結局、元の姿に戻る方法は分からぬまま騒動ばかりを引き起こしていた彼女らと別れた。
 惰性のみで存在していた彼女との性的接触は別れた時点で自然消滅し、なんの感情も未練も生み出さぬままあっけなく切れた。
 その後、俺は飽きることなく世界中を回った。ありとあらゆる情報を耳にしては方法を求め。
 時折白いフードの隙間から空を眺めると決まって思い出すのは、ベッドの上で普段見たことのない微笑を見せるアメリアの顔だった。
 ――あの時、アンタの答えはどこにあったのだろうか。
 何処か諦めながら、けれども俺の問いに答えなかったアンタの答えは。




      目隠し




 そうして、何年か過ぎ世界を一周した俺はセイルーン聖王国にいた。――身体は元に戻らぬまま。
 中心に聳え立つ城を眺めると、アメリアの表情が直ぐに浮かび上がった。
 彼女の答えを俺の中で見出すことはまだ出来なかったが、しかし積極的に会おうとも思わなかった。アメリアの思想は理解できなかったが、ただそれだけだったので。
 大きな図書館で本を読み漁り、閉館時間になると持ち出し可能な本を借りて宿屋に帰りまたそれを読むという生活を三日ほど続け、その日もまた図書館が空く時間と同時にそこへ赴き本を返すと、別の資料を求め別位置にある小さな図書館へ向かおうと大きな図書館を後にした。
 真っ青な空の下、行き交う人々が醸し出す生活の流れを逆らうように歩いていた。
 脇目も振らず歩いていたはずなのに、何故だろうそのとき俺はほんの少し視線を上げて横を見たのだった。
 すると、一人の少年と視線が合った。
 年の頃にして十にも満たないぐらいだろうか。
 黒髪を少し長めのショートカットにしており、白と蒼を基調にした服は神官服を模しているように見えた。もっとも、あれよりは遥かに動きやすい形になっていたものの。
 大きな目は濡れた藍色を含んだ黒色で。
 真っ直ぐ一本の意思が見えるその瞳を細めて、少年はにこりと微笑んだ。

「つまらなそうな顔していますね、お兄さん」

 人の波を掻き分けて俺の前まで来た少年の言葉に、くくくっと小さく笑っていた。
 確かにつまらない。
 この体を元に戻すという置かれた目標はあるものの、本質は何一つ見えてなく何一つ目標などなくただひたすらに惰性で生きているような人生など。

「中身のない人間に面白みを求めるほうが間違っているのだろう」

 きょとん、と俺の顔を見た少年は、しかし直ぐに意味を理解したのか笑みを向けた。

「じゃあ、中身を求めればいいでしょう」

 おどける様に提案した少年に、俺は再度苦笑した。

「中身など何かを詰め込まなければ無理だろう。――それが何かすらも分からないのに」

 その方法すら見出せないのに。
 どう動けばいいかも何もかも分からない状況で、俺は目の前に与えられた目標をクリアするしか動きようがなかったのだ。

「それもそうですね。ああ――なら、一緒に探せば良いでしょう」

 そうして俺の袖を引っ張った少年に、戯言だと思いながらも少年が示す道の通りに足を動かし始めた。
 少年は迷うことなく、整備されたセイルーンの町を一直線に歩いていく。風に舞うたび、少年の黒髪は光を浴びて仄かに茶色を帯びた。
 少年の足取りは確実に城下のどこに居ても認識できる中心の建物に向かっていて。
 とうとう、セイルーン城を囲っている城壁の前に来ていた。
 まさか、此処に来るとは思わず呆然と眺めている俺に、少年は手早く浮遊レビテーションを唱え促した。

