夜になる前に宿場町へ到着できたフィリアとラビットは宿を別々の部屋で取り、踊り子であるラビットは飛び入りでも躍らせてもらえるよう酒場へ行くと言い残し出て行き、フィリアといえば今回はラビットの踊りの光景を見ずに宿の部屋に留まることを選んだ。
 そうして、フィリアは書物を読み漁っていたのだが何を思ったのか、ふらりと宿の外へと出る。
 普通ならば女性が夜遅くに出れば危ないなどということもあるのだが、彼女は黄金竜であるからしてあまりその辺りに対する危機意識はない。
 がやがやと賑わう繁華街からふらりと抜けていくと、途端に人気がなくなり静かになっていく。
 視界には林程度だろうか木の群れが見え、フィリアは風に乗って歩くようにその木々を目指して歩いた。
 風が大きく吹く。
 彼女の長い金糸の髪が揺れ、視界を遮った。
 とっさに手で髪を抑え閉じた目を開くと、木の根元に一人の男性がいる。
 金色の髪に年月を刻むような皺。
 フィリアと同じ青い目で彼女を見つめる目は、優しくも厳しい。
 今まで来た黄金竜の誰よりも圧倒的な力に身震いさえ起こしそうなその人を、フィリアは一度も見たことがなかったもののあたりをつけるのはひどく簡単だった。
 向き合うのに丁度良い距離まで近づくと、フィリアは敬意を込めて一礼する。

「――初めまして、ミルガズィア様」

 その人は水竜王に仕える黄金竜の長だった。

「ああ。初めまして、フィリア=ウル=コプト。――このような形で会いたくはなかったがな」

 ミルガズィアはほんの少しだけ目を細めて、しかし残念そうに述べた。
 フィリアは少しだけ微笑み、同意を示すように頷く。

「今まで――ありがとうございました。危険因子であった私を見逃していてくださって」

 彼が今まで他の黄金竜を制していてくれていたからこそ、今まで同族に狙われることがなかったと聞いていたフィリアはそう礼を述べた。
 ミルガズィアは、しかし彼女の言葉にゆるゆると首を横に振る。

「気にすることはない。そなたを見逃していたのは、頼まれていたからに過ぎんからな」

「頼まれていた?」

 フィリアは不思議そうに彼の言葉を復唱した。

「ああ、あれはそう――七十年ほど前だっただろうか。人間達から"デモン・スレイヤー"と称された人間とその連れが竜たちの峰ドラゴンズ・ピークに押しかけてきたのは」

 "デモン・スレイヤー"。
 この名称を持っているのは、今でも変わらずただ一人だけだった。
 リナ・インバース。歩けば魔族が当たるとまで言われるほど魔族との遭遇率が高く、しかし生き残り続けた稀代の魔道士。
 そして、その傍に居続けた連れのガウリイ=ガブリエフ。彼もまた類稀なる剣の技術を有し伝説の剣を所持し幾度も魔族と相対し続けた。
 その二人を知っているフィリアは目を見開き、ミルガズィアを見る。

「彼女らが竜たちの峰に来たのはそれが初めてではなかったが――しかし、好んで来たいと思う場所でもない。珍しい来客に我らが同胞は驚き、しかしあの人間達は問答無用で呪文を唱え私の前に現れた」

 フィリアは失笑した。
 それはリナ=インバースを知る人物であれば誰でも想像できる光景だったからに他ならない。
 彼女は自分より力量が上であっても笑顔で無茶をやらかす。
 それがデフォルトであったからだ。

「そうして、私に頼んだのだよ。火竜王様配下の黄金竜の生き残りでフィリア=ウル=コプトという人物がいる。彼女は将来世界に危機をもたらす人物になるかもしれないが、自分が生きている間はそれをしないと約束した。だから静観していて欲しい、と」

