忙しなく時間は俺を追い立てる。
開けた眼
聖王都の中心にいるというのに、まるで郊外にいるかのように静かで穏やかな時間が流れていく。
他愛もない娯楽に満ちた大衆向けに作られた小説の中へ埋没しながら、風に揺られ顔にかかった髪を手で避けた。
柔らかな肌は他人を拒絶するかのように硬くないし、黒鳶色の髪はしゃらしゃらと音を奏でない。
それは人間という種族に生まれた以上当然の権利として獲得すべきものだったが、長年それを放棄していたため自分の肌に髪に触れるたび、未だに変わらず望んだものがそこにあることに安堵する。――本当は外見だけ変わっても無意味だと分かっているのだけれど。
ふっ、と変えられない思考に自嘲し、再度小説の中へ埋没しようと意識を本へ向けようとすると声が聞こえた。
「お兄さん」
呼びかけられ、庭の端に存在する中庭へ抜けられる廊下へ視線をやると、そこには以前共に旅をしたこの中庭の――ひいては聖王都の中心にあるセイルーン城の住人であるアメリアの息子、アズリエルがいた。
ちなみに俺は彼の兄ではない。彼は最初会った時に俺の名前も知らずお兄さんと呼称し、そのまま癖になったようで俺の名前を知った後でもお兄さんと呼ぶ。
彼は自分の存在が気付かれたことを知り、アメリア譲りの笑顔でにこりと微笑むと俺の元へ近づく。
母親が一番好きで、母親のためなら苦労も苦と思わないアズリエルはなぜだか俺に――一定の距離感はあったものの――懐いているようだった。
出会いが出会いであったし、その後も比較的暇な時間をもてあましていた俺はアズリエルと会話する機会が多いせいなのだろうが。
ともかく、アズリエルは隣まで来ると座って良いか? と俺に聞いた。
「かまわんが、面白くないことだけは保障する」
そう答えると、アズリエルは珍しく子供のように声を出して笑った。
「あはは、ありがとうございます」
そんな風に軽くかわすと、彼はセイルーン王家らしい白を基調に青のラインが入った神官服が汚れるのも気にせず地べたに座った。
瞬間、黒く見える髪が重力に反し光に晒され鳶色になる。
それは、アメリアが持っていた髪の色ではなく。きっと父親に似たのだろうと推測させるには十分だった。
アズリエルが母親に似ていないのは髪の色だけではなく、性格も含まれている。
冷静沈着、感情に振り回されず状況を把握し物事を進めようとする様は、奔放なアメリアにはないものだ。母親が奔放なためそれを押さえるためにそういう性格になったのかもしれないが、彼自身に奔放な性格が隠れているようでもないため潜在的なものに思えた。それはきっと、父親のほうから受け継いだものなのだろう。
彼はアメリアの匂いを持ち、俺の知らない父親という存在の匂いも併せ持つ。
――ああ、遺伝子とはそういうものだったな。
そう思えば、なんとなくアズリエルに聞きたくなった。
「アンタは父親に会ったことがあるのか?」
それは一見王族である彼らに対するミーハーな質問にも思える。
だがそこに他意はなく、アズリエルも理解しているのか苦笑するに留まっていた。そこに他意があったのなら母親思いなこの息子は怒り狂うだろうから。
「気になるんですか、お兄さん?」
「ほんの些細な興味だ。他人事であれば無責任に聞くことが出来る」
「随分な言いようですね」
「性格だ」
茶化すような問いかけに、別段なんとも思っていなかったのでそっけなく返すと何が面白かったのかアズリエルは楽しげに笑っている。
このまま話をそらされるのだろうか、と思うと興味本位であっても知識欲が深いと自身で理解している俺は話をそらされたくなくてアズリエルの目を見た。
アメリアに似た藍色を含んだ黒は漆黒よりも深い黒に思える。
ひとしきり笑い、俺の目を見て何を思ったのかアズリエルは肩を竦めた。
「会ったことなんてありませんよ。母さんはその辺りに固執しているようでもないですし」
「なにか言ったのか、アメリアは?」
そう断言できるということは、アメリアは彼に何らかの言葉をかけたのだろうと思い更に問いかけた。
その問いにアズリエルは何にも思っていないような軽い口調で答える。
「以前、僕の父さんはどういう人なの? って、母さんに聞いたことがあるんです。その時に返ってきた言葉が『いつか会えるかもしれないからまだ言わないわ』だったので」
「それは、喧嘩別れではないということか?」
会えるかもしれないと可能性を残しているということは、別れたとしてもひどい別れ方をしたのではないのだろう。
問いかけるつもりもなく呟くと、アズリエルは律儀に答えてくれた。
「そうかもしれませんね。僕が母さんに父さんのことを聞くと恨んでいる風でも怒っている風でもなく、少しだけ切なそうな顔をして微笑むだけなので」
大して興味もない口調なのは、例えアメリアとアズリエルの父親が喧嘩別れしたとしても、アズリエルにとって血の繋がった父親であることに変わりないからだろう。
