本質なる核
久しぶりの休日に城下町の少し外れた場所にある我が家に帰った。
短期決戦の戦争であればこのような休暇などないのだが(その代わり戦争が終わった後に少し眺めの休暇が与えられる)、今回の戦争は長期戦だったので、時折このような休暇があった。
お前がいないとなると戦力が削がれるな、と皮肉のような言葉を軍師に言われつつ戦場を離れたのだが、だったのなら戦場に留めていて欲しかった。俺にとっては戦うことが全てなのだから。
そんなことを思いながら家に帰ると真っ先に出迎えてくれたのは息子だった。
息子は妻に似て、流れるような黒髪を短く切りそろえどこか涼やかな顔つきをしていた。姿で妻に似ていないところといえば目の色ぐらいだろうか。俺と同じく青色だった。性格は普段は妻と同じく穏やかでしかし冷静で頭が切れるのだが、変なところだけ俺に似てしまったようで戦闘狂の片鱗を見せていた。いったん武器となるようなものを持たせるとたおやかな姿からは想像できないぐらい激しく人の急所を狙うような攻撃を仕掛ける。
まぁ、変におどおどしているよりかは遥かに好ましい性格をしているのだが。
息子は妻に似た顔でにこりと笑った。
「ただいま、父さん」
「おう。あれはどうしている?」
「あれじゃ分からないよ、父さん」
人の揚げ足を取るように笑う彼はやっぱり、妻の息子であった。九割がた妻に似ているのだから、不逞の子だといわれても納得してしまう。もっとも、息子の模擬戦闘を見たことのある人なら口をそろえて俺の息子だというのだけれど。
ともかく、彼はそれ以上俺の揚げ足を取るつもりはなかったようでにこりと笑った。
「母さんならいつも通り書斎で仕事をしているよ」
「そうか。ちょっくら会ってくる」
「もう、父さんだけだよ。母さんの仕事を邪魔できるのって」
彼はどこか呆れるようなしかし微笑ましくでも思っているのか口元を緩ませて、そんなことを言った。
一応俺はこの国では人を斬りに斬りまくり、仕事を想定以上にこなしているので給与はかなりいいのだがこじんまりとした二階建ての家に住んでいた。それは俺も妻も家という入れ物に執着していなかったせいだろう。
階段を上がり突き当たり右の扉をノックもせずにあける。
すると既に俺のほうを見て、にこりと微笑んでいる妻の顔を見ることが出来た。
流れるような艶やかな腰ほどまでの黒髪に、パーツの大きい顔は化粧をほんのり乗せただけで迫力のある美人になる。が、本人はそれほど化粧に対して執着を持っているわけでもないらしく、素顔のままだ。それでも十分美人なのだから不公平である。
黒いワンピースからさらされる手足はしなやかに白く、また色気を感じさせるものである。
しかし、俺は妻から色気を感じたことがなかった。
言い回しが難しいが、妻が一般的に色気のある女だと知っているしそうも感じるのだが、俺自身が欲を駆り立てられたことはない。無論、欲を駆られてそういう行為をしなければ息子は生まれなかったのだが、俺が彼女と結婚した理由は性格や行動、彼女自身が持つスキルが好ましかったのと、――不思議としっくりと何かがはまる様な感覚を持ったからだった。
「お帰りなさい」
艶やかな芯に響き渡る甘い声で、俺の帰りを歓迎する言葉を発した妻に俺はにぃっと笑って見せた。
「つかの間の休日って奴だ」
「それは貴方にとって不必要なことでしょうに」
「まったくだ」
彼女の言葉は傍目から見れば辛らつかもしれなかったが、俺にとっては俺の心を見事当てた言葉だった。
同意を示した俺に、彼女はさもおかしいと言わんばかりにくすくすと笑った。
「貴方は本当に正直ね。妻の前なのだから、『お前に会えないことのどこが不必要なんだ?』ぐらいは言ってもいいのに」
「実際それを俺が言ったなら、アンタは『なにか悪いものでも食べたの?』とか言うんだろうが」
