幸せな約束




「それから……世界の風を感じては彼に会いに行ったわ」

 レゾ=シャブラニグドゥが倒れたとき――。
 魔竜王が倒れ、ガウリィ=ガブリエフが生贄として攫われたとき――。
 金色の魔王ロード・オブ・ナイトメアが現れ冥王が倒されとき――。
 異世界の王が召喚されそうになったとき――。
 ルーク=シャブラニグドゥが倒れたとき――。
 それらは全て魔族が驚き、現状況から組織体を替えなければならかったり、自分達の魔王がたかが人間ごときに倒された内部の混乱で、上位魔族が末端まで目を光らせることができなかったときだった。
 そうして最後に会ったとき、氷付けのまま眠っているレイ=マグナスを見ながらその穏やかな声を脳が揺さぶられるような感覚のまま、聞いていた。

『ルナの妹はとても強いね』

 その言葉に、ルナは口元に手を当てると嬉しそうに苦笑した。
 それは姉として妹を褒められて単純に嬉しくて出た笑みなのかもしれないし、そしてまだ未熟な妹を思って出た苦笑だったのかもしれない。
 そうしながらも、氷付けのレイ=マグナスを見たルナは目を緩めた。

「私から見ればまだまだひよっ子だけれどね。けれどあの子は生に執着し、だからこそかけがえのないものを手に入れたわ――。リナが貴方の分身や腹心に勝てたのはきっと……ガウリィさんのおかげよ」

 レイ=マグナスのふっと自嘲するような吐息が聞こえて、氷付けの彼をじぃっと見た。
 彼の表情が変わることなどありえなかったが、それでもルナには何故だか彼がとても悲しんでいるように感じた。ルナがそんな風に考えていることをレイ=マグナスは分かったのか、柔らかく脳を揺さぶる言葉を紡いだ。

『とても――とても懐かしい記憶だよ。私が"人間"だった頃に無くしてしまったものだらけだ――。魔力の強い私は時の流れに少しだけ逆らう力を持っていた所為か人間の本能に従ってしまった所為か、どうして生きたいのかも忘れ――ただ猥らに生きていってしまった』

 その言葉はただただ深い悲しみに囚われた酷く光すらも見えない暗闇に包まれた、そんな悲しいものだった。
 ルナは一瞬下を向いて泣きそうに眉を寄せて堪えるような表情を見せたが、顔を上げたときにはどれだけつらいと言いたげに眉間が寄っていても、その口元には笑みが浮かんでいた。
 そんなルナの表情に、氷付けのレイ=マグナスの表情に少しばかり明るいものが見えたような気がした。

「そうね――。でも人間なんてそんなものよ。私の天敵にいいところの若奥様ってのがいるんだけど、ずぅっといがみ合ってばかりだわ……。性に合わないのね。きっと、人間なんてそんな惰性で生きてるんだわ」

 それを冗談だと思ったのかそうではないのかは分からないが、くすりと笑う声が脳に響いた。
 もし、レイ=マグナスが目の前で動いていたのなら、優しく穏やかな笑みを浮かべていただろう、とルナは簡単に想像することが出来た。
 それほどまでに、目の前の氷付けの人はこの世界を無に返そうとしているものを包括しているわりには、酷く穏やかで優しかったから。

『ああ。君を加護している赤の竜神の思惑通りに――寿命どおりに生きれば、良かったのにね』

 それは少し悲しげなニュアンスが見え隠れしたので、ルナは少し心配そうにぎゅうっとバスター・ソードを握り締めながら彼を見た。

「レイ=マグナス、貴方は――まだ、降魔戦争のことを――?」

『まだ悔やんでいるさ。あの時、何故、私は赤眼の魔王にその心を委ねてしまったのか――。君の妹が倒した私の分身も同じ現れ方をした。ただ、ただ違ったのは――彼に、とても心を許した肉親が仲間がいたこと。私が若かりし頃には仲間というやつがいたのだけれどもね、私だけが生き延びてしまった。奇しくも、赤眼の魔王を身体に封印していた私だけが――』

 バスター・ソードを握り締めていない左手を胸の中心でぎゅうっと何かを押さえ込むように握り締めたルナは脳を揺さぶる声を聞きながら、酷く酷く悲しげな表情のまま氷付けの彼を見た。
 彼は何も変わらぬまま、ただ瞳を閉じているだけ。
 長く短い時間を氷の中に閉じ込められたまま。
 ルナは何かを抱えるように息を呑むと、彼の名前を呟いた。