「こっちですよ、お兄さん」

 その言葉に城を眺めるのを止め、浮遊を唱えると少年は高く聳え立つセイルーン城を飛び越え、敷地内へ進入していた。もっとも、不当進入に罪悪感を覚えるほど純真無垢でもなかったのでたいした問題ではなかったのだが。
 まるで小さな商店街の一つでもできるんじゃないかと思わせる広大な庭を迷うことなく駆けていく少年についていくと、庭と庭を区切るような小さな通路がある。
 其処を迷うことなく通り抜け、目の前に見たのは教会だった。
 白亜の壁が基調となっているその教会の青い屋根はまるで清純を表し、扉の上に嵌め込まれたステンドグラスがきらきらと映し出される様は、俺達人間より遥かに強い力を持つ"神"と属されるものを呼び出そうとしているようでもある。
 少年は教会の扉を開け、中に入る。
 俺も続けて中に入ると、通常の教会であるはずの祈りを捧げようと来た人々が座る長椅子も、神官が重々しい言葉を放つテーブルもなく、ただ空間と光と神の象徴である龍が入り口奥の壁で何かを見守るようにひっそりと飾られているだけであった。
 そして、その教会の最大の特徴といえば四方から入る光だった。
 どういう仕組みなのか、四方から入る光はどれも同じ明るさを有しており、ステンドグラスを通っているのだから一方だけは様々な色を映し出してもおかしくないのに、全ての光は透明だった。
 少年はその四方の光が集まる中心へと歩いていく。
 俺もあわせて歩き、中心で止まった。
 全ての光を一身に受ける眩しい最中、俺と少年は向かい合わせになった。
 そうして、藍色を帯びた黒い瞳を真っ直ぐ俺に向けて、少年は一言問うた。

「――お兄さんの望みは?」

「俺の、望みは」

 元の、人間の身体に戻ること。
 光が強く差し込み視界を遮ろうとする中、少年の微笑む姿だけが見えた。


 俺は立ち尽くしていた。
 光とは対照的な暗闇で何もない空間は、しかし何もないからこそ思い通りになるようだった。それは、聞いたことがあるだけの精神世界のように。
 何も考えずただ何かを待つように呆然と立っていると、すぅっと空気が通り抜け景色が広がった。
 そこは、深い深い森の奥。
 それは遠い昔良く見知っていた風景で、ゆったりとした足取りで覚えている道を歩いた。
 やがて森は少しだけ開け、大きな屋敷がまるで森に守られるかのように存在していた。――それは、昔住んでいたレゾの屋敷そのままだった。
 感傷と不可思議さでその屋敷を眺めていると、ふと聞こえのいい耳にまるで剣を振り回して空気を斬っているような音が聞こえてきたので、そちらへ向かった。
 そして、それを探すように視線を彷徨わせると其処には"俺"が居た。
 厳密には、今の姿になる前の幼い"俺"が。
 それを見て、なんとなくだが合点がいった。
 つまり、此処は今の俺が存在しない世界なのだろう。
 時代を遡ったのかそれともまた別の世界なのか、それとも幻影なのかは知らないがあの少年が導いて訪れた世界であることに変わりはない。
 などと、"俺"が素振りの練習をしている風景を見ながら考察していると、其処へ赤法師が来た。

「――ゼルガディス、貴方は強くなりたいですか?」

 にこりと微笑みながら放たれた言葉は、今の俺を形成する原因のきっかけとなった言葉だった。
 少し考えるように俯いた"俺"は顔を上げレゾに、にこりと微笑んだ。
 そう、あの頃までしか出来なかった――あの頃ですら出来ていたのか分からない身内に対する親愛と信頼を向けた笑みを。

