不変化




 十時に店を開けた私は商品の手入れをする。
 ひび割れないように、綺麗な色を損なわないようにと気を使いながら壺の状態を見る。商品としてもそうだけれど生粋の骨董壺マニアとしてみれば、見惚れるほどに美しく年月を経た骨董の価値を損ねるような真似など絶対にしたくはない。趣味と実用が共同で存在しているのだから、壺に触れる手は赤子を抱きしめる程度には優しい。
 電話で来ることを述べていた常連の骨董壺愛好家の方と壺のよしあしについて語ったり伝票整理をしたりなど、ごく一般的な小売店の雑務をこなす。
 そうして、休憩と食事を取った後しんと静まっている店の中で帳簿整理をしていた。
 ヴァルには申し訳ないが、卵の子と一緒にリビングにいてもらった。ジラスさんは同じ人狼の奥さん、お子さんと共に少し遠出をするらしかった。グラボスさんはこの街に来る前にお世話になっていた村へと、久しぶりに訪ねるらしい。どちらも半日では帰れないということで今日だけは寂しい思いをさせますね、とヴァルに二人とも謝っていた。やんちゃだけれど真っ直ぐで優しいヴァルは「へいきだよー」と笑って、泣きそうな二人の頭を一生懸命撫で撫でしていた。どちらが年上なのか分からないぐらいである。
 その光景を思い出してくすくすと思わず笑ってしまったその時だった。
 ぴしり、と何かが破けたような奇妙な音が響き渡った。
 私はヴァルと生まれていない子供の安否を確認するため、慌ててリビングに通じるドアを開ける。
 其処にいたのは見知らぬ男性だった。
 深い藍色の髪を無造作に一つに束ね、真っ直ぐに私を見た瞳は嵐の海を思い出す濁った青だった。顔のつくりは女性と間違われそうなぐらい美形だというのに、性格からかどこか軽薄そうで意地の悪い印象を受ける。
 ジーンズにシャツというラフな格好は彼の職業を示すこともなく、ただの青年に見えた。
 しかし、滲み出る奇妙な圧迫感と鳥肌が立ちそうなぐらい刺激される黒く暗い魔力の胎動は、彼が魔族であることを示していた。
 しかもかなり強い純魔族であることを。
 そして、その手にはどこか疲れたようにぐったりとしているヴァルが居た。
 その様子に彼を敵だと判断し、もう一人の大切な子供のほうに視線をちらりと向けた。
 バスケットの中ですやすやと眠っている子に危害を加えられた形跡はない。
 咄嗟に手を翳すと、精神世界面で発生した魔力が子を包むように守っていた。深い闇のような魔力は、まるで触手のようにもしくは落とすとじわじわと広がっていく水を多く含んだ水彩絵の具のように広がり包む。
 それを確認し、私はきっと目の前の青年を睨みつけた。

「何か用ですか? 私、あなた方魔族に狙われるような目立ったことをした記憶もありませんし、あなた方の本能を満たすような術を持っているわけでもないのですが」

 彼が元凶なのだと思ったのは直感だった。
 しかし、直感だからといってそれが全てではない。彼は今まで私の目の前に来たどの魔族よりも強く冷えた魔力を有していた(もっともゼロスほどではなかったのだが)。命令系統は別として力を持つものを敬う傾向にある魔族において、力を有するものが作戦を考案し指示を出すと考えるのは間違っていない。

「――以前に聞いたのが目的だとは?」

 それは聞いたことのある声だった。
 いつも空耳のように聞こえていた声。

「思いません」

 私は強く一言で否定をすると、酷く冷めた頭で彼を見た。
 青年は表情を変えることなく、しかし楽しげに私を見つめる。

「だって、貴方はお強いでしょう? ゼロスほどとは言いませんけれど、中核を統べられるほどには。ということは、自身の力を否定したら、恐らく精神ダメージが強すぎて滅びるのではないですか?」