「レイ=マグナス……」

『せめて、ルナ――君と同じ刻を歩んでいれば私は、私でいられたのかもしれないね――』

 悲しげに呟いた言葉に、ルナは首を振った。

「そんなこと、言わないで。――私は、貴方とこの時だけでもいられれば――、それでかまわないのだから」

 ルナはレイ=マグナスの瞳をじぃっと見た。
 確かに、レイ=マグナスの瞳は閉じられたままだったけれど、それでも二人の間に通じ合ったものは確かに存在していた。


「けれど、どうしてです?今までは僕ら魔族の目を欺いて会っていらっしゃったのに……。どうして、今回だけ?」

 その言葉に、ルナはバスター・ソードを握り締めたまま目の前の神官ににこりと笑った。
 まるで生きとし生けるものを全て愛しているとでも言いたげな、酷く優しげで慈悲深い笑みを。

「これが最後だから」

「最後?ルナさん、貴方の年齢を考えてもまだ最後だなんて――」

 神官はごく不思議そうににこにこと笑ったまま首をかしげた。
 それもそうである。ルナが八十代のおばあちゃんであるのなら、神官ももしくは上司もある種納得していただろう。もちろん、幾ら老化しても赤竜の神の騎士に対して警戒心を解くことは無かっただろうが。だがしかし、人間の酷く短いサイクルを考えれば最後であることを納得することは出来る。
 しかし、ルナはまだ三十代程度なのだ。
 この先も交通事故やなんらかしらのことに巻き込まれない限りは生き続けるであろう。
 そして、この先にリナ=インバースが巻き起こしたような規模の事件が無くとも、彼女ほどの力があればどうにか腹心を欺いてレイ=シャブラニグドゥに会いにくることも可能である。
 だからこれほどまで分かりやすく行動しているルナに対し、魔族は警戒をしたのだ。
 しかし、ルナはただ緩やかに笑うだけだった。

「時が変わるのよ。時代がもう私ではついていけなくなる。ゼロスさん、貴方と違って人間の移り変わりはそれこそ目にも止まらぬ速さで変わっていくわ」

 その言葉に、神官は不穏な空気をルナに向けた。
 ある、ひとつの可能性を危惧して。

「……もしやルナさん。我等が王と心中しようなどとは――」

 それは、魔族にとって呪詛とも思える言葉。
 だがしかし、ルナはまったく揺るぐことなくゼロスに対して微笑むだけだった。

「そうね――、そう言うのかもしれないわね――」

 瞬間、ゼロスは仮面のように貼り付けていた笑顔を取り外し、その紫色の瞳をルナに向けた。
 その多大なるプレッシャーは一般的な人間はもとより、下手な純魔族すらも恐怖で震える身体を押さえきれないものである。
 だがしかし、ルナはそんなプレッシャーなど何とでもないと言いたげにただ穏やかに微笑んでいた。

「ならば、僕は命を賭しても貴方を止めなければいけません」

 そう言いながら、神官は何処にでもありそうな杖を彼女に向けた。
 このカタート山脈に眠っているレイ=シャブラニグドゥは七つに分断された赤眼の魔王の現存する最後の一人なのだ。
 魔族にとって、赤眼の魔王を身に宿す人間の輪廻は蚊も止まらぬ速さではあるが、それを探し出すのは非常に困難を極める。なぜならば、彼らにとって見ればそれは蟻の群れから一匹の特殊な液を出す蟻を探すようなものであるからだ。しかも特徴などは、ない。
 現に降魔戦争時に復活した北の魔王以後赤眼の魔王が登場したのは千年以降……つまり、リナ=インバースが倒したレゾ=シャブラニグドゥとルーク=シャブラニグドゥ、この二人だけなのである。同じ時代にめぐり合い、そして再び人の輪廻で眠る原因となったリナ=インバースは、魔を滅する者の名に相応しいのかもしれない。――そう、魔王と二度もめぐり合いなおかつ生きている……そんなものなど、いないのだから。
 主を失った魔は多少なりとも力を失う。それは、魔族が精神体であるからだった。感情に左右される彼らにとって、精神の安定を蝕まれることこそ弱体化の要因となる。そして現在、その数を減らしつつある魔族にとっては、赤眼の魔王全てが人の輪廻にもぐりこんでしまったという精神的重圧が一番くる。
 それは、宗教における教主が見えなくなり不安に思う信者と似たようなものである。
 だからこそ、ゼロスはただでさえダメージの大きい魔族の戦力を必要以上に削がないために、目の前の女性をどうにかしなければならないのだ。
 その言葉に、ルナはふっと微笑むと殺気を纏わせその黒い瞳で神官を睨んだ。

「そうね、獣神官ゼロスさん。私もか弱い人間の身に名もない剣しかなく、呪文など覚えてもいない。貴方とやったら、私も命を賭さなければいけないわ」

 そして、動いた。



      >>20060726 同じ現れ方をしたのはルークさん。



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