「魔に魅入られた神の娘を我の手に」
「さすれば、更に力は膨らむだろう」
不変化
命を生むというのは、また命を喰われるほどに重大な労働である。
私は例に洩れず、やはり命を喰われるような思いをしながらも一つの命をこの世に送り出した。また、この子も奇妙な運命に囚われるのだろうか、と思いながら意識を失い、またそれを取り戻すのに三日を要した。
元々、反属性との融合である私の子は、出産時に恐らくは私の正属性を喰らいながらも多大なる正とも負とも言えぬエネルギーを放出していたのだろう。黄金竜という人と比べては遥かに頑丈な作りである体力や存在維持に必要な魔力が限界まで喰われるほどには膨大なものだった。
故に、意識を取り戻しても立てるような体力を取り戻すのに四日を要し、結局子供を産んでから動き回れるようになるまで一週間もかかった。
目を覚まし、胴体を起こした私はサイドテーブルに置かれたヴァルが昔使っていたバスケットの中にすやすやと眠っている子を見た。
つるりとした表面に手を触れると、柔らかな温度と静やかな鼓動が聞こえて頬を緩ませた。
「お早う御座います」
私はその子に挨拶をするとベッドから降りた。
久しぶりに立つそれにやや違和感を覚えるが立っていた事の方が普通だったのだから直ぐに感覚を取り戻すだろうと、ややぎこちなくも寝巻きから普段着に着替えると一階に降りた。
リビングに視線を移すと其処にはジラスさんとグラボスさんがいて、ジラスさんがヴァルを抱き上げていた。どうやらヴァルはジラスさんの髭を引っ張っているようでなんだか目が潤んでいた。
「姐さん! もう起き上がって大丈夫なんですか?」
「かれこれ一週間も寝ていましたから、どうにか体力回復しましたので大丈夫ですよ」
私は心配かけないようににこりと心配そうに見ているグラボスさんに笑いかけた。
「あーあーっ、ねーちゃ!」
ジラスさんの髭を引っ張るのに夢中になっていたはずのヴァルは何時の間にか私が来ていることに気が付いたのか、抱き締めているジラスさんを無視して私に精一杯手を伸ばそうとするものだから、ジラスさんはそのバランスを取るのに大変そうだった。
私はくすりとジラスさんに対して大変ね、と苦笑いすると暴れるヴァルをその手に引き寄せた。
抱き上げたヴァルはきらきらと子供特有の大きな目で私を見つめた。
「だいじょぶ? いたくない?」
「ええ。もう大丈夫ですよ。私は元気でしょう?」
「うん! ねーちゃ、あそぼう!」
「――そうね、って言いたいのですけれど先に皆に私は元気ですから大丈夫ですよ、って教えて上げなければいけないので、もう少しだけ後でも良いですか?」
「……うん! みんな、心配してるもんね!」
ヴァルは少しだけ残念そうな表情を見せたか、思いなおすように元気に言った。
恐らく、私が寝込んでいる間に近所の方に私がどういう状態なのか聞かれたのだろう。ヴァルはとても良い子だから、彼らの心配もまた理解したのだろう。
彼に我侭を言わせることも出来ないのは私の育て方がぎこちないからかもしれないが、けれどそれが全てではない。彼は我侭を言っていいときと悪いときを自分なりにわきまえている。
だからこそ、そんないい子のヴァルを私はぎゅうっと抱き締めるのだ。
そうしてヴァルをジラスさんに渡すと、私はぺこりと二人に頭を下げた。
「ヴァルとあの子をよろしくお願いします」
微笑む二人の表情にほっとしながら、私は扉を開けた。
お腹が大きくなってきた頃から、病に伏せた事になった私がこの街の人々に会うのはおよそ半年ぶりだった。実際、お腹の中にいる期間というのは人間と変わらないので。
だからこそ私が歩き回り挨拶した事に、この小さな街の人々はとても驚きとても嬉しそうにしてくれた。
ああ、本当にいい人たちばかり。
「フィリアさん! 身体のほうは大丈夫なの?」
ロングスカートにエプロンを身に纏い、黒髪をおだんご状にして後頭部に纏めた彼女は、私がよく買いに行ったパン屋の奥さんであった。
挨拶代わりにぺこりと頭を下げると、私は心配をかけないようにとにこりと笑った。もともと病気で表に出なかったわけではないのだし。
