それから一ヶ月ほど経過したが、その間ゼロスは姿を見せることがなかった。
 彼が姿を現さなくても私の生活はなんら変わりなく寧ろ穏やかなものだったのだが、時には刺激を求めるものなのかそれとも何故だか発生してしまった恋慕の情ゆえなのか、どこか物足りなくも感じるのはやはり黄金竜の巫女としては失格なのだろう。
 などと思いながらぼんやりと日々を過ごしているとゼルガディスさんの知り合いという方が来て、気分転換ついでに結界内まで卵である子を連れリナさんが住んでいるゼフィーリアまで行くことになり。
 そこで水竜王アクア・ロードの一族に襲われたりその長に会って様々な話をしたりなど、今までの穏やかな日々がまるで嘘のように以前体験したことのある忙しない数日を送った。
 忙しくとも受身にしかなれなかった私達は、暗躍したゼロスからとりあえず水竜王配下の黄金竜一族内に潜んでいた魔族を撃退した(滅したとは聞かなかった。この時点で仲間を失うのは彼らにとっても痛手だろう)と聞いてひとまず安心し、のんびりヴァルたちが待つ小さな街に戻ってきたのである。
 ――私が命を狙われた事実などまるでなかったかのように、小さな街は変わらず平和だった。




      不変化




 汚れた食器が桶に入った水の中にたぷんと放置されている。
 それを救い上げると洗剤をつけたスポンジできゅっきゅっと汚れを落としていく。
 その行為自体は家事という仕事に解放されなければ永遠に繰り返されるものだった。

「1本で〜もにんじん、2足で〜もサンダル♪」

 私は人間の中で伝わっている言葉遊びのような歌を口ずさみながら、その作業をしていた(もっとも微妙に次元が違う気もしなくもないが)。
 十まで続く数え歌のような言葉遊びの歌を口ずさむため次の言葉を続けようとしたのだけれど、奇妙な感覚と人がすとっと軽やかに着地したような音が聞こえて、その遊び歌を止めた。
 そうして泡立っているスポンジを持ったままくるりと体を反転させると、予想を裏切らず獣神官がにこにこと変わらずに微笑んでいた。

「……お茶でも?」

 この男が昼間姿を見せるといえば、大抵紅茶を飲みながら最早私には関係なくなった世界情勢のことや魔族の苦労話といった云わば世間話をしにくると決まっていたので、予想は外れないだろうと思いながら聞いたのであった。

「ええ、頂きます」

 そしてやはり予想は外れず。
 私は別段表情を変えないままゼロスに言った。

「では、そちらで待っていてください。洗いものを終わらせたら行きますから」

「分かりました」

 あっさりと頷いたゼロスはさっさと台所からいなくなったので、私は再度洗い場に向き直ると水の中から食器を拾い上げた。
 先ほどから繰り返し食器を洗っていたこともあってか、ゼロスが台所から出ていって二十分も経たないうちにそれらを全て洗い終え、戸棚へと仕舞った。
 突然の来客への心遣いとして、茶菓子をストックしている場所からビスケットを引っ張り出すとそれを皿の上に並べる。
 暇があれば何かしらお菓子を作るのだがそれよりも先にゼロスは来てしまったので、今回は作り置きしていたビスケットを出した。といっても昨日作った余りなのだが。
 そうして、紅茶缶を引っ張り出しティーポットにダージリンの葉を入れるとポットのお湯を注いで、二人分のティーカップとビスケットを並べた皿をお盆の上に載せると居間へと行った。
 ゼロスは手持ち無沙汰だったのかただ単に興味があったのか、いまだ殻の中ですやすやと眠っている子供のつるりとした殻の表面をゆっくりと撫でていた。
 もしそれがヴァルの卵であったら何かしでかしたのかもしれない、と狂ったように怒ったかもしれないが、あの子の父は不本意ながらもこの獣神官なのだ。壊そうとするのは許せないが、彼の魔力を注ぐぐらいならば許されるだろう。それはもともと子が有しているものなのだから。
 私はだから別段怒るような事もせずに、テーブルの上にビスケットの入った皿を置きティーカップを向かい合わせになるように並べると、十分時間を置いたことになるだろうとダージリンティーを二つのカップに注いだ。
 其処までするとようやくゼロスは子供の殻の表面から手を離すとソファにゆったりと座りなおし、カップに注いだ紅茶の匂いを楽しみ飲んでいた。

