――中間管理職らしいこった」

 さらりとゼルガディスは所詮使われるものの宿命から逃れられない獣神官に毒舌を吐くが、彼はこれっぽっちも気にした様子もなくまるで能面のように笑顔を貼り付けているだけだった。
 完璧すぎる笑顔に隠れて彼の感情も何も見えやしない。
 そんな獣神官の様子を見て不機嫌さを隠さずにゼルガディスは彼を睨みつけた。

「それだったらアンタが責任を持って解決すればいいじゃないか」

 本来、その仕事を引き受けた本人が解決すべき問題だ。
 それを自分に押し付けるとは無責任もいいところじゃないか、とゼルガディスは思った。しかし、獣神官は猫目のまま困ったように眉をハの字に下げた。

「それが、もっとややこしい事件も出てきてしまいましてね。こっちに手をかけなくてはいけなくなったのですよ」

「知らん。第一そんなことリナと旦那に頼めばいい」

 どうせゼフィーリアに居るんだろう?と以前台風の目として活躍していた二人が結婚して一つの土地に落ち着いたことを知っていたゼルガディスは続けた。
 しかしゼロスは更に困ったように頬を掻くだけだった。

「あー、それが……丁度リナさんが妊娠しちゃって、ガウリィさんもかかりきりなんですよ。そんなところ苦痛でしかないですから」

 ゼロスはようやく砂漠の中だという違和感を持たせないような大量の汗をかいた。もっともそれは気温の高さに発汗したものではなく、ただ単に生命の危機に対する冷や汗だったのだが(しかもそれも恐らく演出の一つでしかないのだろう)。
 そんなゼロスの様子を眺めながら、ゼルガディスは妊娠したのかとびっくりしていた。
 といってもそれはアメリアが暗殺される云々のような驚き方ではなく、ようやくかと直ぐに受け入れることが出来る小さな驚きではあったが。
 ともかく、この獣神官が魔族に勝つ手段をゼルガディスよりも持っている魔を滅するものデモン・スレイヤーではなく、ゼルガディスに頼んだ理由がよく分かった。
 妊娠出産というのは苦しみもあるが、生命の誕生という正のエネルギーとそして周りの大いなる幸福感に囲まれたところである。特に、リナさんちの旦那様は奥様にベタぼれであったのだから(実際夫婦生活は見ていないが、一緒に旅をしていたときに傍目でも分かるぐらい彼は彼女を溺愛していた)、どんなにつわりが酷くてその上情緒不安定でも頭の上に蝶々が飛んでいる旦那様にかかれば全てが生の賛歌に匹敵するぐらいの幸福になるのではないだろうか。
 そんなところに一魔族がいくのは滅びに進んでいくのと同意義である。
 ならば、しょうがないのかもしれないとゼルガディスはため息をついた。
 見捨てられぬぐらいにはセイルーンに――それよりも彼女に――ゼルガディスは執着していたのだから。

「で、俺を空間移動なんて出来るのか?」

 もっともな質問をゼロスにぶつけた。
 元々目の前の獣神官が行っている空間移動というものは精神世界面アストラル・サイドで行われているものだ。
 目の前の獣神官はあくまで精神体が本体であり、現実世界に存在する彼の肉体はただの薄っぺらな皮でしかない。つまり、彼の元々の世界が精神世界面で、其処で動くことはつまり現実世界で人間達が歩くのと同じ感覚である。
 だがしかし、ゼルガディスはあくまで現実世界に身を置く人間という生物である。
 本体を置いて精神のみ精神世界面で歩き回るという真似は多大なる魔力と方法を用いればもしかしたら出来るかもしれないが、普通は不可能である。
 しかし、獣神官はにこりとまったく爽やかな笑顔を浮かべた。

「ええ。もちろんです。一回ゼルガディスさんの体を原始レベルまで分解して、精神体を精神世界面でセイルーンまで送り、原始レベルまで分解したゼルガディスさんの体を再構築して精神体を入れればいいだけのことですから」

 簡単なことのようにゼロスは言ったが、それってかなり危なくないか?とゼルガディスは思わずため息を吐いた。
 もし、獣神官のお茶目な悪戯で精神世界に精神体を放置されたらゼルガディスに帰る手段はないのだから。なにより体の再構築をお茶目な悪戯で変えられたり失くされたりしたら、それはそれで困るというものである。

「原理はわかった。が、原始レベルまで分解された俺の体はどうやって運ぶんだ?」

「……それは秘密です♪」

 獣神官のお決まりのポーズである。
 まぁ、運び方なぞ聞いたところでそれをゼルガディスが実行できるかといえば出来るわけがない。もしかしたら、人間には理解できないような運び方なのかもしれないし。
 ゼルガディスは息を吐いた。
 寧ろ、息を吐くことしか出来なかった。

「――わかった。が、アンタが体をきちんと再構築するとは思えんが」

「わかっています。でも、僕はゼルガディスさんの行動を無駄にするつもりなどありませんよ。しかし僕がどれだけ言葉を募ったところで最終的に決めるのは貴方です。どうしますか?」

 ゼルガディスは顎に手を当て悩むような仕草を見せた。
 そうしながら、ふと空に視線をやると彼の残ってしまった青色の目を太陽が真っ直ぐに映し出していた。
 彼は息を吐いた。
 見捨てることなど出来ぬと、彼は自分の心を知っていた。
 今までの行動を無意味にしても彼女を見捨てることが出来ぬ心を。
 しかし、悩んでしまったのは彼女が正義のヒーローよろしく自らで解決しようとする性根と行動力、そしてそれを実現させる力を持っていることを知っていたからだ。そして、自らの足でセイルーンまで行きたかったというそんな自己満足。
 それが刹那の時間ゼルガディスを悩ませる要因になったが、腹が決まるのは直ぐだった。

「……わかった。行こう」

「そうですか。こちらとしても助かります。手を掴んでください」

 言われて、ゼルガディスはとても嫌そうに獣神官の白い手袋に包まれた手を掴んだ。
 それは予想外に人肌程度に暖かかった。
 そして、獣神官が彼の体に術を施す寸前、フードが落ち彼の髪が太陽の下にさらされた。
 それはしゃらんと軽やかな音を奏でる針金ではなく、さらさらと軽やかに舞う柔らかな銀色の髪だった。



      >>20060705 加筆修正。



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