 魔族は黒魔法を唱えられないのだと、何の拍子だったのかリナさんから聞いたことがあった。
 自身より強い魔族の力を借りる黒魔法を使用すれば、自身の力を否定しそれが自身の存在をも否定することになるのだと。

「まぁ、それが何故前襲ってきた魔族には適応されないのか甚だ疑問ではありますが、それほど魔族の生体には興味ありませんから疑問は疑問にしておきますけれど」

 世界を滅ぼすための力を求めるのは当たり前なのだと、魔族から聞いた直後は納得していたのだがしかし、そんなわけないはずなのだ。
 私自身、魔族の生態に詳しいわけではなかったが――彼らの構築する精神体というものは自身の発言や行動すらも規制してしまうほど強くも脆いのだというのは知っていたから。

「ともかく、とすれば以前聞いた私の血肉がうんたらかんたら、というのはとりあえずありえなくなるわけです。――ですから、目的をお教えいただいてもよろしいかしら?」

 彼は私の言葉を聞いて楽しげに目を細めた。
 その動じないところがあまりにも魔族そのものだった。まるでゼロスのような。

「頭のいい人は嫌いではないよ」

「それは有難うございます」

 楽しげに跳ねた言葉に、私は警戒を解かぬまま礼を述べた。
 攻撃を仕掛けるにも彼の腕の中にはヴァルがいる。ヴァルを失くしてしまっては元も子もないのだ。
 彼はそれを理解しているのか、警戒もせずに楽しげに笑っているだけだった。本当に苛立たしいったらありゃしない。

「とどのつまり、遊戯なわけさ」

「遊戯?」

 魔族にとって生きとし生けるものにちょっかいをかけるのは、食事とお遊びぐらいしかないのかもしれない。もっとも生きとし生けるものの中で厄介な黄金竜に声をかけるのは、さすがに純魔族でも力が上のほうになるのかもしれないが。
 しかし、ある程度の純魔族であれば私の力は通用するはずだ。ゼロスは魔王の腹心に次ぐ力の持ち主なので一人で、黄金竜や黒竜を壊滅できる程度には強いのだけれど。

「君のところに先日来た奴の言ったことも嘘じゃあないがまぁ、サブイベントって処かな」

「本筋は別にあると?」

 私の問いに彼はにこりと微笑んだ。
 ゼロスのような仮面をつけた笑顔ではなかったが、遊戯と称したように私の行動や発言を楽しんでいるようだった。

「もちろん。君の言ったとおり、純魔族が己の力を否定する事は存在否定に繋がるからね。実体を持たない僕らにとってはとても大きい事さ。それに格差は別段ない。けれどそう捉えられるように言わせたのは僕なわけだね」

 なるほど、そう言えば一番初めに来た魔族は血肉を喰らうことにより本当に力が上がるのか知りたい、と言っていたが自分が喰らうなどとは一言も言っていなかった。勘違いするように言葉は選んでいたかもしれないが、それが直接魔族にかかわるようなものではなかった。
 それに、滅びの間際までは自身が滅びに加担できるように生きることを望む魔族は、勝算の少ない勝負を仕掛けることはない。だから、あまり黄金竜と知って手を出すものはいないはずだ。――そう考えれば先の魔族も血肉を喰らうことが目的でないと直ぐに分かったのか。私に手を出すのは遊びにしては少々危険すぎる。
 自分の思考能力の愚鈍さに思わずため息を漏らしそうになったが、目の前に敵がいるのでそれはぐっと我慢し、言葉を続けた。

「――目的を感づかれないようにですか?」

「そうさ。本当の目的を知られちゃうとまぁ、厄介だろうからねぇ。特にゼロス君なんかは面白くないんじゃないかなぁ」

 ゼロスが面白くないこと?
 いつもにこにこ笑顔の仮面を被っている獣神官を思い出し、眉を顰めた。
 どうやら魔族にはゼロス関連で認識されているらしい私にとって、ゼロスが面白くないことなど良いわけがない。ちなみにゼロスにとって悪いことでも同じだ。
 もっとも私が関係していなければ、ゼロスにとって面白くないことをすることは精一杯応援するが。
 しかしこの場合まったくの他人事でなかったので、想像できなかったが嫌な予感がして聞きたくなどなかったが聞くことにした。聞かなければ、対処のしようもないだろう。

