わたしは神に祈りました。
 どうか幸せな日々を。
 誰も肉体的な貧しさに負ける事の無いよう。
 誰も精神的な貧しさに負ける事の無いよう。
 願わくば神よ。
 どうか、我々を救いたまへ。




      正義と云う名の盲目




 目の前にシャンデリアで飾られたそれがきらきら光る。
 ぱちぱち、と目が瞬きするのを感じて、わたしはああグレイワーズさんに負けてしまったのだな、と認識した。けれど、ここは捕虜のための場所ではない。少し見慣れた、わたしにはもったいないぐらいの部屋。
 身体を起こすと、控えていたメイドがにっこりと笑った。

「お目覚めになられましたら、教皇がお越しになるようにと申されておりましたが、如何なさいますか?」

 わたしは、ゆっくりと笑顔を作った。

「直ぐにまいります、と。正装をしてから教皇の元へと行きます」

「わかりました。お伝えしておきます」

 ばたん、と戸が閉まる音がすると、わたしは深くため息をついた。
 教皇は、今日のわたしの敗北を如何仰るのだろうか?…あの、教皇ならば、状況がどのような場合でもにっこりと微笑みを浮かべていそうだけれど。
 ともかく、とわたしは聖女として祀り上げられたときに用意された純白のドレスを身にまとってしゃん、と背を伸ばして歩いていった。
 普通に暮らしていたときはまるで縁のなかったドレスを着るときにはいつも、お父様の言葉を思い出す。『アメリア、ドレスを着るときは堂々と、何事もないように歩くものだよ。不遜な表情をしてね。優しい表情で他人を気にするような着方をしてはいけないよ?』
 はい、お父様。
 わたしは、いつも心の中でこっそりと呟くと、まるで何処かの貴族の貴婦人のように歩いていく。
 そうして、一際大きな飾り扉の前につくと、中のほうから声がした。

「アメリア=ヘーメラー様、ご謁見」

 ぎぎぎ、と仰々しい音が聞こえて、きらきらと金に包まれているその部屋の中央に座っている、漆黒のおかっぱ頭に法衣服を身にまとって、まるで仮面を被ったようにいつもニコニコと微笑んでいるその奥の紫色の瞳に鋭い、まるで恐怖を感じるような視線があることを万人は知らなくともわたしは知っている。
 教皇ゼロス様はその様なお方だった。
 わたしは、ゼロス様に礼をするようにドレスのすそを摘み上げ、社交辞令のような礼をする。
 すると、ゼロス様はやっぱり微笑んだまま、その恐怖を感じる瞳を隠していた。

「今日の聖戦の状況は聞きました。聖女初の敗北と言うことで、国民は酷く落ち込んでいるようでしたよ?我等がスィーフィード様も残念に思っておられる」

「分かっております。わたしも、わたしの役目を果たせなかったこと、酷く恥じております」

 淡々と感想を述べると、ゼロス様はそのにっこりと微笑んでいた瞳をすぅっと鋭いものにした。
 まるで、教皇に似合わない、悪魔のような瞳。
 わたしは、それを見るたびに違和感を感じていた。何故、この人が神官や巫女の憧れる存在、そして、神聖スィーフィードに近い存在なのだろう、と。

「聖女という名は飾り物ですか?次の失敗は貴方の身をも滅ぼしますよ」

 わたしにはその意味がわからなかった。
 神聖スィーフィード様は人の失敗など問うことはしない。ただ、神を信じていれば、そして原罪を認識しそれを償うような行動を常に心がければ、来世での平穏を約束するのだから。
 ともかく、ゼロス様は直ぐににっこりと微笑みを浮かべて、慈悲深き声でこういった。

「次の聖戦では貴方の活躍を期待していますよ、聖女ヘーメラー」

「はい。わたしは神の声に従い戦地に赴きます」

「ええ、結構です。どうぞお下がりになってください」

 わたしは、また仰々しく一礼をすると謁見の間を離れた。
 そうして、用意された部屋に戻ると、普段の巫女服に着替えた。
 ドレスと言うものは酷く肩のこるものである。それに動きづらいと言うのも欠点で。わたしは大きく伸びるとしゃんとした気持ちになった。
 そうして、わたしはいつものようにお城を抜け出す。
 もともと平民出のわたしには王宮と言う場所が酷く息苦しく感じる。…ちょっと豪華すぎる。美味しいものを食べられるのは嬉しいんだけれど。

