中から聞こえる話し声が少し気になったものの恐らく業務のことだろうと何も考えず、小脇に抱えたお見合い写真の位置を直しこんこんっと扉を叩くと、返事を聞くよりも先に執務室の扉を開けた。
どういうことを話していたのか、緊迫した独特の雰囲気の中に居たのは三人。その中でも真っ先に目に飛び込んできたのは、特徴的な笑い声を空耳で聞いたと思っていた人物だった。
「あら、魔剣士じゃないの」
軽い口調でそんな風に言ったのは、黒髪を腰ほどまで伸ばし知的そうな顔立ちをした一見美人であったが、イメージとしては誰でも理解できるがお目にかかるとトラウマになってしまいそうな悪の女魔道士風ボンテージを着込むという暴挙に出たがゆえにまず一歩引かれ、次に高飛車な女でもしそうにない高笑いで更に一歩引かれ、破天荒で周りを巻き込む唯我独尊な性格で更に一歩引かれるという、例え知り合いでも顔を隠して会うことだけは勘弁したいと一部の性格破綻者以外すべてから思われる、くらげと木の根っこに人徳がある
白蛇
(
サーペント
)
のナーガだった。
こういう輩とは一切関わりたくないのだが、何の縁か関わってしまったことがあるためお互いにお互いのことを認知していた。もっとも、その時俺は
合成獣
(
キメラ
)
だったものの。
「アンタがなんでこんなところにいる」
ごく普通の問いかけに、白蛇は不愉快そうに眉を顰めて言った。
「実家に帰ってきちゃ悪いの? っていうか、貴方なんか外見変わってない?」
「少しは驚いてくれ」
合成獣から元の姿に戻ったことなどほんの些細なことだと言いたげな口調に、俺は溜息を吐いた。
これでもそこそこ苦労してるなのに、白蛇にかかれば苦労もうすっぺらい紙切れのようになってしまうらしいので。
「おーほっほっほっほっ。百八十度外見が変わったところで、この白蛇のナーガ様にとって見れば気にならないことだわ!」
「少しは気にしろ!」
外見が百八十度変わったところで気にしないのに、血を見ると倒れてしまう繊細な神経を持っているなどと誰が想像するだろうか。いやしない。
軽くノリツッコミを行なったところで、もっと重要なことを言っていたような気がしてほんの少し言葉を思い出してみると、口に出したくないような事実が浮かび上がってきた。
「……ちょっと待て、今実家って言ったか?」
「その人、母さんの姉さんらしいですよ」
僕にとっては伯母に当たるみたいですね、と付け足したのは白蛇の印象があまりにも強いため視界に入っていなかったアズリエルだった。
それにしても、この白蛇がアメリアの姉?
アメリアの母が死亡して数年後に行方知れずとなっていたグレイシア=ウル=ナーガ=セイルーンが白蛇のナーガと同一人物とは……。まぁ、ミドルネームが"ナーガ"だと聞いたときほんの少し嫌な予感はしたが、それにしても。
「どんな家系なんだ、セイルーン王家」
思わず溜息の一つを吐きたくなっても俺のせいではないだろう。
正義バカと悪の魔道士ルックで高笑いという悪役まっしぐらを同時に生み出すとは珍しいものだ。
「しかし、実家に帰ってきたにしては先ほどの雰囲気は緊迫したものだったように思うが」
執務室に入ってきたときの空気は明らかに白蛇が実家に帰ってきて喜んでいる、というものではなかった。
当然の疑問に三人を見渡すと、アズリエルとこの部屋の主アメリアは戸惑うように視線を落とす。だが、白蛇は怖いものなどないと言いたげな笑みを浮かべると俺の質問への返事をした。
「私のせいじゃないわよ。アズリエルの肩を見てみなさい」
促され、俺は白蛇に従うのは癪だと思いながらも、アズリエルの元へ近づくとしゃがみ荷物を持っていなかった右手でぐっと彼の右肩を空気に晒す。恐らく先にアメリアか白蛇が見たのだろう襟元のボタンがすでに開かれていたので、それを見るのはたやすかった。
柔らかな皮膚をまるで侵食するように覆う青白く硬い――岩の皮膚を。
