落ちる夢




「ゼルガディスさーん、今日も来ましたぁ♪」

 小さくそんな声が聞こえたような気がしたが、ベッドの上で壁に背を預けながらゼルガディスは本を読むのに夢中になって音を聞き逃していた。まぁ、結局は無視する形である。
 ゼルガディスはただひたすらに本を読んでいた。
 それはそれほど厚い本ではなかったが全て古代語で書かれていたものだったから、少々頭の回転が鈍く読み取るのが遅くなっているようだった。
 こんこん、と響く音すらも聞き落とし。
 がちゃり、と扉が開いた。

「ゼルガディスさん?今日は1階の部屋を掃除するんでしょう?」

 それでも顔を上げないゼルガディスにアメリアは顔を覗き込んだ。
 そこでようやくアメリアの存在に気がついたゼルガディスはばっと顔を上げた。
 アメリアは酷く驚いたように目を見開いた後、心配そうにゼルガディスを見た。それはゼルガディスの表情が酷く疲れたように見えた所為だった。

「どうしたんですか!?」

「…いや、なんでもない。そうだな、1階を掃除しよう」

 そっけなく言ったゼルガディスはぱたん、と本を閉じてベッドから降りた。
 顔をアメリアに向けるゼルガディスに、アメリアは自分が心配そうな表情をしていては暗くなってしまう!とわざと笑顔を作った。それがアメリアがアメリアたる所以だったし、なにより互いに暗くなってしまってはそれが助長されるだけで、何一ついいことなどないことも確かに知っていたからだった。
 ともかく、ゼルガディスはアメリアに待ってもらい軽く身奇麗にすると、掃除を開始することにした。
 2階ほどではなかったが、1階にも小部屋が数個存在し綺麗にしていなかった部分の廊下の埃を取り去り、水拭きし歩けるようにする。小部屋も窓を開け埃を箒で浮遊などを使いながらも取り去ると、それらを袋にまとめ家具類や部屋の床などを水拭きし、人が住んでも差し支えのないような状態にした。
 いつも通りに掃除を進めるゼルガディスにアメリアは、にこにこと笑いながらいつも通り振る舞いながらも、心配であることを押しとどめる事は出来ずに所々でぽろりと出てはいたのだが、ゼルガディスはそんな事などまるで気がついていないように普通に振舞っていた。
 そうして、1階部分の掃除が終わる頃には空が仄かに茜色に染まり始めてきて、昨日と同じようにゴミ捨て場に埃の入った袋や不必要なものを捨てると、ついでに(それほどついでではないのだが)アメリアを王宮に送った。
 セイルーン王宮が目の前に見える場所……しかし門番に話が聞こえないような位置で、アメリアはくるりとゼルガディスと正面を向き合うような形を取り、じぃっとゼルガディスの表情を見つめた。

「…本当にゼルガディスさん大丈夫なんですか?顔色も悪いですし…」

「ああ。心配することはない。掃除も今日で1段落したしな。俺が徹夜するのはいつものことだろう?」

「ううう…っっ、そりゃあいつものことですけど、今のゼルガディスさんの顔そうゆうのじゃないですよ!」

 全く気がついていないような受け答えにアメリアは焦ったのか、声を上げて言った。
 ゼルガディスはアメリアのその必死な形相を見ながらも、頭をよぎったのは夢だった。
 赤いドレスを身にまとう母、焼け爛れた頬で笑う父。
 どちらもそれはそれは愛しげにゼルガディスに優しく微笑みかけて。
 ……あの悪夢が屋敷の呪いだとしたのなら次に出てくるのは誰なのだろう、とゼルガディスは思った。
 目に入るのは心配そうにじぃっとゼルガディスの顔を見つめている少女――いや、もう既に女性である彼女。
 彼女でなければよい、とゼルガディスは度重なる徹夜で妙に冴え渡った脳みそで考えていた。
 ゼルガディスは無理やり頬を引き攣らせて、どうにか笑っているのだと見えるように努力しながら言った。

