囚われ人の恋歌




 ファビアン=コクトーの屋敷の前に降り立つと、フィリアは口の中で呪文を唱えながら扉を開けた。
 それと同時に襲い掛かってくるアンデットもどきに氷の矢をぶつけ、身動きを取れなくさせる。
 さて、当てもないしどうしようかと一度足を止めるとどこからともなくここ最近よく聞くうっとうしい声が響いた。

「やぁ、お嬢さん。ここに来ると思っていました」

 きらりと歯を煌かせて、片手を振って挨拶するそのウザさは紛れもなくルーシェル=エインズワースその人である。
 フィリアは彼の挨拶を黙殺すると、殺気すらも漂う鋭い目でルーシェルを見た。

「この家の実験室へ行く道は、存じていますか?」

 ルーシェルはしかしその鋭い目に屈することなく、にこやかに微笑んだ。

「ええ。貴方が私の家へ回っている間に調べておきました。――こちらです」

 先頭を切るように、ルーシェルが駆け出しフィリアがそれに追随する。
 無論、その間にもアンデットもどきはその身を犠牲にして襲い掛かってきた。――が。

火炎球ファイア・ボールっ!」

「氷の矢」

 ルーシェルが目の前の敵を火炎球で焼き払うと同時に、フィリアが左右後方から襲い掛かってくるアンデットもどきを凍らせる。
 研究者にしてはセンスのよい攻撃の仕方に、彼女はそこで初めて認めるように小さく頷いた。

「それなりに強いんですね、ルーシェルさん」

「もちろんっ! 可憐な乙女を助けるためにはヒーローにふさわしい強さも必要ですからっ」

 もっとも、言動は一度認めたフィリアから溜息を漏らさせ、評価を低くするには十分であったが。
 軽口を叩きながら、ルーシェルが正面から来る敵を倒しフィリアがその他の敵を倒すという、一見すればフィリアの負担のとても大きい、しかし一番コンビネーションの取れた方法で二人は屋敷の一番端にある部屋に向かう。
 その中にいたアンデットもどきをさくりと凍らせ燃やすと、ルーシェルは机の上に置かれた花が生けられている花瓶を持ち上げ花を引き抜くと、くるりとひっくり返しテーブルの上へ置き直した。
 するとががががと大げさな音が鳴り響き、扉から入って左手の壁が動き入り口が作り上げられる。
 そのとたん、まるで食い物に集る虫のように現れていたアンデットもどきはしぃんと現れなくなり、フィリアとルーシェルを誘うかのように物静かになった。

「……明らかに罠のようですが、それでも行きますか?」

 その問いかけにフィリアはにこりと作り上げられた笑顔を見せた。

「ええ。ルーシェルさんはついて来なくて結構ですよ?」

「そんなっ! 可憐なお嬢さんを敵地に放っておくなんて、私に出来るわけがありませんっ。ささっ、お嬢さん私の後ろに隠れて!」

 勇んで暗闇の中へ消えていくルーシェルの背中を見ながら、フィリアはぽつりと呟いた。

「来ないほうが、面倒が少なくていいのだけど」

 ぽっかり空いた入り口は下へ降りる階段のためにあった。
 ルーシェルは別物であったが、研究者というのは好んで地下に研究室を造りたがる癖があるようである。まぁ、地下ならばどれだけ深く掘っても日照権がうんたらや外観がうんたらなどと言われない分、建築基準法があっても誤魔化しやすいのかもしれないが。
 足音が響き渡る階段を降り終えると、重厚な扉があった。
 ルーシェルが手で押してみると鍵もかけていないのか、容易に開く。
 開けた空間に存在する書物や実験道具の数々、床に大きく描かれた魔法陣などはウジューヌともルーシェルともたいした差はなかった。
 もし差があるとすれば――、ぶつぶつと魔法陣へ向け呪文詠唱を続けている中肉中背の男(恐らくこれがファビアン=コクトーその人だろう)の隣に居る、一家に一人は居そうなどこにでも居るなんら特徴のない神官がいることだけだろうか。

「事件の犯人は貴方ですねっ、ファビアンさん!」

 まるで探偵よろしくびしっと人差し指を突きつけたルーシェルの声に気がついたのか、ファビアンは魔法陣から目を外しフィリア達を見るとにこりと微笑んだ。

「この状況を見れば、否定できないな。――ああ、私が犯人だ」

「なぜ!」

 肯定したファビアンに対し、ルーシェルは即座に疑問をぶつけた。

「なぜ? 不死の研究に役立つ実験をするために人を攫い実験道具として使用し、邪魔をする輩が居れば全力を持って排除する。研究者としてごくごく当たり前の行動をしたまでだよ」