「久しぶりに実家の庭へ潜入を果たしたと思ったら、その子が苦しそうにうずくまっていたのよ。なんだと思って弱っているアズリエルの抵抗なんて気にせず無理やり右肩を見てやったら、それがあってね。アメリアが母親だなんていうもんだから、子供の状況を教えてあげたのよ」
甥だとわかれば可愛いもんだしね、と白蛇はさほど可愛いと思っていないような平坦な口調で述べた。
そうして、俺への説明は済んだとばかりに白蛇はアメリアを見る。
「さて、横槍が入ったけれど。アメリア、貴方はこの子が岩の肩になってしまっている原因はわかっているの?」
白蛇の言葉に、アメリアは何かに耐えるようにぐっと歯をかみ締めた。それはまるでアズリエルが岩に肩を侵食されている原因を、言いためらうかのように。
そんなアメリアの様子に、白蛇は呆れたように肩を竦めた。
「言いたくなけりゃあ、それでも良いわ」
「白蛇!」
突き放すような言葉を諌めるように、俺は端的に声を発す。
しかし、白蛇は俺など関係ないと言いたげにアメリアを見ていた。
「貴方が言わなければ、誰も何も手の打ちようがない。例え、今は表面化しているだけの岩が内部にも現れて、脳やはらわたを石化させてしまってもね。――それでもいいのなら、一生黙っていれば良いわ」
突き放すような言葉に、アメリアはだんっと机を叩き立ち上がった。
「姉さんっ! ――姉さんでも、言っていいことと悪いことがあります」
「それを言わせたのは貴方よ、アメリア」
冷酷な一言に、アメリアはすとんと席に座る。
そうして、悩むように視線を泳がせると決意したのか、白蛇を見た。
「恐らく、というよりほぼ確実なのですが原因はアズリエルの父親でしょう」
「父さんっ?」
アズリエルは驚いたように声を発した。
母親からほとんど父親の情報を聞いたことがなかったアズリエルにとって、父親の情報を得る機会になったのは右肩の石化なのだからどのような人物なのか、と驚いて当然だろう。
アメリアは迷うように声を発したアズリエルを見、俺をなぜだか不安そうに揺れた瞳で見た。
目が合っていたのはほんの一瞬で、アメリアは白蛇をしかしまだ戸惑うように見ている。
「――アズリエルは彼の了承もなくわたしが勝手に産んだ子供です。それを今更責任を負わせるなんて」
言いよどんだのはそのせいなのだろう。
自分で勝手に起こした責任を今更相手方に押し付けるのはわがままなのだと。
その言葉に白蛇は鼻で笑った。
「いつから、そんなにうじうじした子になったの? 貴方は猪突猛進真っ直ぐ信じる道を突き進む子だったでしょう? その男も自分の勝手な思惑に巻き込んじゃえばいいじゃない。さっき、アズリエルにも言ったけれどこの世の中っていうのはわがまま通したほうが意外と綺麗に収まったりするものよ。遠慮なんて、誤解して回り道させるだけ。遠慮は美徳じゃないわ」
唯我独尊を体現している白蛇らしい台詞だと思う。
アメリアもそう思ったのか、笑い声を上げ姉さんらしいですね、と言った。
そうして、今度こそすべての迷いを断ち切ったかのような、真実以外はすべて排除するような強い光を伴う目で彼女を見る。
「――アズリエルの父親は、
岩人形
(
ロック・ゴーレム
)
と
邪妖精
(
ブロウ・デーモン
)
を合成させられた――合成獣でした。私がアズを妊娠したときも彼は変わらず合成獣のままでしたから、その二つの遺伝子を受け継ぐ可能性も考慮していましたが、アズの外見は普通の人間そのものでしたから外見には影響なかったのだと思っていました」
「けど、今更予想外の形でその遺伝子が表面化してきたってことね」
「はい。外見だけに影響があるのならばわたしとしては特に問題ないのですが――、どのようにそれらが脳や身体に影響してくるのか」
「ええー? 母さん、僕外見ごつごつした岩っていうのは勘弁願いたいんだけど」
容姿などまるで気にしないアメリアの発言に、アズリエルは本気で嫌そうに眉をハの字にして母親に訴えかけた。
確かに容姿が岩などというのは本気で勘弁したい事項である。長年岩肌をやってきていた身としては、それが更に切実に思えたりもするが、アズリエルの言葉を援護するつもりは毛頭ない。