「よく分かっているわね」
おどける様子に、どっちもどっちだと俺は豪快に笑った。
どこか同士のようなやり取りは夫と妻のそれではなかったが、付き合うときも結婚するときも結婚してから子供を生んだ後もそれが変わることなどなかった。
だから、俺は彼女と婚姻関係を結べているのだと思う。どこかで俺が男で彼女が女だということを匂わせてしまえば、きっと俺はそれをうっとおしく思って彼女と付き合うことを止めただろうから。
「仕事は順調?」
「聞くまでもねぇだろ? ありゃあ天職だ」
人を斬る仕事を天職だなんていう俺は、他人から見ればどこか狂っているのだろう。同種を殺して平気な神経で居られるのだから。それでも、俺は向かってくる人間達を自分と同じ生き物だなんてこれっぽっちも思えなかった。
そんな風に思ってしまう俺はやっぱりどこか人間として狂っているのかもしれない。
「そうね。きっとこの戦争がなかったら貴方は悪人になっていたっておかしくないもの」
「魔族みたいにか?」
生きとしいけるものをいたぶり負の感情を喰らい続ける魔族。
何のためらいもなく、人間を神族を時には同じ種族をも切り捨てるあの一族こそ俺にお似合いなのかもしれない、と思ったことは多々あった。しかし、それでも俺は『人間』だ。それは曲げようもない事実なのだろう。
彼女は俺の言葉を聞いてもにこにこと笑い続けるだけで笑い飛ばすわけでもなく否定するだけでもなく、ただそうしていた。
「アンタの仕事はどうなんだ。どんな話を書いているんだ?」
彼女は小説家であった。
フィクション作家だが、少年少女向けのライトファンタジーを書いたり大人向けのどこか固めの推理小説を書いたり、その幅はかなり広い(本人曰く、頭に浮かんだものに差なんてないわ。ただ、それを好む年齢層や性別は変わってしまうけれど。とのことだった)。
「今は恋愛小説を書いているわ。設定が現実味の薄い――魔族の男と神族の女の話だから少年少女向けだけれど」
「似あわねぇな」
まったく似合わない。
彼女の姿を見たのなら十人が十人、似合うというのだろう。いや、少年少女向けという部分では似合わないのかもしれない。彼女の姿で語る物語は男女間の酷くどろどろしたような――胸焼けを起こしてしまいそうな恋愛が一番似あうと誰もが言うだろう。本人も繰り返してきたような。
けれど、俺はそれが似合わないと思っていた。
姿は色っぽいねーちゃんだが、彼女は燐と立ち大人の男一人を腕力で軽くあしらえる人物なのだ。その気性はどろどろした恋愛小説よりも冒険活劇のほうが似合う。
寧ろ、恋愛などこれっぽっちも知らないのではないだろうか、と思わせる。俺との結婚も本質は恋愛じゃないのだから。きっと、気のよい仲間の馴れ合いの延長上なのだ。
「そう? 私の書く恋愛小説は泣かせると大変人気なのだけれど」
「恋愛のれの字もしらねぇアンタの書く本に泣ける読者の気が知れねぇ」
「ふふ、それは貴方にも私は恋をしていないと言っているも同然だわ」
「事実そうだろう?」
事実を述べただけなのに、彼女はとてもおかしそうに微笑んでいた。
その軽やかな笑みすらも色気を含んでいるのに、どうしてだかやっぱり彼女に恋愛なんて似合わないと思うのだ。
彼女は鈴を転がすように笑うと、しなやかな白い手を俺の頬へと伸ばした。
「そんな女を抱くのは貴方でしょう?」
「そうだな……。アンタを抱くのはまるで戦っているようで酷く血が騒ぐんでな」
そうしながら俺は女を抱き寄せ、その血のような赤さを持った唇を塞いだ。
女を抱いているはずなのに、戦っている気にさせるのは彼女だけだった。
>>20061220
ここのシーンが書きたかったのです。
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