「皆さん!今日和♪元気に正義を広めていますかー?」

 そう大きな声で言うと、いつものように子供たちがわーっと来てくれる。
 それが嬉しくって、わたしは微笑むのだけれど。

「アメリア様、いつも下々の私どもを気にかけてくださって、とても嬉しいです…」

「そんな!わたしだって、平民出なんですよ?気にしないで下さい。今日も、食料を一杯持ってきましたから皆で分けてください」

 そう言って、彼女たちや子供たちにパンや野菜などを渡す。
 街で座っている人や、おうちにいる人などにも手渡しで渡していく。
 その度に痩せていく女性や子供たち。…何よりも悲壮な表情がとてもとても悲しくて、それでも、わたしは微笑んでいなければ皆を不安にさせてしまうから、微笑みを作る。

「今日は死者は出ましたか?」

「うちの人は元気にしていたでしょうか?」

「お父さんはどうしてるのー?」

 国民の男性は全て戦争に参加しているので、待つ街の人々は必然的に女子供老人だけになる。そして、家族が生きているか死んでいるかも分からない状況はさらに疲労を大きくしていく。
 この政策を打ち出した、教皇ゼロス様は果たして国民の状況を知っているのだろうか?
 あの、鋭い紫色の瞳は彼らの存在を知っているだろうか?
 そして、その様な状況になって何も言えないわたしは、果たして聖女などと名乗ってもいいのだろうか。

「お前は、本当に正義があると思っているのか?」

 グレイワーズさんの言葉が脳裏の中で反響する。
 この手の中に、本当に正義はあるのだろうか?

「ねぇ、聖女様。戦争は何時終わるの?お父さんは何時帰ってくるの?」

 わたしは、何も言えなかった。


 そうして、市内から王宮に戻ると、ゆっくりと王宮内の教会へと赴いた。
 其処には教皇は居られない。なぜならば、教皇は人々の言葉を多く聞くために書類のほうに目を通しているために実質的な人々の声は聞けないからだった。
 その代わり、この偽服ではなく、れっきとした巫女がいつも王宮内の教会にいられる。
 巫女の服を着て、ゆっくりと教壇に立っていられた巫女――フィリア=ウル=コプトさんがわたしの存在を確認したのか、にっこりと微笑んでくださった。

「まぁ、アメリア様。今日もいらしてくださったのですか?」

「ええ。フィリアさん、今日も話し相手になってくださいますか?」

「もちろんです!従順なる神の子である貴方様のお話はいつでも聞きますよ」

 にっこりと微笑むフィリアさんのほうこそ、わたしは教皇に似合うと思う。
 教皇になるまでには様々な身分とか知識量とか見聞が必要であるらしいのだけれども、ゼロス様はそれらを突破なされたのだから、すごいとは思うのだけれども、教皇というよりも、政治家とかのほうが似合いそうな気がする。
 わたしとフィリアさんは教会の皆さんが普段座るような場所に座った。
 きらきらとステンドグラスに光が入って、神の姿が綺麗に映し出されていく。
 その中で、ゆったりと微笑むフィリアさんの金色の髪が光を跳ね返してそれはそれは綺麗だと思う。
 まるで、女神のように。
 だから、わたしはこの人の前では自分の本音を喋ってしまう。

「果たして、これは神が望まれていることなのでしょうか?」

 わたしは、フィリアさんの表情を見ることが出来なくて、うつむいた。
 だから、果たしてフィリアさんが笑顔で聞いてくれているのか、それとも、軽蔑して聞いているのか…それすらも分からない。

「わたしはこの国の平和と神聖スィーフィードのために手を血で汚してきました。しかし、私たちの正義を他国に伝えるために各国と戦火を交わすことは果たして正義なのでしょうか?」

 沈黙が、続いた。
 わたしは怖くて、顔を上げることも出来なかったけれど、フィリアさんの声が不意に聞こえた。

「貴方の真実は必ずしも世界に通ずるものではないのです」

 その言葉に、はっ、と顔を上げて、フィリアさんを見ると、微笑んでいるのに何処か悲しげだった。
 フィリアさんが聞いている神聖スィーフィードもグレイワーズさんのように思っているのかしら?
 わたしのしていることは、正義などではないと。
 わたしのしていることは…。

「貴方の真実は必ずしも世界に通ずるものではないのです」



      >>20050211 正義の定義とは?



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