「大丈夫だ」

 それでも、アメリアはその言葉が信じきれないのか、不満げに頬を膨らませていたが既に日は傾き茜色から闇色へと染まり始めた空の下彼女を置いておくわけにもいかなかったので、無理やり門番に引き取らせると、ゼルガディスは何の迷いもない足でさっそうと自分の家であるあの中古物件へ戻っていった。
 昨日買い込んでいた材料でさらっと夕食を作り上げると(実際ゼルガディスの腕前というのは料理のレパートリーはないが一週間サイクルで簡単な種類の違う食事を作れる程度だ)、ゼルガディスは使えるだろうと置いておいたダイニングテーブルに座り、夕食をとった。
 ただ、食器が擦れる音だけが響き渡るそれは、随分昔から慣れていたものだった。いや、一人で食事をしなければいけない状況下だったから慣れなくてはいけないものだったというべきなのか。
 ともかく、ゼルガディスは食器のすれる音をBGMに食事を済ませる。
 食器を洗い拭き、元々この家にあった使えそうな食器棚の中に戻し、その後シャワーを浴びてこざっぱりとするとダイニングテーブルにあの『悪夢』という題名の本を持ってきて、それをじぃっと読んでいた。
 あの、一通りの悪夢が天為的なものか、それとも人為的なものかそれだけでも理解したかったのだ。
 天為的なものであるのなら、ゼルガディスに出来ることはない。せめて脳みそを取り替えるか、強制的に夢を見ないぐらいの深い眠りに陥れるかぐらいか。
 人為的なものであれば対処の仕様はある。人の作ったものを止める事が出来ない訳などないのだから。
 そんなことを思いながら読んでいると、ふと一文が目に入った。

『私は夢の研究をしていた。どうにか、人の力で夢の内容をコントロールできないものかと…。もう、娘の死ぬ夢ばかり見るのは嫌だった。もっと、幸福な夢が見たかった』

 それは、作者の心からの嘆きであったのだろうか。
 ゼルガディスはぽつりと搾り出すように言った。

「…作者の意図と、今起きている事とは真逆だな。でも、接点は夢=c、……」

 どんどん睡魔に流されていく。
 徹夜するつもりだったのに、既に瞼は重く閉ざされていて思考は自身の及ばぬところに流された。
 普段、こんなことなどないのに。


 彼岸花が揺れていた。
 さらさらさらと靡く風に空を見上げるとあの母の夢で見たような重い雲に覆われていて、泣きたいのを我慢している子供のように雫を落とす事はなかった。
 赤い血のような彼岸花は地平線の彼方まで続いていて、それは血を流し続け赤く染まった母のドレスのようだった。

『恨んでなんかいませんよ、僕も彼女も』

 声の方向に視線をやると、其処に居たのは彼岸花の赤に埋もれそうな赤い法衣を着た、だからこそ赤法師という愛称を持っていた男――レゾがいた。
 けれど、それは生前着ていた赤色の花で着色された法衣ではなく、ぷぅんと腐った魚のような血の匂いが漂う赤――つまりは血でそのまま着色されていたようだった。
 連名で指された彼女という言葉に、性的な快感を感じるときのような腰から背中にかけてびりびりと電撃が通り過ぎていく刺激を感じた。もちろん、それは似て非なるものである。
 ゼルガディスはふと自身の手に視線を落とした。
 それは半ば予想していたものの、血でべっどりと染められていた。
 まるで、人間のままのレゾをそのまま刺したように。
 それを知覚すると、今度は口の中に異物を含んでいるような感触があって、べっと口の中から血まみれの手に吐き出した。
 それは、べたべたと血に濡れていたものの見える断片は確かに見たことのある――人の肉片だった。

『食べてしまいたいほど、愛していたのでしょう?彼女を』

 その言葉にぎくりと嫌な予感がして、ゼルガディスは何かを探すように視線を漂わせた。
 真っ赤に染まった彼岸花の中に彼女はいた。
 あんなに豊満で緩やかで柔らかな曲線を奏でた肉体は、見る影もなく骨だけになるように肉を切り取られていた。唯一彼女だと判別できた要因は、それほど変形がなかった顔のお陰だった。
 それほどに彼女は――アメリアは見る影がないほどに変貌していた。

