ふあふあとまるで体が重力から解放されたように軽かった。
 アメリアがふわりと目を開けると光が強烈に差し込んできて、目の前には緑が広がっていた。
 その様子は5月ごろの目覚め健やかに育っていく生き生きとした山を思わせるようなものだった。
 光と緑が遊んでいるようなその中心には楽しそうに微笑んでいる男女の姿が見えた。それは、どちらもアメリアが住んでいる地域では見たことの無いような服を着ていた。
 しかし、普通の人間のように見える女性のその頭には角が生えていた。
 それは、まるで作り物のように美しい女性の唯一、醜く感じる要素だった。

「愛していたの。異形のものであるはずの私を受け入れてくれた貴方を。愛していたの」

 さめざめと泣く女性の言葉が聞こえると、確かに微笑み合っていた男性の姿は消えうせてそこは何処までも光の見えない闇の中になっていた。
 アメリアはその違いに驚愕しながらたださめざめと泣く女性を見た。
 女性は確かにアメリアを視覚しているようにアメリアの瞳を見た。

「憎い。貴方を殺した人間どもが憎い。そんなにも私に人を喰わせたいというのなら幾らでも喰ってしまおうではないか。私の心が静まるまで」

 それはただただ深い憎しみ。
 その声に、その般若のような表情にアメリアは驚愕した。
 そうして、その艶やかで赤い唇からあふれ出たのはまるで子供が遊ぶような、童心を思い出させるような歌。

「あーぶくたった煮えたった
 煮えたかどうだか食べてみよう
 むしゃむしゃむしゃ
 まだ煮えない……」




      魂喰い




 喰らう書と呼ばれた真っ白な魔道書を拾うと、ゼルガディス達はセイルーン城の中心に真っ先に来た。
 しかし、その場は何の変哲もなくただ静寂を守っており、アメリアの魂の欠片すらも見えなかった。
 ゼルガディスが考える紫遠が教えてくれた情報でこれほど条件にあった場所など他に知らなかった。こうしている間にも燐音が喰らうための条件が整っていくという事実に焦りばかりが募り真っ白な魔道書を憎憎しげに掴んだ。

「くそっ、こんなものを持っていなければ……っ」

 魔道書に力を込め破り去ろうとした瞬間ひしっと白い手がゼルガディスを掴んでいて、顔を上げると彼は悲しげにその黒い瞳を曇らせていた。

「それを破いても意味はないですよ」

「なぜだ!?」

 ゼルガディスは苛立ったように紫遠に怒鳴りつけた。
 それは完全に八つ当たりであったが、紫遠は緩やかに微笑むと落ち着かせるようなやんわりと柔らかい口調で制した。

「食らう書は無くならない様に作られています。此処で破いても粉々にしても燃やされても、食らう書は元に戻るんです」

「っ……。くそっ、ならやっぱり探すしかないのか!」

 ぎりぎりと唇をかみ締めてゼルガディスは考え込むように手を顎に当てて瞳を閉じていた。
 闇雲に探すだけでは無駄に時間を食うだけだ。ゼルガディスは自分にそう言い聞かせながら燐音の行動を思い返す。その言動を。
 すると、ふと紫遠が話した事を思い出した。

「燐音は浄を食べる、と言ったな」

「はい」

 浄を食べられるということは、燐音にとって浄というものはごく身近にあるものに違いない。
 そうであったのなら、燐音が食す浄というものはセイルーンを守る魔法陣のように大掛かりなものではないのか?ゼルガディスは急ぐあまりに大きな現象に答えを求めてしまっていたと、頭に血が上った状態の自分を恥じた。

「燐音にとって、動物の気や植物の気は浄になるのか?」

「……っ、確か植物の気を好んで食べていたはずです!」

 まるで気がつかなかったと言いたげに紫遠は叫んだ。
 その言葉にゼルガディスはセイルーン城下内では植物の気を充分に得られないだろう、と思った。なぜなら、六芒星で形成されたセイルーン城下町は緻密に計算された区画で建物が存在し、範囲が限定されておりなおかつ巨大国家で土地として人気があるその場所に緑がどんと存在する余裕などどこにもなかったのだから。

「なら……郊外か!他に燐音が好んで食べていた植物の気はあるか?」

「桜という木の花をよく食べておりました。――しかし、それは私たち島国特有の花ですから此処にはないはずですし……そうだっ!赤い花を好んでいたように思います」

「赤い花……」

 ゼルガディスは郊外の光景を思い浮かべていた。
 赤い花がたくさん生息しており、なおかつ緑があったほうが尚更良いだろう。幾ら小さなものでも塵も積もれば山となるという言葉通り、緑という要素だって馬鹿には出来ないものだ。
 そうして、風景を写真のように浮かばせ消しながら考えているうちにゼルガディスは以前アメリアにひっぱられて案内された場所を思い出していた。
 そこは確かとても綺麗な赤い花が咲き乱れていた。
 郊外の野原には赤ばかりのコスモスの花の群れが。