 そう、フィリアは確かにリナ=インバースと一つの約束をしていた。
 重破斬ギガ・スレイブの魔法論理と混沌の呪文(完成版・未完成版どちらも)をフィリアに教える代わりに、リナ=インバースが生きている間はそれを使用しない、と。
 無論リナ=インバースが彼女に重破斬を教えないという選択肢もあったのだが、いざとなれば異界黙示録を探し当て知識を手にいれることが出来るため、リナ=インバースはあえて教えることによりフィリアに思慮の時を与えたのだった。
 出来れば、復讐などという無意味なことを止めるという結論に達しさせるための。
 そこまでいかなくとも、冷静な(そうリナ=インバースのところに来たときのフィリアはまったくもって冷静であるといえなかったため)思考で獣神官を討つようするための。
 だからフィリアは彼女の考えがそこで終始しているものだと思い、リナ=インバースから重破斬を教わった後彼女達が竜たちの峰に行ったなど想像すらしていなかった。

「幸い、というべきなのかあの人間達とは認識があったし、冥王ヘルマスター覇王ダイナストの謀略を止めたという点では世界の平穏を願うものとして彼女の功績に少しは恩を返さねばなるまい」

 その事実を知っているものとしてな、とミルガズィアは口角に笑みを乗せた。

「ならば、私はリナさんに礼を述べなくてはいけませんね」

「ああ、それが正しい」

 笑みを乗せ述べたフィリアに対し、ミルガズィアは肯定する。
 そうして、頷き顔を上げると彼は真剣な――そうフィリアにとって震えるような威厳を伴い静かに彼女を見ていた。
 何かを見定めるように。

「フィリア=ウル=コプト。それでも――止める気はないのか?」

 それは、何度も問われた言葉。

「ええ」

 そして、いつもと変わらぬ返事。
 ミルガズィアもそれを予測していたのか目を伏せる。
 しかしそれは一瞬の感傷で終わり、顔を上げフィリアを見る彼の表情はいつもと変わらず、何の感情も映していなかった。

「ゼロスは強い。黄金竜が束になったところで敵わぬ相手――。それを、通常の黄金竜よりも弱いそなたが倒せるとでも?」

「それは、誰からも言われました。ゼロスからさえも。けれど――この命が尽きるまで彼を滅ぼすことを止めることはありえません。それをやめてしまえば、私は私じゃなくなりますから」

「愚かだ」

 フィリアは微笑んだ。
 その言葉すらも受け入れ、しかし強固たる意志の元で。

「けれど、それが愚かだと知っていようとも――愚かな考えが時折全てをひっくり返す力になることもまた、知っている」

 それが何を――誰のことを述べているか、フィリアは知っていた。
 なぜなら、彼は面識があると言ったのだから。
 焔のように強く燃え上がり、人の脆弱な力と脆くも強い心を有していたからこそ赤眼の魔王やその腹心を倒した稀代の魔道士を。

「私は私の元にいる同胞たちを止めることはしない。彼らは彼らの意思によりそなたを危険視し排除しようとしている。それは、生きとしいけるものが行う――いや、知能というものを持った生物が行なう思考という活動の一環だからだ」

 フィリアはじっとミルガズィアを見ていた。
 彼の本心を知ろうと、静かに。

「だが、フィリア=ウル=コプト。そなたの復讐を止めることも、またするつもりはない。復讐という個の感情はあってしかるべきものだからだ。むろん、その余波で世界が滅びることは由々しき問題だが――悪い目を先に摘み取るという行動は、所詮希望の目を摘み取ることとさほどの差はない。そのような愚かなことをするつもりはないのでな」

 彼女は目を見開き、ミルガズィアを凝視した。
 なぜならば、それほどに彼の考えというものはフィリアが知っている黄金竜の考え方とは大きく反していたためである。
 黄金竜という種族は良くも悪くも世界の平穏を優先する生物だ。
 魔族という生命体が世界の滅びを宿命と位置づけ何よりも優先するように、黄金竜はその逆……世界の平穏をただひたすらに優先する。
 それは、"そのように作られている"からだ。
 魔族よりも縛りは低いものの、人間よりは遥かに縛られている。
 縛られているからこそ、世界の平穏を守るあまりに危険因子を排除する。――例えば、フィリアの一族が古代竜の一族を滅ぼしたように。
 フィリアは良くも悪くも黄金竜の性質を半分しか受け継いでいないため、世界の平穏に対し縛りが低い。
 だがしかし、ミルガズィアは生粋の黄金竜である。
 その彼の発言としては、黄金竜としてあまりに危うい。
 ゆえに、フィリアは驚きを隠せなかったのである。
 ミルガズィアもそのあたりは理解していたのか、表情をほんの少し緩めた。