「目的はなんなのですか?」

「目的? それは、君を魔族化させることだよ」

 予想だにしていなかったことに思わず目を見開いた。
 魔族?
 黄金竜である私を?
 確かに、反抗しながらも恋慕の情を抱いているからこそゼロスは面白がって私を抱くのだろう。同じ魔族になってしまえばそれはゼロスにとって私が従順することと同じことだ。
 ――そして、それは玩具としての価値を失う。ゼロスは私を面白い玩具として認識していたのだから。

「ゼロス君は従順なものなんて嫌いだもんね。まぁ、僕だって面白くないのは嫌いだけれど、別に君が従順に従ってくれたって放り投げたりはしないよ。けれど、ゼロス君は根っからの面白い物好きだからね。きっと、魔族になって従順に従う君なんてこれっぽっちも興味がなくなるだろうねぇ」

「貴方は、私を魔族にして捨てられる様を面白おかしく見ようという魂胆ですか?」

 なんて悪趣味な、と眉を顰めた。
 いや、魔族だからこそこんなにも悪趣味なのだろう。
 彼はにこにこと楽しげに微笑むだけだった。このやり取りすらもきっと楽しみを覚えているのだろう。私は負の感情を出した覚えはないのでそれほど食事にはなっていないはずだが。

「つまりはそういうことさ。君だって、黄金竜にしてはかなりの許容量の僕らの魔力を受け入れている。テリトリーを逆転させるには問題ない程度にね」

 その一房だけ黒くなった髪が証拠だよ、と微笑んだ魔族に思い当たる節があった私は押し黙った。
 魔族化。私はその原理を知らない。
 古代竜であるヴァルが何故ガーヴの力を貰い受け、ヴァル=ガーヴになったかすらも分からないのだから。
 しかし、卵を産んでから私の中に存在する黒い魔力は私の体内にゆらりゆらりと滞在し、自由に引き出せるようになった。相反するものとの魔力を混じり合わせた子供を出産したことによって私の身体が多少変わったということもあるのだろうが、変わらぬ行為によって体内に受け入れているスペルマは以前ゼロスと話したように彼の黒い魔力で成り立っている切り離された末端だ。
 受け入れていると言うことはつまり、彼の魔力が体内に存在するのだろう。反発することもなく静かに其処に。
 黄金竜とはまるで違う、魔族の精神体を構成しているそのものである黒い魔力を。

「つまり、僕はこの子を使ってそのきっかけを作ろうとしようとしているわけだ。賢い君なら分かるだろう?」

 私にはテリトリーを逆転させられる程度に彼の魔力を受け入れているかどうかなんてこれっぽっちも分からないが、精神世界面で生きている彼にはわかるのだろう。
 そして、私を魔族化する方法も。

「分かりたくなどありませんが。確かに、私にヴァルを盾にされたら――」

 従うしかない。
 私にとって、ヴァルは壊してはいけない贖罪の象徴であり、愛しい子なのだから。

「盾? 盾になんてしないよ」

 しかし、彼は私の予想していた言葉を発することはなかった。
 腕の中にあるヴァルを静かに撫で上げ、にやりと笑った。さも愉快だと言わんばかりに。

「きっかけにするのさ」

 突然鋭く伸びた爪をヴァルの首元に当てつぅっと引く。
 赤い赤い血が流れ落ちる。
 ヴァルは苦痛に歪んだ顔で抱き上げている男の顔をのろのろと見つめた。
 黒い黒い魔力が溢れ出す。
 意識もせずにそれらは目の前の原因を作り出す男に向かって蠢きだし攻撃を仕掛けようとするが、水面下での戦いは生粋の魔族であった男のほうが優れており、まるで猫じゃらしで遊ばれている猫のように簡単な仕草でかわされていく。

