凍えた場所




 ウサギは真っ直ぐに丘の上にある大きな木に向かって飛び跳ねていた。
 近づけば近づくほど、その木の大きさが良く分かる。木の周りを一周するのに結構な歩数がかかることを容易に想像できる大きな木は、以前存在していた神聖木フラグーンぐらいに大きかった。
 瘴気を食すあの木は、今も存在していたのならきっと際限なく成長を続けていただろう。
 などと考えていると、ウサギは変わらぬスピードで木にぶつかるように飛び跳ねるとすぅっと吸い込まれるように消えた。
 つまり、これは入り口なのだろう。
 フラグーンにも入り口があったことを思い出して、こんなところまでそっくりなのだろうかと思わず笑ってしまった。
 孔雀石で出来た少し緑色が含まれている茶色の表面を撫でるように触れ、すぅっと手が木の中に吸い込まれているのを確認すると、僕は躊躇うことなく一歩を踏み出した。
 視野に影響されない空間というのは僕らの得意分野だったので、躊躇の要素すらも無い。
 踏み入れた木の中は先ほどの森のように花に溢れていた。
 緑色の小鳥がさえずり、ゆったりと空を覆う木の枝にとまっている。
 様々な花はまるで訪れた僕を歓迎するように綺麗に咲き誇り、その先には石の祭壇のようなものが存在した。
 そして、その上にいるのは――。

「フィリアさん!?」

 フィリアさんがいることには別に驚きは無いのだが、フィリアさんの状態に思わず驚いていた。
 思わず、孔雀石で出来た草を壊しながら駆け寄るとその状態が本物なのだと実感した。
 フィリアさんの下半身は先端から膝を覆うぐらいまで石になっていたのだ。緑がかった灰色の石に。
 そして両腕も多少曲がったまま、先端から膝を覆うぐらいまで緑がかった灰色の石になっていた。まるで動くのを封じるように。

「っゼロスですか。まさか貴方が来るとは思いませんでした」

 覗きこむ僕の顔を確認したフィリアさんは、酷くビックリしたように目を見開いて呟いた。
 僕はにこにこと表情を変えずにひたすら細目のまま、とりあえず事の顛末を聞くことにした。

「ところで、どうしてこんなことになっているのですか?」

「私も何故此処にきたのかは分かりませんでしたが、どうしたら元の場所に戻れるのかひたすらに歩いていたんです。そうしたら、とても美しい女性に石の花を取れば望みが叶うと言われたんです。ほかに有力な情報もありませんでしたし、それに縋るしかなかったので此処に着てあの石の花を取ろうと手を伸ばしたんです。そうしたら――」

「手足が石になってしまった、と」

「ええ」

 自分が石になってしまったというのにまったく戸惑う素振りを見せずに頷くフィリアさんは、数々の事件があったからこそ突然の事態に慣れているのだろうか、などと頭の端のほうで思っていた。
 ともかく、その石の花≠ニいうのがキーになっているのだろう。
 僕はさらにフィリアさんに詳細な説明を求めることにした。

「フィリアさんは、その石の花をもぎ取ろうとしたのですか?」

「……なんだか表現が気持ち悪いですが、そうです。摘もうと茎に触れ力をこめた瞬間、石になっていました」

 あの作り物のような女性は、そういえば石の花は強い毒性を持つといった。
 孔雀石との関連を考えて体内で緩やかに死に導く毒なのだと思っていたが、まさか石化効力のある毒だったとは。
 それならば、実体を元にしている黄金竜であるフィリアさんにとって辛いものなのかもしれない。
 僕もこの空間ではダンボール構造になっているが故に精神世界に逃れる事は出来ないので、かなり厳しい。

「それは――」

 フィリアさんにふと思った事を問いかけようとした瞬間、後に気配を感じて振り返ると其処には先ほど退却させた孔雀石の男性が居た。
 にやり、と楽しげに笑った男は静かに僕に近づく。

「ああ、やっぱりお姫さんを攫おうとしているんじゃねぇか」

「そうならざる得ない状況でしたので」

 別にあの骨董屋に戻るヒントをフィリアさんから聞ければフィリアさんがどうなろうとも問題ないのだが、さらりと出てきた言葉は僕が表層意識で思っているものとはニュアンスの違うものだった。
 そんな言葉を聞いたフィリアさんはどう思ったのだろうかとちらりと彼女の表情を伺うと、何処か嬉しそうで何処か苦しそうな複雑な表情を浮かべていた。
 一体、その心内では何を思ったのだろうか?