「私はそなたと同じように黄金竜としては異端なのだろうな。あの人間達と出会ってから変わったのかそのような性質を元々持っていたのか――今となってはどちらでも構わぬことなのだが」

「確かに。どちらであっても、すでにミルガズィア様の性格形成に反映されているのですから」

「ああ」

 フィリアは微笑む。
 彼女の様子を見ながら楽しげに目を細めたミルガズィアは、しかしそれは刹那でしかないのだと言いたげに目を伏せた。

「抗うが良い、フィリア=ウル=コプト。同族はすでに徒党を組み明日にもそなたを討とうとやってくる」

「もちろん、抗うつもりです。私はもう進むしか道はないのですから」

 フィリアは静かに静かに微笑んだ。
 揺らぎもしない真っ直ぐな青い瞳をミルガズィアに向けて。
 彼はその瞳から逃れるように、目を伏せた。それはまるで、同族の争いを悲しんでいるように。
 彼女はその光景を見ても目を揺らがせることすらなかったものの、拳を静かに分からぬようなごく自然な仕草で握り締めた。
 そうして、別の話を切り出すのに数秒かかり。ミルガズィアは伏せた目をフィリアへ向けて言葉を発した。

「では、私はもうそろそろ戻ろう。これ以上話をしても平行線しか辿らないだろうしな」

「ミルガズィア様」

 彼女は、帰ろうとするミルガズィアを引き止めた。
 引き止められた彼は、不思議そうにフィリアを見る。

「二つだけ――言いたいことがあるのですが」

「構わぬ。そなたと喋るのもこれが最後だろうからな」

 彼女は微笑み、ミルガズィアに礼を述べる。
 そうして、言葉を続けた。

「一つは質問で、一つは頼みごとです」

「なんだ?」

「まずは、記憶継承について。死した場所と別場所にもそれを置くことは可能ですか?」

 竜族には独特の機能がある。
 そのうちの一つが世代間に渡される記憶継承と呼ばれるものだ。
 竜族が死亡した場合、念じることによってその竜が一生をかけ得た知識を光の珠のような形で残すことが出来る。それは、紙に字を書くという文化を持たない竜にとっては知識の更新と発展に役立つ、いわば進化のための機能であった。
 フィリアもまた幼い頃母親から記憶継承を受けた。父親から受けなかったのは彼が人間という種族だったためである。
 ゆえに、自分の記憶のないうちに降りた神託のことも知っていた。
 もっともフィリアの母親の知識は竜の一族に関する情報はたくさんあったものの、世界情勢や他種族に関するものはほとんどなかったが。
 恐らく、彼女が受け継いだ記憶の持ち主達は火竜王の神殿で一生を終えるような、そんな人生を送ったのだろう。
 そうすると他の黄金竜からも記憶を継承すればいいと思うのが普通だが、その記憶継承の珠は自分の血脈のものしか見れないように鍵がかかっている。
 なので、黄金竜は特に血脈が優先され長老等の役職も世襲制に近しい。
 余談も含んだが、だからこそフィリアは多種多様な記憶を持つであろう水竜王配下の黄金竜長老ミルガズィアに聞いたのであった。

「――可能だ。黄金竜の力が強く死ぬと予測できていれば、強く念じることによって意図した場所に珠を置くことはできる。が、通常より受け渡せる記憶の容量は少ない。かつ、"自分自身"を継承することは不可能になるだろう。それが出来るレヴェルは黄金竜の一族の中でも長老クラスになるだろうから、そのような無茶をすることはまずないだろうな」

