穏やかな日々というものはヴァルがヴァル=ガーヴになった時には既にあり得ないものだったのかもしれない。
 それほどまでに異界の魔王召喚という事態の中で知った事実は大きかったし、ヴァル=ガーヴにしてみれば全てをなくした後で手に入れたものすらも無くし、元凶となった火竜王フレア・ロードに仕える黄金竜やリナ=インバースというものは憎むべきものだっただろう。
 まったく、穏やかな日々なんてあの神託が降りどたばた四人組に関わり全てを知った時には、全く考えも付かなかったというのに。
 本当に、全てが嘘のように穏やかな日々が続いていた。
 もったいないぐらいの。




      不変化




 今日は骨董屋の定休日だったので積み木遊びをしているヴァルと一緒に、積み木を家の形に積み上げていた。それは暖かな家になり、時にはとても豪華なお城に早変わりしヴァルは楽しげに手を叩いていた。
 私は微笑みながらそんな柔らかな時間をヴァルと共に過ごしている。
 と、ふとヴァルは私のほうに顔を向けて、首を傾げた。

「なぁなぁ、ふぃりゃーねー、ふぃりゃーねぇ」

 子供独特の口調で私を呼びかけるヴァルに、柔らかく微笑むととんがった角の生えたその髪を柔らかく撫でた。
 それは、魔竜王カオス・ドラゴンガーヴの魔力を残している証。
 彼が救われたであろう、恩人の唯一の証。
 私は彼と敵対する関係であり、そのような過去の遺物を残しているヴァルに対して悲しみの念をもつべきなのかもしれないが、過去のヴァルが救われ例えば兄弟のように親子のようにもしくは恩師のように思った人の証明であるのなら、ヴァルはそれを受け入れるのではないかと思うのだ。
 そして、喜ぶのではないのかと。
 ――過去は捨てて欲しいけれど。捨ててはいけないことも確かにあるのだから、私はそれを悔やんだり悩んだり哀しんだりしない。
 だからこそ、何も知らない彼に私は微笑めるのだ。

「なんですか? ヴァル」

「あのなあのな、いつあそべるの?」

 そうして、ヴァルが指差したのはソファの隣に設置した小さなサイドテーブルの上に置いてある籠の中に入っている、緩やかな鼓動を打っているダチョウの卵よりも大きい卵。
 ……私のもう一人の子。

「そうですね。貴方がとてもよい子にしていれば、きっと早く遊べるようになりますよ」

 にこりと微笑み嘘とも本当とも言えない文字の羅列で彼の問いに答えると、ヴァルは子供特有の無邪気な笑みを私に向けた。
 それはきっと、子を生む前の私であったのなら受け入れることすらも出来ないような、無邪気で何色にも染まっていないような純白の笑みだった。

「わかった! ヴァルいい子にしている」

 ぐっと拳を握り締めて宣言したヴァルに私はにこりと笑って見せて、青緑の髪をくしゃりと撫でた。

「ええ。頑張って下さいね」

「うん、がんばる!」

 笑顔から真剣な表情で言葉を胸に秘めたヴァルはどんなことが良いことなのか考えているようだった。
 その仕草がとても無邪気で子供らしく、可愛かった。
 紅茶を飲みながらヴァルの様子を微笑ましく眺めていると、ヴァルはふと空中に視線をやってなにかを眺めるように視線をさ迷わせてから、私を見た。

「なぁなぁ、ふぃりゃーねぇ」

 不思議そうに首をかしげながら、私に問いかけるヴァルに問い直した。

「どうしたのですか?」

「あそこにいるのだぁれ?」

 そうしてヴァルは空中に指を差した。
 言われて私は意識して精神世界面アストラル・サイドを覗いた。というのも、ヴァルは私よりも遥かに強大な魔力と精密な感知能力を持ち現実世界と精神世界を同一のものとしていつも見ているようだったから。
 所詮一介の黄金竜でしかない私は精神世界面を覗くことはできるが、ヴァルのように同一に見れるわけではない。意識しなければ覗けない世界なのだ。
 指差したところを覗き込むと、確かに意思体が其処にいた。
 濁った紫と黄色を混ぜ合わせたようなそれは、恐らく純魔族なのだろう。
 思わず力をこめると、魔力の底にあったはずの黒い色をしたものがぶわっとあふれ出してまるで触手のようにぷかりと浮かんでいるそれに絡みついた。
 それは何度か見たことのある、ゼロスの魔力のようだった。
 私は溢れ出る魔力を意識しながら、ヴァルに微笑みかけた。

「ヴァル。ジラスさんのところに行って遊んでもらってきてくださいな」

 すると、ヴァルは拗ねたように唇を尖らせた。

「えー、ヴァルふぃりゃーねぇといっしょにいたい」

 出産するまで余り彼に構ってあげられなかったこともあるのだろう。
 しかし、彼に慕われているという事実は私の頬を自然に綻ばせる程度の威力はあった。
 だから申し訳ないような表情を作るのには随分苦労したけれど、どうにかそれに近いような筋肉の動かし方をして表情を作ると、彼の真っ直ぐな瞳を見た。

「ごめんなさい。用件が終わりましたら直ぐに遊びに行きますから、……あの子と遊ぶために良い子になるのでしょう?」

 私の言葉にはっと先ほどのやり取りを思い出したのか、ぐっと拳を握り締めてにこにこと微笑んだ。卵であるあの子のことを気にかけていてくれるヴァルはいい子だな、と私は思わず微笑ましく思った。