「アメリアは外見にこだわるタイプではないからな。俺が岩肌であった時でさえかっこいいと言い放った奴だ、その辺りのフォローは諦めろ」
「うう、他人事だと思って……」
「他人事だ」
適当に追い払う様を見ていたのか、アメリアは楽しそうに笑い白蛇も笑いの種類は違うもののにやりとさも奇劇をみたとばかりに笑っている。
なので、話の流れを戻すために俺はアズリエルからアメリアと白蛇に視線を移すと質問した。
「で、なにか手立てはあるのか?」
「それはアズリエルを本格的に調べないとわからないでしょう。でもま、甥のことだから私も協力するわ」
「ありがとう、姉さん!」
アメリアはさも嬉しそうに立ち上がり喜びの笑顔を見せていたが、……アズリエルはご愁傷様だ。
彼女は自分以外は結構どうでも良い性質で、やることはやるが自分本位に振り回す傾向がある。調べるといっても手法はアズリエルを無視した自分にとってやりやすいやり方を採用していくだろうから、まぁ頑張れとしか言いようがない。
俺は憐れみを込めた目で、アズリエルを見る。
それに気がついたアズリエルは身を数歩引いてびくびくと怯えていた。彼は賢い子供だから俺が何に対して哀れんでいたのかわかったのだろう。
「で、その男が取り込んでいた岩人形と邪妖精の情報ってあるの?」
「ありますよね、ゼルガディスさん?」
突然話を振ったアメリアに困惑し、とっさに疑問を返す。
「は? なんで、俺に聞く」
その言葉に答えたのはなぜか呆れた目つきで見ているアズリエルだった。
「……僕はよく知りませんけれど、岩人形と邪妖精を取り込んだ合成獣って条件はかなり絞られていると思うんですが。しかも、母さんが今まで出会った人物となるとそれこそとてつもなく」
「だが、岩人形と邪妖精の合成獣なんて特殊条件を含んだ人物は、世界中を探せばそこそこいると思うが」
アメリアが一生涯の中で会う人物は限られてくるし、その中で岩人形と邪妖精の合成獣となれば確かに一人か二人ぐらいかもしれないが、可能性としてないわけではない。
そう思い、ごく単調な言い方でアズリエルに述べると、彼は脱力したように肩を落とした。
「母さん。僕、あんな鈍い人が父さんだなんて勘弁したいんだけど」
さも俺が彼の父親だと言いたげなアズリエルの台詞に、アメリアは口角に弧を描いた。
「諦めなさい。子供は親を選べないものよ」
それは、肯定する言葉で。
思わず、小脇に抱えていた豪勢な表装がなされているお見合い写真をばたばたばたっと落としていた。
「確かなのか?」
呆然と聞く俺の言葉に、アメリアは真っ直ぐな光のともった黒よりも深い藍色の目を向けた。
「ええ。ゼルガディスさん以外など身に覚えがありませんので」
暗に指摘したのはベッドの中で混じり合わせた一方的で熱だけを吐き出す、空虚ばかりの行為だった。
何も考えずどうでもよいと思ったその中で生まれた何かは、アズリエルという形で出てきたというのか。
「アメリアへ向けたお見合い写真にまみれて父親告知とは随分間抜けね、魔剣士」
おーほっほっほっほと、さも楽しげに白蛇は高笑いをした。
確かに間抜けこの上ない。
しかし、と俺はお見合い写真を拾い集めるとアメリアの机の上に置き、白蛇を見た。
「アズリエルの父親が俺だとしても、アメリアには自身の伴侶を選ぶ権利がある。それを俺が持ってくるのは傍から見れば間抜けかもしれないが、アメリアは俺にそれを求めていないし俺はその感情を理解していないのだから、問題はないだろう」
事実、アズリエルはこうして生まれ出たものの俺とアメリアの間に甘いやり取りはなにもなく、ただ寒々としていた。
白蛇に向けてそう発言した後、ふとアメリアを見てみるとどこか痛そうな表情をしている。
「……当事者であるはずのお兄さんが、一番なにも理解していないのかもしれませんね」
ぽつりと呟いたアズリエルの言葉が妙に印象的だった。
>>20090122
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