「強くはなりたい。けれど、それは俺が自身ですべきだ。もし、レゾが何かしら俺を強くしてくれる手段を提示してくれるのであっても、俺はそれに頼るべきじゃないはずだ」

 "俺"が出した答えは、あの時俺が出したものとは違っていて。
 その言葉に、レゾは優しく微笑んだ。"俺"と同じく身内に向けた酷く柔らかい笑みで。

「そうですね。――貴方が強くなることを応援していますよ」

 そうして、"俺"は合成獣にならなかった。

 まるで時間が何かの記憶映像を見せられているかのようにくるくると目まぐるしく俺の周りで展開していく。
 合成獣にならなかった"俺"は、赤法師がその内に秘めた狂気に侵食される前に屋敷を出た。
 そして、赤法師を蝕んでいる別な何かによる狂気をどうにかする方法を求め旅を続けた。
 魔法もろくに使えない"俺"は剣の技術だけを上げ、ガウリィ=ガブリエフほどとは言わないが現在の俺よりも格段に上の技術を身に付け、魔法付加のついた純魔族でも斬り倒せる剣を手に入れ。
 しかし、赤法師の狂気を抑えるもしくは直す方法を見つけることが出来ず、完全に狂ってしまった彼の姿を見つけた。
 そこで、赤法師が現在望むものとそれがどこにあるかという情報を手に入れた"俺"は、赤法師よりも先にそれを手に入れるため画策して――、リナ=インバースとガウリィ=ガブリエフに出会った。
 胡散臭いから、とそれを手放さないリナ=インバースに事情を説明すると、直ぐに信用したわけではなかったがそれでも共に戦うことになり。
 ――赤眼の魔王ルビー・アイとなってしまった赤法師のレゾを倒した。
 憎しみも何もない、悲しみに埋もれて。
 それから、"俺"はリナ=インバース達と別れてただ強くなるという当初の目的のみに突き動かされ、肉親を無くした悲しみに身体を沈ませながら当てもない旅をしていた。
 その後、またリナ=インバース達と再会し何の因果か共に旅をすることになる。
 その中には見知らぬ少女――アメリア=ウィル=テスラ=セイルーンが居た。

「ゼルガディスさんは何故旅をするのですか?」

 様々な思惑が交錯するたびの最中、アメリアは"俺"にそう問うた。
 合成獣にならなかった"俺"は躊躇うようなそぶりを見せたが、直ぐ彼女の問いに答えた。

「強くなるために」

「それは――、精神的にという意味合いですか? それとも、肉体的に?」

「肉体的に、だろうな」

 答えた"俺"に、アメリアはふわりと微笑んだ。
 なんの裏もない、ただ穏やかに見える笑みで。

「それならば、ゼルガディスさんは直ぐに挫折しますね」

「なっ――」

 "俺"は目を見開き、その表情からは予測も出来ない言葉に声を失っていた。
 それでもアメリアは微笑んでいた。
 ただ真っ直ぐな光で"俺"を見て。

「目的もなく強さだけを求めるだなんて自身の限界すらも突破できずに、ただ終わるでしょう。ああ、例えば合成獣にでもなったのならそうとも限らないのかもしれませんが。でも、目的のない強さなど芯のない刃のようなものです。すぐにぽきりと折れてしまいますよ」

 その言葉に"俺"は酷く憮然としたような表情でアメリアを見ていた。
 きっと、その言葉に反発したいのだろう。
 けれど、お前にはなにがあるという? ガウリィ=ガブリエフほどの剣の腕を有していなければ、魔力なんてものはこれっぽっちもない。
 ただ目指すものだけが酷く重く、掴めぬ幻想のようなもので。

「なら――アンタは目的があるのか? 生きる、目的が」

 アメリアは柔和に微笑み、言った。

「わたしを司る人たちに――わたしが愛する人たちに、ただ幸せでいて欲しい。それだけです」

 "俺"は理解できないと言いたげに顔を歪めると、くるりとアメリアに背を向けて歩いていった。
 アメリアはただ、静かに"俺"の背中を見ているだけで。
 でも。
 もし、俺がレゾの手を取らず合成獣にならなかったのなら。
 尚更全てに空虚さしか感じなかったのではないだろうか。
 おぼろげな目的だけが存在して、全てをかけてまで達成したいことなど何一つなく。――空っぽな俺は空っぽなままに、空っぽであることすら疑わずに生きていったのではないだろうか。

 そうして、"俺"は全ての戦いに関わりそして見届けると、リナ=インバース達と別れた。
 アメリアとは何の関係を持つこともなく、ただ共に旅をしたというだけに終わって。
 そうして、アメリアの言葉通り強くなることに行き詰った"俺"は。