「うんっ! はやくあそぶんだぁっ。――わかった、ふりゃーねぇ。ヴァル、ジラスおじさんところにいってくるぅ!」

「いい子ね。気をつけて行ってらっしゃい」

 くしゃり、とまた髪を撫でるとヴァルはくすぐったそうに顔を顰めて、私に真っ直ぐ微笑んだ。

「いってきまぁすっ」

 元気よく宣言した彼はばたばたとドアを開けて、くるりと振り返り私に手を振るとばたんっと戸を閉めた。
 それを確認した私は、くるりと触手のような黒い何かに蝕まれているそれをぐっと引っ張り出すように手で引いた。
 するとぐっとよれたそれは、現実世界に現れた。
 冷ややかな表情が似合いそうな人外のように端正な顔立ちをしたそれは、しかし左側半分が網のようなもので覆われていた。純魔族というものはどれだけ人間の形を取れるかで力の差が分かるそうなので、目の前の彼はそれほど強くない純魔族なのだろうと推測することが出来た。
 男はそれほど戸惑いも見せずに、にやりと口元だけで笑った。

「噂は本当だったようだな」

「噂?」

 私は眉を顰めて男を見た。
 魔族にされるような噂でいいことなど一つもないのだから、尚更。

「ああ。黄金竜の娘が魔族にたぶらかされその身を落としている、というな」

「……それを面白がって見に来たとでも?」

 あながち外れてもいなかったので(勝手に誑かされたのだけれど)、別段表情を変えずに男を睨んで聞くと男は笑ったままそれを否定した。

「いいや。もう一つの噂の方を確かめにきたんだ」

「もう一つ?」

「ああ。魔を包括した竜を喰らえば力が増す、というな」

 思わず目を見開いて男を見ていた。
 そんな話、聞いたこともなかった。確かに正と負が交じり合うと莫大な力を生むというのは神魔融合魔法でも証明済みではあるが……。しかし、それは刹那的なものであり半永久的に続くものかといえばそんなはずはない。
 だからこそ、どういった状況でそんな噂が飛び出たのか私にはまったく理解できなかった。

「本当かどうか知っているか? 娘よ」

 男は楽しげに笑ったまま私を真っ直ぐに見てくるので、感情を読ませないような無表情で男の目を睨みつけてやった。

「知りません。誰かに私の血肉を与えた事などありませんし」

「ならば、俺がそれを知る最初の一人になっても良いだろう?」

「よくないに決まっていますっ!」

 理不尽な言い草だ、と私は思った。
 傲慢で自己中心的だからこそ魔族とはそりが合わない。他者を尊重し常に一歩引いてゴマすりばかりをしている魔族もまたちょっと引くかもしれないけれど。

「じゃあ、やはり力ずくでいくしかないようだな」

 にやり、と楽しげに笑った男は手から冷気を吐き出した。
 人間では発音不可能な叫び声のようなもので咄嗟に結界を作り上げるとその冷気を防いだ。
 そうしながら、先ほどまで戯れのように目の前の魔族に触れていた触手のような黒い魔力を意識的に男の周りに絡みつかせる。
 咄嗟に防御をしているものの、それを黒い魔力はやすやすと打ち破った。

「なっ!」

 予想していなかった展開なのか男は少し焦ったように精神世界でじたばたともがいている。
 私はそうしながら自身が持つ魔力で呪文をつむぎ上げる。

「アナク サルム ナタク サクム」

 ぶわっと魔力が一定の流れを作り出す。いつもの流れに心地よくも感じながら逃げることも出来ずにもがいている魔族を真っ直ぐに見た。
 魔族は初めて恐怖の顔を浮かべていた。

「こ、こんなにも……っ」

封魔崩滅カオティックディスティングレイト

 白い光が男を包み込み、精神世界に存在する本体ごとこの世界から抹消した。
 光が全て消え終えたのを見届けた私は、すっと手を下ろした。
 すると、黒い魔力もどこかに消えうせ。

「お見事です」

 声が聞こえ、後姿が台所に出てくる茶色の嫌われ者によく似ていると(主に私の中で)もっぱらの噂の獣神官プリーストゼロスがいた。
 彼の姿を見て、ときめくどころか眉を顰めた私は嫌悪するような目でゼロスを見た。
 幾ら私の中で彼の存在が惚れた腫れたの位置にいるとしても魔族という根本的な嫌悪感は拭いきれないのだ。それなのになんで惚れた腫れたになるのかこれっぽっちも分からないのだが。まぁ、それが感情を持つ種族の宿命なのかもしれない。種の保存という本能にある命題は思いっきり果たせていないが。

「悪趣味にも傍観をしていらっしゃったのですか?」

 私がそう問うと、ゼロスは罪悪感の一つも(感じる必要などないのかもしれないが)感じていないような笑顔で軽やかに言葉を発した。

「ええ。あの子を守らなくてはいけませんでしたし――、傍観していたのは八割方僕の趣味でしたけれどあそこまで盛大にしてしまえば、まだ脆弱なあの子は簡単に壊れてしまいましたよ」

 思わずソファの横にあるサイドテーブルに駆け寄り、籠の中を覗き込んでいた。
 艶やかな表面の卵は手を触れるととくとくと命の鼓動を教えてくれる。

「有難う、ございます」

 安堵に息を吐きながら彼に礼を言うと、にこにこと微笑みながら道化師のようにぺこりとほんの少しだけお辞儀をした。

「いいえ。傍観していて情報も手に入りましたし。――少々忙しくなりそうですね」

 ゼロスはため息を吐いてめんどくさそうな表情をした。



      >>20061025 どんどん魔族はちょっかいかけてくればいいと思う(ひでぇ)。



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