愚かな寓話
精神世界をただ彷徨っていた。
平衡感覚も空間感覚もまるでないその場所は、自分の見たいと念じた現実世界をその場でのぞき見ることが出来る。
精神世界とは、まるで広くまるで狭い空間なのだ。
その中からリナさん達が滞在している町を覗き込むと、リナさんは珍しく1人で行動していた。
いつもはその隣に必ずと言っていいほどにガウリィさんがいるのに。
指をちょっと動かして擬態を作り上げるとまるで急に現れたかのようにリナさんの前に登場した。
リナさんは特に驚いた様子も見せずに、僕を見ていた。…リナさんはそれほどに、人間にしては肝の据わった人だった。
「あら、ゼロスじゃない?何か用?」
「ええ。聞きたいことが出来ましてね」
リナさんの不思議そうな顔と言葉に、ついそう答えていた。
確かに悩んでいる。
自分の魔族らしからぬ、あの海の目を持つ女性に関わった行動について。
どうして、彼女の負の感情を美味しくいただけないのか。
どうして、彼女の苦しむ姿を見ると胸が痛み出すのか。
けれど、確かにリナさんの前に現れたときにはそのことを聞くつもりはなかった。…僕はその言葉が咄嗟に出るほど追い詰められている、と言うことなのだろうか。
自分の行動が理解できなかった。
「へー、珍しいじゃない?アンタがあたしに聞きたいことがあるだなんて」
その炎のように燃え上がるような赤い瞳を驚いたように大きく見開いて、彼女は言った。
どうして同じく意志の強い目なのに、あの黄金竜の娘と向き合うときのような感覚と同じように感じないのだろうか。
「まぁ、其処にでも入りましょうか。僕が奢りますから」
「奢り!?入るわよっ」
リナさんは奢りという僕の言葉に目をきらきらと輝かせて、前言撤回は許さないと言わんばかりに僕の腕をぐいぐいと引っ張った。
…まぁ、リナさんらしいといったらそうなのだろうが。
引き摺られるように僕とリナさんは喫茶店に入った。
まるで、食べ物を仇のようにしてお腹の中に詰め込んでいく様は僕には理解できないものだったのだが、見ていて楽しいものではある。もっとも、僕がまかり間違って店でも経営していたのならば話は別なのだろうが。
そうして、小一時間ほどで喫茶店のメニューフルコース+αを食べきったリナさんはとても満足そうな表情をした。
「んで?聞きたい事って何?」
どうやら話は聞いてくれるらしい。香茶を飲みながら、リナさんは促した。
かなり切り出しにくい話ではあったがそれでも聞かずに入られない。
もしも、僕が獣王様の言うとおりだとしたら…とても、拙い事になる。
「……恋、とはどういうものなのですか?」
リナさんの周りのときが止まった。
たっぷり、10秒弱は瞬きもせずに止まっている。
おかしい事を言っている自覚はあるので、僕の言動や正体を把握しているリナさんであればなおさらびっくりするような言葉だったのかもしれない。
「ぶっ!!」
そうして、飲んでいた香茶を噴出した。
…まぁ、それが僕にかかったのは許容しよう。
「…」
その先の話も語らずににこにこと微笑みを作ったまま僕が黙っていると、リナさんはナプキンで口をぬぐうとはぁとため息をついた。
そして、中身が少なくなった香茶のカップを手に取り少し口角を上げてにやりと笑った。
「アンタから、恋なんて言葉、聞くとは思わなかったわ」
僕もまさか言うとは思わなかった。
それこそ僕の生態、基本的な思考回路からみればまったく関係のない…むしろ感じてはいけない事項なのだから。
「それで?」
それを聞かせてくれるのか、くれないのか。
焦れた事もあるのだろう、その意味をこめて促すとリナさんは非常に困ったように眉を寄せて、かたりと香茶の入ったカップをテーブルに置くと肘をついた。
じぃっと僕をその深紅の目で観察するような鋭い目で眺めている。
「うーん、そうねぇ…恋の何を知りたいわけ?」
その言葉に、今度は僕が悩む番だった。
恋、と聞けば直ぐに…とは言わないが答えてくれるだろうと踏んでいたためだった。ああ、アメリアさんだったら直ぐに切々と恋とは何ぞや、ということを語るのかもしれない。
けれど僕はリナさんから話を聞きたかった。リナさんなら、知っているような気がしたのだ。
恋とはどのようなものかを。
僕にはまったく理解できなかったそれを。
「どうして、人間は恋に落ちるとその人のために自分も身の危険をさらしたり出来るようになるのですか?」
まず、聞きたかった。
何千、何万年も前から見てきた人間は恋人というやつのためならば自分の命も顧みずに…時には自分をも犠牲にしてその恋人を助けていた。
そうして、それを眺めていたり時にはそれを仕掛けた当事者であったりする僕は嘲笑するのだ。
自分の命を失っては何の意味もないのだと。所詮は恋人という名のカテゴリーに居た赤の他人の命を助けて、その赤の他人は助けてもらった恩すらも忘れてまた他の者と恋とやらに落ち、生殖活動を繰り返す。それは人間の本能であり決められた事象なのだ。思考能力があり、そうなることを人間は予測でき、そしてそれがまったく利益にならないことも重々承知な筈だ。だったら何故、助ける?
ただ生き残った人間が変わるだけであり、なんの意味すらもないのに。
リナさんはただ微笑んで、僕を見ていた。
愚かな人間の事を思っているのか。
それともいつも隣にいる、金色の長い髪と広い空のような瞳を持った青年を思っているのか。
僕には分からないけれど。
「それは、考えるより先に行動してしまうからよ。損得すらも考えずに感情のみが動いてしまうの」
「分かりませんね」
即座にそう返していた。
本当に分からなかった。その思わず動きたくなるような感情とやらの動きが。
「そうね、生粋の魔族のアンタにはわからないかもしれないわ。考えるよりも先に行動してしまうっていう、その衝動性が」
>>20050720
現象に対しての投げかけ。
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