『そうじゃなければ、僕もアメリアさんも報われませんものねぇ』

 微笑んでいるようにしか見えないレゾの付け足した言葉に、絶叫したいと思っているのに言葉はまったく出てこなかった。
 こういうときは絶叫するものだとばかり思っていたのに。
 それなのに、喘ぐように口をパクパクさせてもまったく言葉は出てこず。
 ただ、頬に水が流れ落ちるのを感じた。
 それは涙だったのかもしくは血だったのか。
 ゼルガディスには判別する事が出来なかった。

『ゼルガディスさん。恨んでなんていませんよ。それだけ、貴方が私を愛してくれたんですもの』

 からんからんと骨が響きあう音が聞こえて。
 ああ、彼女を食べてしまったのだとゼルガディスは理解した。
 口の中に含んでいた肉片は彼女のあの女性らしい柔らかな曲線を形成していた一つだったのだと。
 声を出す事も出来ずに、ただ柔らかく微笑む二人を呆然と眺めていた。
 彼岸花がさらさらと風に靡いて音を鳴らした。

『ゼルガディスさん、貴方は何にも悪くないです』

『ええ、彼女の言う通り、貴方は何にも悪くないです』

 まるで父と母のときと同じように。
 恨んでいないと柔らかく、愛しいものに対して既に許しを与えながらも恐怖しか感じない微笑みに、後退りたい気持ちに駆られたが地面に足を縫い付けられたようにまるで動かなかった。
 二人はただ柔らかく微笑んでいた。
 だらだらと身体から頬から目から、血を流しながら。

『ただ』

『ただ』

 言葉が重なる。
 さらさらと揺れる彼岸花は大地が流した血のように静かに揺れていた。

『私たちと共に輪廻の奥底で眠りましょう』


 ばちっと目を開けたゼルガディスはばっと上半身を起こしていた。
 どうやら、ダイニングテーブルで本を枕にして眠っていたようだった。
 闇の帳が落ちた部屋の中を確認するようにきょろきょろと見渡して、流れ落ちる冷や汗に気持ち悪さを感じながらも荒くなっていた呼吸を落ち着かせた。
 ゼルガディスは顔に手を当て、ゆっくりと瞳を閉じた。
 ――肉片すら食べてしまいたいほどに愛しているというのだろうか、彼女を。
 夢の中で彼女を食べた自分が恐ろしいとゼルガディスは思った。
 そう、これは夢だ。
 唯の夢で、現実ではない。レゾは体内に存在したシャブラニグドゥを蘇らせ死した。アメリアはまだ元気に生きている。そう、ゼルガディスに笑いかけている。
 そう、これは唯の夢だ。だがしかし、――起こりうる現実でもある。
 ふと浮かんだ考えは恐ろしいもので、椅子がどうなろうとも知った事ではないと言いたげに乱暴に立ち上がると、ゼルガディスはそのままシャワー室に向かった。
 乱雑に服を脱ぎ捨て、冷えた水のままそれを浴びる。

「馬鹿なことをっ!」

 思わず声を荒げて叫んだ。
 否定したではないか。
 殺してしまいたいほどにアメリアを愛している、と言った女性に。
 一方的な恋愛など、安っぽいものでしかないと。
 恋愛とは「相手の幸せを願うものだ」と。
 何故、とゼルガディスは自身に問い掛けた。
 何故、たかが夢ごときにこんなにも揺さぶられる?
 でも――夢は、潜在意識の表れなのだと聞いたこともある。
 だとしたら、アメリアを食することを心のどこかで願っていたというのか?そう思った途端、ゼルガディスは愕然とした。
 そんな一方的で自己中心的で、相手のことなど何一つ気にしていない感情はいつか身を滅ぼすのではないかと。
 それにアメリアを巻き込んでしまうのではないのだろうか、と。
 ゼルガディスはがんっと壁に手を叩きつけた。
 ただ、否定するように。
 そうして、しばらくの間頭を冷やすように、冷たい水を浴び続けた。



      >>20060118 食すという感覚の変換が好きみたいですね、私。



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