 淡々と喋るファビアンには人を実験台として扱った恐れも罪悪感もそこにはなかった。そう、まるで感情の一部が欠落した狂人のように。
 フィリアはしかし、そのようなことなど興味がないようにただひたすら彼の斜め後ろに居る神官を睨みつけながら、けれどファビアンに問うた。

「研究は成功しましたか? 細胞の再生と腐敗を急速にそして永遠に行なわせることによって不死にする研究は」

「さすがは、事件を調べていただけあるな。――残念ながら、成功はしていないよ」

「でしょうね。それらは、その後ろに居る神官もどきに教わったものなのでしょう?」

 そこで、ファビアンはようやくうろたえる様に視線を泳がせる。
 フィリアは、くっと口角だけ引きつらせて不遜に笑った。

「どうせ、そこの神官もどきは「この研究は歴代の不死研究者の中でも一番理論の実現に近いものでした。ただ、有能な研究者と実験動物がいなかったので彼らの悲願の目的を達成することは出来なかったのです。ですから、これを貴方が引き継いで見てはどうでしょうか?」とでも言ったのではないですか?」

「そ、それがどうした!」

 どうやら、フィリアの発した言葉は図星だったようでファビアンは自身のうろたえを押さえつけるように怒鳴った。
 そんな彼の姿をフィリアは憐れみを込めて、視線を向ける。

「理論の実現が出来ても、その理論が不死に結びつかなければ意味がないでしょう? そこの神官もどきは"理論の実現に一番近い実験"と言っていても、"不死研究成就に一番近いもの"とは言っていません」

 そして、フィリアは神官を睨みつけた。

「何より、そこの神官もどきは貴方の不死の研究を成功させるためではなく、アンデットもどきを増やすことによって自身の目的を達成させると共に、ついでに食事でもしようとして貴方を利用していたのですから――貴方の不死研究が成就することは、恐らくないでしょう」

 もっとも、ファビアンが行なっていた実験が本当に正しくそして研究の成就を果たせるほど彼が優秀ならば、ありえたのかもしれないけれど。とフィリアは付け足す。
 冷静に事実を告げられ、ファビアンはぶるぶると体を震わせた。
 そこへルーシェルがびしっと人差し指を彼へつきつける。

「不死を願う私達の目的は同じだったはずでしょうっ。それは、死という恐怖から開放された人々の幸福と喜び! 人々を幸せへ導く私達の研究が人々を恐怖に陥れるだなんて……邪道ですし、許せません! どうか、目を覚まし不死研究を目指したあの頃の気持ちを思い出してください、ファビアンさん!」

 そうして発せられた理論というのは一般的な研究者のイメージである"地味で根暗で道徳を気にしない"というものから大幅に外れている。まぁ、そんなイメージをもたれる研究者など本当は一部しか居ないのだろうが。
 もっとも、先ほどのルーシェルの発言はフィリアがイメージしている不死研究者とは違っていたのか、呆れた表情で彼を見た。

「もしかして、それで首を突っ込んでいたのですか?」

「ええ、もちろんっ! 不死研究とは聖職でなければなりませんっ。それは例えば子供達を教え導く教師のように、命を助ける医師のように! そんな我らが、他人様に迷惑をかけるだなんて言語道断っ!」

「……私には、貴方の思考回路が理解できません」

 きらきらと目を輝かせながら述べるルーシェルの言葉にフィリアはただ一言、そう述べる。
 そんなコントのようなやり取りを見ていたファビアンは、まるで何かに縋りたいといいたげな目でフィリアを見て、ポツリと呟いた。

「貴方は、この魔族の思惑を知っているのか?」

「思惑を理解したのは、ついさっきですけどね」

 フィリアは呟くと手に持っていた書物をファビアンに見せた。

「先ほど、ルーシェルさんちに不法侵入した時に見つけました。――異界黙示録クレアバイブルの写本を」

 ファビアンは驚きに目を見開き、ルーシェルは満足げな笑みを浮かべた。

「さらりと読んだところによると――これこそが、不死への道標なのでしょう。細胞が死す前に回復しそれを繰り返すことによって、細胞の再生そして死のサイクルをなくし、不死にしていくという理論が展開されていました」

「バカな!」

 ファビアンは、続けようとするフィリアの言葉を遮り叫んだ。
 まるで、フィリアの言葉を消してしまおうとするように。だが、発せられた言葉は消えない。

「なら、何故ルーシェルは不死になっていないんだっ? 写本が違えるわけがない!」

「実行できる条件ではないからでしょう」

 フィリアはぱらぱらとページを捲り、そのうちの一ページをファビアンに見せた。

「膨大な魔力はもとより、これを行なうための魔法道具は入手困難なものばかりですから。エルフの里に生える治癒花、黄金竜の鱗、古代竜が作ったとされる永遠に状態保存される壺……それは多岐にわたっています。それらをそろえられたとしても、最後の条件――神族の生き血壺一杯、などというのは人間には不可能です」