「本当に良いのかえ?」

 老人が、にやりと不気味な笑みを浮かべて"俺"に問う。
 しかし、"俺"は何も迷うことなく頷いた。

「いいさ」

 そうして、"俺"は合成獣になった。
 ――今度は俺が望むままに。

 ぐわりと景色が歪み、暗闇の中へ収束されていく。
 何一つない光景の中、俺の目の前に立っていたのは"俺"だった。
 そうして、自ら合成獣となった"俺"は、俺に穏やかな笑みを向けた。

「どうしてこの力を手放そうとする」

 その言葉に、俺は顔を顰めるしかなかった。

「アンタが昔求めたものそのものだ。合成獣という手段は俺にはなかったものを授けた。未熟な剣の腕を補うための魔法を、斬られてもびくともしない身体さえも。それは、アンタの限界を突破するには容易いものだったはずだ」

 俺は沈黙を続けた。
 すると、"俺"は反論できないと思ったのかにやりと笑った。
 それは例えば、あの少女が嫌いだった悪党のような笑みだった。

「アンタが求めたのはそれだけだっただろう?」

 俺は一つ、目の前の男に問いたいことがあった。

「――なぁ、アンタはアメリアのことをどう思う?」

 "俺"の問いかけに答えず、問い返した俺の言葉に彼は不思議そうな表情を浮かべた。
 まるで、思っても見なかったことを聞かれたような。

「正義バカで世間知らずのお嬢さんだろう? どうも思わないさ。ただ、ありもしない夢を見続けるバカな女だと笑うだけだ」

 ふん、と嘲笑した"俺"の言葉に、俺は唐突に理解した。
 不必要だと思っていたものが俺には必要だったのだ。
 肉体的な強さよりも精神的な強さを鍛えるべきだったのだし、アメリアの言葉をきちんと考えればよかった。
 ベッドの中で、ただの快楽要素しか見出せないあのベッドの中で何故アメリアは微笑んでいたのだろう。
 惰性だと言った俺に、何故アメリアは悲しげに笑ったのだろう。
 考えずに、どうでも良いことだと通り過ぎて行った全ての中にきっと、俺の求めていた答えがあったのだ。
 人などどうでも良いと思っていた。利用できるのなら利用しようと思っていたし、勝手に俺を求めて勝手に俺を捨ててもそれはそれでいいと半ば投げやりに思っていた。
 それは、本当は人に触れるのがただ怖いだけではなかったのだろうか。――人の内部に触れるのが。
 俺を否定し、赤法師だけを肯定し続けたあの年上の女のように、俺を否定されるのが怖くて一定の距離と徹底的な傍観者で居ることによって、自分を守っていただけではないだろうか。
 自身が中心に来ることを拒んで、他者に入り込まれることを拒んで、自分自身で自分を拒んで。
 それ故に、本当に必要なものすらもいらないと思いこんで。
 思いこませて。

「お前も俺なんだな。恐れてばかりいて、本当に必要なものをつかんだはずだったのに最後に手放して。――ああ」

 ああ、なんて。

「遠回りばかりするのだろう」

 呟いた瞬間、"俺"は霧散し此処へ連れてきた少年が現れた。
 真っ直ぐに見つめる、藍色を含んだ黒い目はあの少女に似ていて。

「中身を見つけましたか、お兄さん」

「さぁな。――どれが俺の中身かなんぞ分からん。ただ、俺の中に酷く怯えた奴がいたことが分かっただけだ」

 少年はふわりと微笑んだ。
 まるで、俺の答えに満足したような笑みで。

「ねぇ、お兄さん。お兄さんの望みはなんですか?」

 最初、少年に問われたとき内心酷く違和感を感じながら答えを導き出したのに、案外あっさりと俺の中に答えが出ていた。
 まるで、いつも俺の隣にあったかのように。

「俺の回りの奴らと同じ時間を歩むことだ」

 その問いをまっていたかのように、暗闇だけの空間はくるくると回り何処かへ向かって収束していく。
 それについていけなかった俺の意識は、暗転した。



      >>20070228 別の選択。



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