「ふふふ、素敵だね。古代竜がガーヴの手下になったと聞いたとき以来だよ。ああ、本当に面白い!」

 攻撃をものともしない男は、首筋から流れ出る血の元である傷をその長く鋭い爪でぐりぐりと抉った。

「あああああ……っ!」

 ヴァルの悲痛な叫び声が耳の奥に消えてなくなる。
 ヴァルをいじめないで。
 彼はとても苦しんで苦しんで、ようやく新しい人生を迎えることが出来たの。
 平穏で静かな暮らしを。
 それをまた貴方が潰そうとするの?
 そんなの許さない。
 貴方がヴァルを殺してしまうのならば、私が――貴方を殺す!
 意識が破壊衝動に塗りつぶされていく。目の前の男を殺せ、と白い魔力を潰しながら黒い魔力がうねり私に命令を出す。
 逆らうこともせずに、器であるはずの白い魔力を塗りつぶしながら黒い魔力を放出させていった。今まで仕掛けていたよりも遥かに重く密度の高い常闇のような魔力を。

「なっ!」

 ぎりぎりと傷を痛めつけヴァルと私の感情を楽しんでいた男は、初めて焦ったような声を出した。
 まるで予定外だと言わんばかりの声だ。
 破壊衝動に塗りつぶされた頭で事務的に仕入れた情報は、魔族に成りだしているからなのかもしれない。それすらもまるで他人事のように感じながら、唯ひたすら目の前の男を殺してしまうことに集中していた。

「こ、こんなに強いとは……っ」

 男は顔を恐怖に歪め、迫り来る漆黒の魔力を抗うようにじたばたと精神世界面で暴れているのが分かった。
 と、そんなことを冷静に考えていると声が聞こえた。

「――貴方はそれで本当にヴァル=ガーヴに対して、贖罪が出来ると考えているのですか?」

 その声と共に獣神官が現れた。
 ヴァルという単語にぴくりと破壊衝動に塗りつぶされた頭が停止する。
 そうだ。
 私が目の前の男を滅し、魔族となることをヴァルは望んでいた?
 ヴァル=ガーヴは私の一族を本当に憎んでいたし私が破滅することを望んでいたのかもしれないけれど、私は彼に贖罪をすると決めたのだ。
 一時の感情に押しつぶされて魔族になることは、本当に贖罪になる?
 それは、ただの逃げでしかないはず。
 ――だったら、私は魔族になどなるべきではない。
 塗りつぶされていった白がふっと身体の奥から黒を包み込み、破壊衝動が引いていく。

「貴方と殺り合っても良いのですが、ただでさえ魔族の勢力が激減している最中で更に海神官を無くす訳にはいきませんので見逃してあげますよ。――フィン、僕が貫いてしまう前に行きなさい」

 私に背を向けて、男にいつも通り酷く穏やかな声で世間話をするようにゼロスは忠告していた。
 フィンと呼ばれた男の表情を見ると恐怖で顔が引きつっており、ゼロスの言葉が終わると同時にヴァルを放り投げ精神世界面へ逃げたようだった。
 投げ出されたヴァルを見事にキャッチしたゼロスは、くるりと私のほうを向いて何時も通りの笑顔を見せた。貼り付けた仮面のような笑顔を。

「ほら、貴方の大事なヴァル=ガーヴは無事ですよ。早く、傷の手当てをしてあげた方がいいのではないですか?」

 黒い魔力に塗りつぶされて呆然としていた意識が「傷の手当」という単語によって、途端に覚醒した。

「――、有毒可燃性生ゴミ魔族に言われる必要などありませんっ」

 ゼロスの手からヴァルを奪い取ると、抉られた首の傷に手を添えた。



      >>20061129 オリキャラ有表記すべき?



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