 もっとも、神族ならば不可能ではないけれど。とフィリアは付け足した。

「そこの神官もどきがこれを回収しようとしたのは、あなた方人間に使われることを恐れたのではなく、むしろ神族に使われることを危惧したからでしょう。神族も魔族と同じ条件になられてはたまったものじゃないでしょうから」

 そうして、フィリアはちらりと神官を見たが、彼は変わらず笑顔を浮かべているだけで。
 そんなフィリアの説明を否定するように、ファビアンは尚も叫んだ。

「不死という結果にたどり着くための手段を誰が一つだなんて決めたんだ!」

「なら、そこの神官もどきに聞いてみればいいでしょう? 魔族は真実しか話せないのだから、回りくどい言い方で逃れようとするかもしれないけれど、質問の仕方を間違わなければ彼の意図を聞くのはたやすいと思いますよ」

 フィリアの言葉にぴくりと体を震わせたファビアンは、恐る恐る後ろに居た神官を見る。
 神官は、変わらず笑顔を(もっとも圧迫感を覚える笑顔であったが)浮かべていた。

「あの女が言っていることは本当なのか?」

 質問はただ一言で足りた。
 そして、答える言葉も。

「ええ。大筋で合っていますよ」

 ファビアンは叫んだ。悲壮な声で。
 がたがたと体を震わせ、気を紛らわせるように足をだんだんと何度も地面に叩き降ろす。
 それは、良かれと思ってやっていた実験が全て虚構であったことにより、生まれた罪悪感だったのだろうか。それとも己の実験によって醜く姿を変えられた人々の怨念に耐え切れず、だったのだろうか。

「どうしてどうしてどうしてっ! 私は正しかったんだっ。人々から尊敬の目を向けられるようになるんだ!」

 その言葉に、神官は嘲笑するように笑った。

「僕の言葉どおりにしか実験を進めなかった貴方が、なぜ歴代の魔道士が成し遂げなかった研究を成功させるというのです? 引き継いだ研究であったとしても変化を与えなければ、同じ失敗を繰り返すだけだというのに」

 しかし、神官の言葉など聞こえぬように叫ぶファビアンをどう思ったのか、フィリアは冷酷に一瞥するとぱちんっと指を鳴らす。
 それと同時にどさっとファビアンはその場に倒れた。どうやら昏倒しているらしい。

「お嬢さん、ファビアンさんに何をしたのです?」

 それまで黙ってフィリアたちのやり取りを傍観していたルーシェルが、彼女に問う。
 フィリアはうっすらと笑った。

「彼は邪魔なので寝ていてもらっています。――ルーシェルさん、貴方も邪魔です」

 そう言い切ると同時に、がくんっとルーシェルの首が重力に従い落ち、床に倒れているファビアンの襟を掴むとがんがんがんと彼の体を乱暴に引きずりながら入り口であり出口である扉へ向かい、その場から姿を喪失させた。
 その行動を気配で感じると同時に、フィリアは桜色の唇を引きつらせ微笑みながら鋭い目を未だ居る神官へ向ける。

「見事です、フィリアさん。アンデットもどきを操るために使用した魔法陣をファビアンさんの手から一瞬にして自分の手元へ引き寄せましたね」

「この魔法陣を私が奪うことなど予測済みであった貴方に褒められても、何も嬉しくありません」

 一言で彼が発した褒め言葉を一刀両断すると、ここは聖王都の外れですけれどまだあの六芒星は私に味方してくれていますし、この魔法陣はそんなに難しい類のものではないですが、それを差し引いたって私に主導権を握らせないことなど、獣神官である貴方にはたやすいことでしょう? と彼女は付け足した。

「何より、今から唱える呪文はこの六芒星が却って邪魔になりますし」

 その言葉を予測していたように笑った獣神官は、フィリアにこう告げた。

「その魔法陣の効力は術を解いてからならば、一分ほどは持つでしょう。僕が抵抗することを含めても、ね。その間にフィリアさんはフィリアさんの考えている復讐の仕方を試してみればいい」