「行くぞ、紫遠!」

 叫んで、ゼルガディスは紫遠の腕を掴むと翔風界を唱えた。
 焦る気持ちを抑えながら、その難しい術をコントロールさせて昔アメリアに案内されたその花畑の前に着地した。きつかったか、と紫遠のほうを見てみるが、紫遠はまったくけろりとしたものでゼルガディスを見ていた。その様子に訝しげなものを感じながらもしかし、ゼルガディスは先を急いだ。
 草を分けて歩くと直ぐに視界が開けて、真っ赤なコスモスの大群がゼルガディスの目の前に映し出された。青空の下に真っ赤なコスモスが風に揺られてさらさらと揺れている。
 その中心をふわふわと透明な球体がまるでコスモスに戯れるように浮かんでいた。

「アメリア……っ!」

 ゼルガディスはそれが直感的にアメリアだと思った。
 本来ならばそういった自分の第六感などというものはまったく信じない男であったが、そのときは妙に自信があった。
 ゼルガディスはコスモスの花の中に入って、そのふわふわと浮かんだ透明な球体を掴もうと赤いコスモスを踏み潰すことなど気に止めようともせずに前へ進む。
 だがしかしゼルガディスの手に届く直前にふっとその透明な球体はなくなったかと思うと、燐音がいた。
 血のように赤い唇に笑みを浮かべて、その手の中には確かに届きそうだったはずの透明な球体が静かに収まっていた。
 しかし、口元に笑みを浮かべている燐音の眉間には皺が寄っており酷く奇妙なものだった。そうして燐音は睨みつけるゼルガディスに対してぽつり、と呟いた。

「……そんなにこの娘が愛しいの?」

「アメリアを返せ」

 その問いに答える事はなかったが、返した返事は燐音の言葉にYesと答えるものだった。
 燐音は睨みつけるようなゼルガディスの表情に更に眉間の皺を深くさせた。だがしかし、口元の笑みが消えることもなく奇妙な表情は更に不可解に映った。

「この魂を返したところで貴方には戻す事も出来ずに消滅させるだけだわ」

 ゼルガディスは息を詰めた。
 ならば、全ての鍵は燐音が握っているということだ。燐音の言っているとおりであったのならゼルガディスに出来る術はとたんに少なくなる。せめて、あの魂を自分の手元に置いておき喰われることを防ぐことぐらいだろうか。

「ならば……あんたに戻す方法を聞きだすしかない」

 ゼルガディスはすらりと豪勢な名前のついた剣を抜いた。
 実力行使も厭わない、と言いたげに。

「……返せ」

 その言葉に燐音はすぅっとゼルガディスを見た。視線と視線が交じり合い、瞳は互いに一歩も引かないのだと断言しているかのようだった。
 それは随分長い間続いたが先に視線を緩めたのは燐音だった。
 直ぐに戦闘を仕掛けるようなぎすぎすした雰囲気が消えてなくなったことにゼルガディスは驚きながら、しかし気を緩めることなく燐音を見ていた。
 その様子ににこりと口角だけを上げて赤い唇だけが笑顔を模ると、燐音は呟いた。

「その魂を私の前にさらけ出しても、この娘を助け出したいというの?」

「ああ。助け出せるのであれば」

 その言葉に燐音は何を思ったか、奇妙な表情のままゼルガディスを真っ直ぐに見て呟いた。

「ならばチャンスをあげる」

 燐音は重そうな服装などものともせずに軽やかにゼルガディスの前へと歩いてきた。
 そうして、すっと白く細い指先をゼルガディスの額に当てた。

「いいのね」

「ああ」

 チャンスというものがいったいどういう部類のものかも分からぬのに即座に肯定の返事を返すゼルガディスに、燐音は訝しげな表情で目の前の男を見た。

「上手くいけば貴方も無事だし彼女も戻ってくるけれど、失敗すれば貴方も彼女も私に食べられるのよ?」

「上手くいけばいいんだろう?」

 にやり、とニヒルな笑みを浮かべたゼルガディスは失敗する事など考えていないようにも見えた。
 もともと慎重な気質であるはずなのに失敗する事を考えていなかった。この場合の失敗は即座に死に繋がるものだ。それを想像してばかりでは、成功する事もないだろう。
 なにより、何が起こるかも分からないのに。

「……わかったわ」

 にこり、と笑った表情は初めて奇妙なものではなくごく自然なものに見えた。
 そうしてゼルガディスはすぅっと意識を失っていった。



      >>20060514 流れが悪い!



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