「はい。なんとか完治する事が出来ました。皆さんには大変ご迷惑をお掛けして……」
「いいのよぅ、大変だったのはフィリアさんなんだからね。貴方の旦那さんにもよろしくね」
「……、旦那?」
突然出てきた聞きなれないフレーズに私の頭の中はハテナマークでいっぱいになる。
私に旦那なんてものが出来た事は今まで生きていた中で一度も無かったのだから。
けれど、パン屋のご婦人は私が彼女の話を理解できなかったものだと思ったらしく、にこにこと笑ってぱたぱたと上下に手を振った。
「ほら、時々貴方の家に来るじゃない。何処かの神官服を来たいつも穏やかに笑っている人」
頻繁ではないけれど、時々見かけてひぃーと叫びたくなるゴキブリ並には訪れている世界の生ゴミ魔族を咄嗟に連想させた私は、先の例ではないが思わずひぃーと叫びたくなった。
なんであれが私の旦那になるのか。
いや、子供の遺伝子を作るために必要だった要因であるのでその辺りから考えると確かに旦那なのかもしれないが、そのフレーズというのは彼は元より彼の妻という認識をされた私にも似合わないものだ。
だって、私は彼を好きではあるし私の目に届かないような範囲であれば彼の悪事など目を瞑ってしまおうという気持ちではいるが、根本的に敵対関係にあるのにどうして妻や旦那といった友好的関係を築けるだろうか。
所詮、気持ち上で好きではあっても、彼と私は相容れないのだ。夫婦というコミュニティを作れない程度には。
「そんな、ありえませんよ。彼はただの知り合いです」
私は軽く笑って否定した。
少し前の私ならば怒鳴り散らして慌てて否定したのだろうけれど、本人さえ目の前にしなければ彼に関して冷静でいられるような心持は、彼と関係を持ち彼を好きだと気付いてしまった時点で身につけた。そうしなければ、自身にも激しく拒否反応をしただろうというのもあるのだけれど。
「あら、そうなの? 何時だったかフィリアさんとその人が話しているところを見かけたけれど、とても仲が良さそうだったからヴァル君のお父さんかなと思ったんだけれどね」
その言葉に思わず高笑いをしたくなったが、ぐぅっと押さえて控えめに否定した。
「ヴァルは私の子ですけれど、実質的に血が繋がっている訳でもないですからね。そんな私が母なのですから、ヴァルの父親はジラスさんであり、グラボスさんでありその神官服を着た人でもあるのかもしれませんね」
「そうね。そうかもしれないわね」
パン屋の婦人は優しげに笑うと別の話題を二〜三教えてくれて、とりあえず近況報告を済ませたのでそうそうに別れた。パン屋の奥さんもまた別の用事があったようだったし。
ともかく、そんな全く考えてもみなかった発言をされたりもしたけれど、一通り街を歩き回った私は家に帰るついでに夕食を買い揃えるために商店の建ち並ぶメインストリートを歩いていた。
野菜や肉、パンなどの食料品を買い家路に着こうとメインストリートを自身の家の方面に向かって歩いていくと不意にショウウィンドウが目に入った。
きらきらと光る硝子に少しばかり反射した私の姿が見える。
金色の髪に、青色の瞳。ピンクと白が基調となっている神官服は火竜王に仕える黄金竜の一族が全滅する前から当たり前のように着込み、全滅した後も尚変わらぬものだ。
姿形は全てを知り苦しみ乗り越え、ほかならぬ自身の感情で苦しみまた変化をし続けた後ですら、まったく変わりはない。
それは安堵でもあり、変化が見えないことに対する虚無感をも感じさせるものであった。
「私自身、かなりの変化を伴ったけれどそれはこうして目に見えないものなのね」
呟いた言葉はどこか寂しさを含んだものだった。
「……?」
何故だかふと視線を感じて空に視線を向けてみるのだけれど、なにもいない。
確かに誰かに見られていたような気がしたのだけれど……。
けれど、無いものは無いのだから気分を切り替えて私は家路についた。
>>20061018
ひぃと叫びながらスリッパで叩きましょう。
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