「なにか面白い事でもありましたか?」

 何か面白いことがあってしかも暇な時に来ることが多かったので、私は彼になんでもないことのように聞いた。
 ゼロスはにこりと普段となんら変わりのない笑顔を私に向けると、カップを両手で持ったまま口を開いた。

「そうですね――、どうもフィリアさんのことで面白がられているようです。また礼儀のなっていない方がいらっしゃるかもしれませんが、丁重に追い払ってかまいませんよ」

「もちろんそのつもりです。魔族をそうそうお茶になんて誘えませんもの」

 即答していた。
 魔族に面白がられるのも心外ではあったが、魔族の寄り付く家にはしたくないので(ゴキブリほいほい的要素があるのならばかろうじて神族としての本能で魔族の寄り付く家にしてもいいかもしれないが)追い払うつもりであった。
 といっても、黄金竜である私の力などほんの些細なものでしかないことは百も承知なのだが。
 しかしゼロスにとってはそれで良いのか、にこにこと楽しげな笑みを浮かべていた。けれど、普段の人工的な笑みと変わりのないそれを。

「まぁ、基本的に僕らとフィリアさん達は敵同士ですからね」

 そうして、発した言葉といえば今更述べられなくとも分かるようなもので。
 寧ろ基本的にとかつけられている部分が心外であったが、目の前の獣神官に紅茶だかビスケットだかを(いきとしいけるものの負の感情を食べる魔族には)無意味ながらも与えているのだから、恐らく租借しなくてはいけない言葉なのだろう。
 そう認識しているからこそ、敢えて激しい突っ込みをいれずに頷いた。

「ええ。今の私達が異常なんです」

「そうですね」

 ゼロスもさも当たり前だといわんばかりに同意したので、この話はおしまいと脳裏に描いたのだがそういえば聞きたいことがあったなぁと思い出し、一応聞いてみることにした。
 よっぽど問題があることならばお茶を濁しておしまいにするのだろうけれど、とりあえずお茶を濁さなくてはいけないほど魔族の内情に突っ込む質問をするつもりなどさらさらないので、大丈夫だろうと言葉を発した。

「ところで、お聞きしたい事があるのですが」

「なんでしょうか」

 ゼロスは不思議そうに言葉をかしげた。

「薄々分かっているのですが、どうして私は魔族の力を体内に所有しているのです?」

 私の体を死へと蝕もうとしたときにそれに気がついた。
 魔族の力――黄金竜とはまったく逆の成分で出来ている魔力。
 彼と肉体関係を持ってからも随分気がつかなかったのだから、私も随分鈍感といってしまえばその通りなのだけれど。
 それでも、気がついてから考えてみると結構簡単に原理を推測することは出来た。ので、ゼロスに聞くことも意見を求めることもなかった。だから、このむやみやたらに朗らかでのんびりした時間に聞いてみようと思ったのだった。

「それは秘密です、とでも言っておきたいところですけれど別段問題ありませんので答えますが――、それは僕の所為ですね」

「やっぱり」

 それは既に予想していたことだった。
 私が半ば反射的にポツリと呟いた一言を何と思ったのか、ゼロスはティーカップを緩やかに撫で穏やかな調子をとりながら心地よい声音で説明を始めた。

「仮初めの夜の営みの所為ですよ。僕の貴方がその目で見ている身体は総て僕の魔力によって出来ています。外見上の肉は勿論の事、唾液やスペルマといった排出物までも」

 姿のみを人間の形にする必要はあってもそこまで細かくする必要はどこにもないんですけどね、と彼はいつも通りの作られた人当たりの良い笑顔を浮かべる。

「僕の趣味で外見上は元より反応も人間によく似せて作ってるんですよ」

「随分と悪趣味ですね」

 反射的に述べた言葉は、生きとしいけるものならばとりあえず言っておきたいものだろう。
 ゼロスもまたそう思ったのか、別段反論することはなかった。
 まぁ、彼の行動パターンが悪趣味だという事はリナさん達と旅している間で既に理解済みなのだけれど。
 そうして、くすりとほんの少し笑みをこぼすことで彼は自身の言葉を続ける足がかりにした。