「なら、アンタ自身は父親に会いたいと思うのか?」
「別に」
アズリエルは俺の問いかけに迷いもなく即答した。
「僕のルーツである父親にはそりゃあ興味はありますけど、この生活を壊してまで――母さんを置き去りにしてまで会いたいとは思いません。無いものを焦がれるなんて無意味でしょう? 僕は、今あるものを取りこぼさないようにするので精一杯ですから」
その現実的で硬質な言い回しはアメリアにまるで似ていなかったが、言葉の裏にある思想はまるでアメリアそのものだったから、俺は声を上げて笑った。
彼はなぜ俺が笑っているのか理解できていないようで零れ落ちそうな藍色の目をきょとんとさせていたが、ふと口元に笑みを浮かべて子供らしからぬ生意気な笑みを浮かべる。
「それに、もしかしたら会っているかもしれませんしね」
その言葉になぜ、と問いかけると彼は空を見た。
「母さんは父さんに関してのヒントをこれっぽっちもくれませんけど、いつか会える人ならもう会っていてもおかしくないでしょう? その質問をしたのも数年前ですし」
「……それはそうかもしれないな」
俺は同意を示した。
アズリエルが父親に関しての情報を何も持っていなかったのなら、会っていてもその人が父親だとはわからないだろう。しかも、質問は数年前である。時間が経てばアズリエルが出会った人も必然的に多くなるだろう。その中に彼の父親がいたとしてもなんらおかしくない。
そんな風に思うと、アズリエルは何かを思ったのか空へ向けていた視線を俺へ向けた。
「ねぇ、お兄さんは母さんと旅をしていたのでしょう? 母さんとそういう雰囲気になった人っていなかったんですか?」
それは当然の質問であり、俺はそれに答えるため当時の記憶をさらっと回想させた。
だが、誰かがアメリアと愛を語り合ったなどと聞いたためしがなく分からない、と首を振る。俺と性交渉している間はその体に他の男の形跡など見つけられなかったし。
「俺の知る範囲ではそういったことはなかったように思うが――、俺は人々の間にある情に関しては疎いからな、知らなくても不思議じゃない。リナ辺りなら分かるかもしれんが、俺や旦那じゃ察するほうが無理だろう」
「そうですか。確かにお兄さんはどっからどう見たって鈍そうですもんね」
「否定する気はないが、失礼な気はするが」
「気だけなら、お兄さんの気のせいですよ」
けらけらと笑うアズリエルを見ていると、この子供の半分を形成する父親に会ってみたいような気がした。
そんな風にアズリエルを見ていると、そういえば彼は王家の子供でありアメリアほどとは言わないが時間に追われていることを思い出す。
「おい、アズリエル――」
時間は大丈夫なのかと問いかけるため隣に座っている彼を見ると、何かに耐えるかようなぐっと歯を食いしばる表情に突き当たった。
「どうかしたのかっ?」
驚きアズリエルの右肩に触れようとすると、彼は即座にばしっと俺の手を振り払う。
手を引っ込めると、彼は驚いたように俺の顔を見て慌てた様で言葉を発した。
「ご、ごめんなさい!」
「いや、気にするな。それよりも、ずいぶん辛そうな表情をしていたがどこか痛いのか?」
そう聞くと、アズリエルは今までのことがまるで幻だったかのように不思議そうな顔をして首をかしげた。
「なんのことですか、お兄さん?」
分からないと言いたげな口調に、眉間に皺が寄るのが分かる。
その様子が不機嫌そうに見えたのか、アズリエルは眉を顰めると場を和ませるようににかっと笑いぺしぺしと俺の肩を叩いた。
「やっぱり、さっき僕がお兄さんの手を振り払っちゃったこと怒っているんですか? もう、お兄さんってばいい大人なんですから子供の失態ぐらい見逃してくださいよ」
そういう問題ではないのだが、明るく肩を叩かれると不思議なもので先ほどの光景がまるで幻のように思える。
彼だって母親を悲しませたくないだろうから、いざという時は頼れる大人にでも相談するだろうと気にしないことにした。俺は頼れる大人とは言えないだろうし。
「まぁいいんだがな。それよりも時間は大丈夫なのか? アンタは俺ほど暇じゃないだろう」
その言葉にふっと空を見たアズリエルは、今思い出したように小さくああ、と声を出した。
「ぼちぼち宿題始めないと明日まで終わりそうにないですね。じゃあ、お兄さん。僕はこれで失礼します」
「ああ」
さよならよりも短い返事をすると彼はお兄さんらしいな、と笑って立った。
ぱんぱんと座っていたために付着した土や草を払う仕草をすると、子供らしい軽やかな足取りでぱたぱたと王宮の中へ消える。
そんな姿を見届けると、俺は開いたままだった小説の中へ戻ることにした。
>>20081218
シリーズ最後、お付き合いくださると幸いです。
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