「ご親切にどうも」

 実のところ、獣神官はフィリアが奪った魔法陣の効力を受けている。
 魔法陣を通して"動くな"とフィリアから命令されているため、彼は体を動かすことが出来ないのだ。もっとも、それがただの気休めでしかないことは彼女も重々承知していたのだが。
 しかし、フィリアはその気休めも獣神官の油断すらも欲していた。――復讐を成すために。
 なので、微笑み続ける獣神官を鋭く見つめ、気合を入れるため臍の辺りに力を込めると、ばさっと写本を足元に落とし魔法陣から魔力を離脱させ、呪文を唱えた。
 獣神官を滅するための呪文を。

「闇よりもなお昏きもの
 夜よりもなお深きもの
 混沌の海にたゆたいし
 金色なりし闇の王」

 かつて、リナ=インバースがレゾ=シャブラニグドゥを滅ぼした要因であり、しかしあまりの危険性ゆえに最早人間の中では知るものすらもほとんど居ないその呪文。
 唱えているフィリアの指先はわずかに震えていた。
 その震えは例え未完成版だとしても闇の王ロード・オブ・ナイトメアの力を借りることへの恐怖だったのだろうか。

「我ここに 汝に願う
 我ここに 汝に誓う
 我が前に立ち塞がりし
 すべての愚かなるものに
 我と汝が力もて
 等しく滅びを与えんことを」

 常闇よりも深い闇がフィリアの周りに現れた。無よりは浅い闇が。
 暴走しようとフィリアの魔力を喰らい尽くし縦横無尽に暴れまわるそれを押さえつけながら、それでもにこにこと微笑んでいる獣神官へフィリアは強い目を向けた。
 復讐と殺意と愛情に満ちた、強い目を。

重破斬ギガ・スレイブ

 闇は獣神官へ向かって転移し、フィリアの魔力どころか生体エネルギーすらも貪り大きくなりながら放たれる。
 しかし、闇で出来た火柱のようなエネルギーの放射はフィリアが狙っていたものよりも随分小さく、威力が弱い。
 ばぁんと大きな音を立てて家が吹き飛び、瓦礫は落ちてくるよりも前に粉となって消えた。
 闇が収束を見せ、消えていく。
 フィリアは銀色になって無造作に流れていく髪をかき上げようともせず、ただ真っ直ぐ獣神官が居た場所を見つめていた。
 巨大なるエネルギーの所為で舞い散った粉塵のその先に――、彼は笑顔を浮かべたまま、居た。

「残念でしたね、フィリアさん」

 彼女は肩で息をしたまま、微笑んでいる獣神官を見た。

「未完成版では本来油断さえしなければ赤眼の魔王様はおろか、僕のような魔族ですら倒せるものではありません。だからこそ、"あのお方"の存在を知っているリナさんに完全版を唱えさせようと、赤眼の魔王様の動向を見ていらっしゃった冥王ヘルマスター様は考えたのです」

 リナさんが赤眼の魔王様を倒せたのは、レゾ=グレイワーズという弱い人間の意思があったというただそれだけの、ほんの些細で奇跡的な偶然があっただけなのですよ、と獣神官は微笑みながら述べた。

「現在人間が行使する詠唱では重破斬がもつ本来の効力を三分の一も発揮できませんし、貴方のような黄金竜と人間のハーフ程度の魔力で倒されるほど、弱くなったつもりもありません。もっとも、ハーフだからこそ貴方は重破斬を唱えられるのですし、世界が滅びることに対する恐怖もさほどないのでしょうがね」

 フィリアは顔を歪めた。
 それは悔しさからというよりも、術を失ったことによる困惑と恐れからだった。

「もし、ヴァル=ガーヴさんのように古代竜と魔族の力、両方持った存在ならばあんな未完成な呪文であっても、僕を倒せたかもしれませんが。――世界にダメージを与えず」

「貴方が!」

 フィリアは声を荒げた。
 世界を滅ぼす危険性を含めた術を唱える前でさえ、声を荒げず冷静でいようとしていたフィリアが、初めて。

「貴方が、ヴァルについて語らないでください! ヴァルの未来を奪った貴方がっ!」

 肩で息をし、呪文の一つを唱えるほどの体力も魔力もなくなったフィリアであったが、しかし目の前の魔族に喰らいつくようなほど怒りに燃えた目で叫んだ。
 そんなフィリアの姿に、ゼロスは満足そうに笑みを深めると彼女の足元に落ちていた写本を拾い上げ、その手の中で燃やした。

「フィリアさん」

 彼は、少しだけ辛そうに眉間に皺を寄せると、色をなくしたフィリアの唇を己のそれで奪う。
 そうして、ゼロスは変わらぬ笑みを浮かべた。

「僕は、貴方が復讐を完璧な形で成し遂げることを望んでいます」

 一言そう述べると、まるで蜃気楼を見ていたかのように獣神官は人の目に見える世界から姿を消した。



      >>20080718 不死理論の違い、分かったかなァ。



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