「なら、本気で挑まないとなぁ」

 男性は瞳を鋭くして僕を睨みつける。
 と、ずずずっと奇妙な音がして両腕が剣のように鋭く尖っていった。
 うにょうにょと動く髪の毛もまるでナイフのように鋭くなっていく。要するに殺傷力を重視させたのだろう。全く便利なものだ、と思ったが僕にも出来ない芸当ではない。する必要はないが。

「いっくぜぇ!」

 楽しそうに叫んで踏み出した男性はぐるんぐるんと加速をつけて刃のような両腕を振り回すので、僕は杖でそれを丁寧に流し取った。
 髪の毛も彼の動きを邪魔せずにかつ効果的に僕に攻撃を仕掛けてくる。
 それは僕の攻撃の手を増やさない手段でもあったようだった。
 攻撃の隙を見つけられない僕は、さてどうするかなぁと全ての手を受け止め受け流しながら、ぼんやりと作戦を構築していった。
 とりあえず接近戦では不利だ。
 そう感じ取った僕は、ともかく距離を稼ぐために強引に杖を振り下ろした。
 さすがにタイミングの外した攻撃に驚いたのか一瞬の隙が生まれたので、僕は咄嗟に離れると呪文を唱えた。

「霊氷陣」

 アレンジを加えたそれは、力ある言葉を唱え終わると僕の手からまるで吹き付けるように霧が現れた。
 対象を凍結させるその技は霧に触れるものを氷付けにしていくものだった。しかし彼は器用にもそれを避けて、身体全身が凍結しないように動き回った。
 だが、それだけで全てが防ぎるわけでもなく、避け切れなかったうねうねと蠢いていた髪は氷付けになって奇妙な動きをやめた。

「ちっ」

 舌打ちをした彼は、バックステップで距離を取りながら氷の進行を防ぐために他の髪の毛でその髪の部分を切り取っていく。
 僕はその間を逃すはずも無く次の呪文を放った。

「爆煙舞」

 細かい爆発が彼の周りで起こる。
 暴爆呪でも放っておけば、直ぐに決着はついたのだろうが石の花とフィリアさんがいる。
 まだ石の花をどうするかも決めていないのに、壊すのは早計過ぎるだろうから大きな破壊工作をする訳にはいかなかった。例えば、リナさんのように竜破斬、ちゅど〜んで済めばいたって楽なのだろうが。
 しかし、多少手加減しすぎただろうか?
 爆煙舞では孔雀石を削る事すら出来ないかもしれない。しかし、目くらましには充分だろう。

「爆炎矢」

 手に現れた炎で出来た矢を彼に向かって放った。
 命中を示すように大きな音がし、僕は杖を構えて警戒しながら晴れていく煙を見つめた。と、抜け出すように現れた蛇のような触手に似たものがナイフの形状をしたまま、僕に襲い掛かる。
 咄嗟に構えていた杖でその触手のようなものを弾き返すが、飛び掛ってきた人影の刃を避けきれずに左肩にそれを受けた。

「くぅっ」

 些細なダメージでしかないが、それはれっきとした傷だ。
 擬態から僕の本体が傷つけられた痛みに、思わずうめいた。
 さらに刃を向ける彼の刃を咄嗟に杖で受け止めると、彼の腹部に大きな穴が開いている事に気がついた。どうやら、先ほどの爆炎矢は命中していたらしい。

「――些細な事をお聞きいたしますが、痛みはないのですか?」

「まぁな。所詮俺は孔雀石でしかねぇからな」

 にやり、と腹部の穴について聞かれたことを察した彼は楽しげに肯定した。
 つまり、彼は合成獣とは違うのだろう。もともと全てが孔雀石で出来ているに違いない。もっとも、情報伝達様式や身体の構造など不思議な点は存在するが、彼には痛覚というものが存在しないのだろう。僕に擬態の中身が存在しないのと同じように。
 もしくは彼はゴーレムのようなのかもしれない。なにか魔力の源となるような核が存在して、それが全てを操作しているといった――ならば、痛みというものとは無縁なのかもしれない。
 厄介だな、と思いながら猛攻する彼と彼の髪の刃を杖で受け続ける。
 と、そのとき思わぬ転機が現れた。
 追いかけてきたウサギが彼の頭にまるで蹴りを入れるように攻撃を仕掛けたのだ。
 一瞬、彼の意識はそちらに向いた。それは髪の毛も然り。
 僕はその隙に杖で彼の胸を突き刺した。

「くっ、面倒だなぁ」

 それでもまるで痛みなど受けていないようで、油断させられた事に腹立っているような口調で呟くだけだった。
 しかし、彼は杖で突かれているという離れられない状況を利用しようとしているのか、刃になった腕を大きく振り上げて――。

「もう決着はついているよー」

「これ以上しようなんて、アビスかっこわるーい」

 聞こえた声は甲高い少女のものだった。
 その声に意力が殺がれたのか、剣になっている腕を元の人間のようなそれに戻した男の中に殺気が篭っていないことを確認して、僕は甲高い少女たちを確認しようと後を振り向いた。
 其処には想像したとおり、先ほど会った左右対称な少女が居た。