「そう、例えば本来貴方との営みによって僕は勃起する事もなければ射精する事もありえないのですが、僕が生きとしいけるもののように自身の擬態を反応させたことで人間のペニスに似た部分は勃起しますし、スペルマとはまったく本質が異なるのですが似たようなものを吐き出す事も出来ます。――しかし、それらすべては似て非なるものなのです」

 擬態ということは知っていたのだが、実際目にしているものはあくまで人間や変態している私の姿と変わりがなかったので、いまいちそういう認識になっていなかったところがあった。
 けれど、今回ゼロスがはっきりと自分の生態を魔力によるものなのだと説明してくれたおかげで、ようやく自分の中で彼はあくまで擬態なのだと租借できそうな気がした。あくまで知識上ではあったが。

「なるほど。生きとしいけるものの生態から外れている魔族に生殖行為などないと思っていましたが――」

 呟いた言葉に、ゼロスはにこにこと白々しい笑みを浮かべるとまったく朗らかな声を発した。

「まぁ、こういった仕組みにするのは肉体的繋がりによって引き起こされる様々な感情を利用し、深い絶望を与えてより良い食事にありつこうとする僕らならではの理由なのですが」

 それは非常に腹立たしい内容ではあったが、それが彼ら魔族なりの食事方法だとすれば納得せざるえないのだろう。生命維持のために食という本能を持っている私達生きとし生けるものは、食事という本能からの行為を生命維持のためではなくとも無碍にすることは出来ないのだから。
 だから私は金切り声を出さなかった。もっともほんの少し前であれば、理性での理解なんてものを本能からの嫌悪でなかったものとし、彼を罵倒することに全力を注いでいただろうけど。これもまた進化というのだろうか?

「そうですね。肉体関係にまであった恋人に裏切られるのは深い悲しみですから」

「ですから、本来あの卵が存在する事もありえないのですが――」

 さらりと私の言葉を流したゼロスは視線を子が眠っている籠に移し、どこか不思議そうなニュアンスを含め述べた。
 確かにあの子が私と彼の子という事実が奇跡に近いようなものだ。本来私と彼は種族がまるっきり違うのだから子を孕むことなど出来ないのに。
 しかし事実子は出来、私は既にその子を産み落とした。
 だから私は黄金竜の生態とゼロスたち魔族の生態を鑑みて、一つの仮定を彼に話した。
 ほぼ、私的な考察ではあったが。

「けれど、私たち黄金竜も肉体を持つとはいえ、精神体を基軸としそれに依存している生き物ですから。それは細胞配列を変え、竜へそして本当の姿へ変態することからもよく分かります。だったのなら、魔力と魔力の融合というのは本来黄金竜に備わっていた生殖反応なのかもしれないですね」

 黄金竜の生殖はつまり肉体に依存しているというよりもほぼ精神――魂やそれを取り巻く種族独特の魔力によるものが大きいのかもしれない。
 だから、他種族であるはずの魔族との子が成せたのではないだろうか、という結論に達した。
 もっとも二人を取り巻く属性が正と負というまったく逆の性質であったのだから、確立で言えば零コンマほどには低かったのではないかと思われるけれど。

「なるほど。見た目はガウリィさんの言葉を借りるところの"でっかいトカゲ"みたいなものでも、実際は別のものという訳ですね」

「……ガウリィさんの言葉に同意するのは非常に不本意なのですけれど、そういうことです」

 人の形はもちろん、竜の形もまた本体とは別のものなのだ。
 姿をころころ変えられる私達の本質は属性が逆で現実世界に繁栄できる体を生まれながらに持っているとしても、やはり精神体なのだろう。
 ゼロスはふぅんとまるで知らないことを知ったかのように同意した。
 もしかしたら、彼は黄金竜の生態をくわしく知らなかったのかもしれない。私達一族は他種族に対して解放的とは言い難かったし(特に宿命の敵である魔族に対しては尚更)、破壊の対象である黄金竜の生態を調べる必要もなかっただろう。もっとも、ゼロスはそういった本来の活動とは無縁の情報でも、敵をよく知るために調べているのではないかと思っていたのだが。
 まぁ、そこまで魔族も暇ではないということなのだろう。

「問題は解決しましたか、フィリアさん?」

「そうですね」

 じゃあ、話題を変えましょうかと言ったゼロスは少々冷めた紅茶をゆったりと口に運んだ。



      >>20061101 生態についての持論は結構ノリです。



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