 よほど、それこそ自身の一族の滅亡の聞きでもない限りは。とミルガズィアは付け足した。
 そうですか、とフィリアは呟く。

「可能性としてはコンマ一にも満たない……。でも、検証の速度が上がるかどうかの差でしかないのだから寄り道してもさほどのタイムロスにもならないわね」

「可能性についての考察か?」

「ええ。時折奇跡が起こったりもしますからね」

 フィリアは、独り言について疑問を投げかけたミルガズィアにそう言って微笑んだ。
 彼女が復讐という目的を達成するための時間はまだある。それこそ、彼女の寿命を考えてみれば人から見れば久遠とも思えるだろう時が。
 フィリアはゆえに可能性の問題を聞いたのであって、この時点で可能性がゼロであれば火竜王の神殿を目指すのではなく以前のように知識を集めながら放浪の旅を続けるだけであった。
 もっとも火竜王の神殿に行くのが確定しただけであり、放浪の旅を続けることは変わらぬ事実であるが。

「それは、ともかく。もう一つ――ミルガズィア様にお願いしたいことがあります」

「私に叶えることが可能なものであれば、聞こう」

「ええ。些細なことですわ。もし――、竜たちの峰にいえもしくは偶然会った時でも構いません、リナリア=ディル=メルト=セイルーンと名乗る人間の少女に会うことがあったら力と知恵を貸してあげてほしいのです」

 ミルガズィアは理解出来ないのか眉間に皺を寄せた。

「面妖なことを言うのだな、フィリア=ウル=コプトよ。人間の娘がそうそう竜たちの峰に来ることはあるまい」

「はい、普通ならばそうでしょう。でも、リナリアさんは私を助けてくれるといってくださいました。私の負担を和らげるために、せめてこの世界だけは救うと。そのために手段を探すとも」

 ですから彼女を助けて欲しいのです、と述べたフィリアに対し、ミルガズィアはぴくりと眉を動かした。

「人間の娘がそのようなことを出来ると……行動を起こすとそなたは信じているのか?」

「はい。ミルガズィア様は存じていないかもしれませんが、リナリアさんはリナさんと共に世界を救ったアメリアさんの孫娘。しかも、アメリアさんと瓜二つといっていいほど外見も内面もそっくりなんです。行動力があり正義を愛するあの子でしたら、竜たちの峰に一人で乗り込んできても不思議ではないですよ」

 周りの人間がそこまでの無茶を許すかどうかは別にしてだ。
 特にリナリアの父親は娘を溺愛している傾向があった。娘を信頼しているがそこまでの暴挙を許すかどうかまでは疑問である。
 まぁ、もっともあの王家の三代(フィリアはフィリオネルも一度見たことがあるので四代といっても過言ではないが)は王家にしては珍しく個の自主性を重んじる傾向にあるため、反対を押し切って家出をしてしまえば捜索しないような気もするけれど、とフィリアは考えてもいたが。

「そうか……。アメリアという人間の娘は私も一度見たことがある。あの人間にそっくりであれば確かに可能性は高いだろうな。――分かった、出来る限り力になることを約束しよう」

「ありがとうございます、ミルガズィア様」

 フィリアはほっとしたように目元を和らげた。
 そんなフィリアに対し、ミルガズィアも優しげに目を和らげる。
 しかし、そんな穏やかな雰囲気は瞬きもしない間に消えうせた。ミルガズィアが時間を気にするように宙へ視線を向けたことによって。

「では、もう行くことにしよう。――フィリア=ウル=コプトよ」

 ミルガズィアは残念そうに、呟いた。

「もっと別な形で会いたかった、同族として」

「ええ、私もです。もっと別な形で、柔軟な考えを持つ世界の傍観者であり続けるミルガズィア様とお会いしたかった」

 そうすればきっと、二人はより良い関係を築けたに違いない。
 それは、今となっては推測でしかないものだった。
 大きく風が吹く。
 ミルガズィアはまるでその風に乗り消え去ったかのように、精神世界面へ溶けた。
 フィリアは静かに目を閉じ何かを考えているようだったが、顔を上げるとその身を金色の竜へ変化させるとばさりと翼を広げ、大空へ飛び立つ。
 ――そして、フィリアが黄金竜の擬態を取ったのはこれが最後となった。



      >>20100228 ここの説明がこの作品で一番のオリジナル設定。



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