「おい、抜いてくれねぇか。マリアとアリアに言われちまって意力殺がれたし。もうやんねぇさ」

 僕はその言葉を信じてよいものかと一瞬悩んだが、男は非常に穏やかな表情を見せていたし、このまま硬直していても何が変わるわけでもないだろう、と結論を出すと胸を突いた杖を抜いた。
 血の一つも付いていない杖の先を見ると、見事に杖の形に穴の開いている男の胸が目に入った。
 ともかく、この3人の動きが同時に分かるようにとフィリアさんが横たわっている台の右側に立つと、少女達は同じようににこーっと笑っていた。

「で、わかったのー?王子様」

「深層心理で考えている事ー」

 僕はああ、先ほどの話かと理解するとにこりと変わらぬ笑顔を浮かべた。

「いいえ。そう簡単に分かりませんよ。表層心理では葛藤が激しいもので」

 真実のままを述べると、少女は互いの顔を見つめてくすりと笑った。
 それはまったく無邪気な子供の笑顔だった。

「難しいものだねー」

「生きている人の考えってー」

 その言葉に呆気に取られて、僕は恐らく呆然とした表情で彼女らを見ていた。
 僕が生きている人だって?生きとしいけるものの負を喰らい、そのために全てを恐怖に陥れ全てを無を望む魔族であるこの僕が?
 彼女らが僕の正体を知らないとしても、なんて滑稽な言葉なんだろう。

「王子様は生きているよー」

「だって、自分で考え自分で判断し、自分で行動しているじゃないー」

 どこか違和感を感じる言葉に僕は首を傾げた。
 ああ、まるで自分で考え判断し行動することが出来ない人がいるとでもいいたげな言葉だったからだろう。

「僕のようなものでも制限されていてもある程度は自由が効きますから」

「でも、私たちもアビスも自分で思考する事は出来ないよー」

「あくまで、その場限りの判断能力はあるけれど、感情を持つという事は無いものー」

 それは一体どういうことなのか。
 現時点でさえ、彼女らは彼女らの思ったとおりに喋っているというのに。まるでそれらは虚実だといいたげな口調だ。

「私達は孔雀石で出来た人形なのー」

「まるで操り人形のように動くだけなのー」

 ねーと互いを見つめてにこりと笑った彼女らは、まるで嘘を述べているようには見えなかった。
 それならば、上手く出来ている人形だと思った。
 まるで生きているものの仕草そのものだったから。
 ……しかし、ならばその大元となる人物がいるはずだ。

「石の花を摘まないの?」

 流れるメロディのように心地よい声は後ろ側から聞こえてきて、僕は後を振り向いた。
 其処に居たのは、最初に会った奇妙なまでに神秘的な雰囲気をかもし出す、綺麗な人だった。

「――貴方が全ての元凶なのですか?」

「いいえ。私はただ此処に存在するものでしかないわ。石の花は摘もうとした全てのものを緩やかな毒で覆い隠す。ほぅら、お姫様は毒にやられていくだけでしょう?」

 はっとして、フィリアさんのほうを見ると彼女を寝食していた石は各関節から、緩やかに付け根のところまで既に到達していた。
 苦しそうに喘ぐフィリアさんは、緩やかに死へのカウントダウンをはじめて――。

「どうすれば、この石化は止まるのですか?」

「お姫様が抵抗を止め箱の蓋が閉まることを望んでいるというのに、どうして私がそれを知っているというの?ここには――石の花の毒に影響されるものなどいないというのに」

 そうか。
 此処のものは全て孔雀石だ。
 石の花に触れたとしてもその毒で石になることはない。なぜなら、元々石なのだから。
 だったら、その解除方法を知らなくてもおかしくは無い。知る必要もないものを知るという無駄な事は自身によっぽどの余裕が出ない限りはやらないものだから。
 その間にも、フィリアさんの身体を侵食していく石は動きを止める事も鈍らせる事も無く、ただ静かにフィリアさんを死に至らしめようとする。
 ひたすらに苦しめながら。
 ああ、このスピードでは解決方法を絞り込む前にフィリアさんは死んでしまう。
 フィリアさんなんて見捨てても問題ないはずなのに。
 そう思った瞬間、僕の脳裏をよぎったのはただひたすらなにかを突き動かす衝動と、それに動かされる僕ではない僕の行動だけで、咄嗟に身体を動かした僕は石の花の隣に佇んでいた女性を押しのけると、その石の花を踏み潰していた。
 ぱりん、とまるで硝子が砕け散るような音が響いて、ぱぁあぁぁぁと神官服に仕舞っていた孔雀石の板細工が光り輝いた。
 光に耐え切れず思わず目を瞑ってしまう前に見たのは、女性の穏やかな笑顔だった。
 唇が緩やかに音もなく言葉を紡ぐ。

『また、会えるときを――』



      >>20060316 次回で終わりです。



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